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さくら・ことのは~川柳の部屋

言の葉はこだまことだまものおもひ…五七五の部屋へようこそ。

父に寄せる句

2014-12-06 | つれづれに

(画像の写真は、「花の庵」さなえさん より おかりしております
 
 ”メタセコイア”)


父に思いを寄せてつくった句のあれこれ。



   元気かと父がさしだすぬくい杯

   父の日もそうでない日も父と呑む

   どこかしら父に似たひと好きになる

   男らしい人で拳は振りあげぬ

   家まもる父の背中の傷幾多


父とおいしいものを食べ、お酒をのみ、話す時間は
とてもこころ満たされるものだった。
一緒に過ごして楽しく、そして一本筋のとおったひとだった。
 


   淡々と告知する側される側

   泣いてなどおれぬほんとの一大事

   福音のように響いた転移なし

   気を逸らすこともひとつの生きる知恵

   ユーモアはこんなときでも笑うこと   

    
健康そのものだった父が、いのちをおびやかされる悪性の病に。
不安と希望に揺れうごく日々。
急ぎ手術を受け、病巣は取り除けた。
転移のない初期のものであったことにひと安心するが、
術後の痛みはなかなか癒えず、
そして 術後わずか4ヶ月たらずで再発が判明する。

父の肺がんは、多形がんという、
たぐい稀な悪性度の高い組織型だった。
早期に再発・転移を起こし、抗がん剤にも抵抗性。
めずらしいタイプの組織型なので、データも少ないが、
いろいろ調べても、完治した例を見出せない。
暗澹たる気持ちになった。
一方で、父が完治した最初のひとになればいいんだ、
希望を持とう。
とも思った。


   試練とはこうも続くか空に問う

   神さまにねだろう寿命もうすこし

   過去形にまだしたくない物語

   ないよりはいいと胸張る空元気

   日がすこし翳ったままの発病後

   いまは泣けいつか笑える日も来よう



当初は、急ぎ抗がん剤治療をと言われた。
が、その後まもなく、
まだじゅうぶん体力もあり元気に過ごせているので、
今のそのちからを保ちながら病と共存する道をと、
医師からすすめられた。
わたしは、効果の望みが少なくても、
医師からはきっと抗がん剤をつよくすすめられるだろうと思っていたので、
これは意外なことだった。

もとより、
抗がん剤におそらく効果はのぞめないだろう、
いま父にある体力を、免疫力をうばうだけにしかならないだろう、
と考えていたわたしに異存はなかった。
もちろん、やってみなければわからないかも知れない。
けれど、このまま父の生命力にゆだねるほうがのぞましいと
直感してうたがわなかった。
寿命の長さよりも、たいせつなのは質。
父も母も弟も、それを自然に受けいれてくれた。

けれどそれは、治癒をめざしての治療をやめるということ。
痛みや心身のさまざまな苦痛をとるための緩和ケアを受けながら、
いつ訪れるか知れぬ終末を、いやでも意識させられることになる。   
が、その日までの日々を悔いなくたいせつにともに過ごそうと決める。
毎日、気持ちは揺れた。
いつその日が来ても、父と母を支えよう。
その日が近いことも覚悟した。
けれどそれでも、ひとすじの希望を胸に抱きつづけた。
   

   逆境で真価をみせたああ男  

   わずらいを捨てて今日だけ見て生きる

   ケセラセラなにがあっても受けいれる

   第三の道はないかと思案する 


   病床の父と眺めるカレンダー

   いつか来る別れの日まで愛を積む

   けれどなお願ってやまぬ父の治癒

   いま生きて在るひと過去になる別れ


病のなかにあっても、
臥してからも、父はやはり父だった。
父らしさは、さいごまでうしなわれることはなかった。
いさぎよくて、美しくて、つよくて、やさしくて、みごとだった。



   
   この世でのさいごの息をふかく吸う

   潮どきを悟ったように花が散る

   来年はもうない父と見たさくら

   散る日まで椿は椿父は父

   いてくれるそれだけでいいひとが逝く



   正解はそれぞれにある看とりかた

   去ってより存在感が増してくる

   そこここにぬくもりのこし死出の旅

   尽くしてもたりぬと思う父看取る

   秋立ちぬ夏いっぱいを生きた父


8月8日の立秋の頃、父は旅立った。
8日に日付が変わってまもない真夜中、  
わたしの目の前で、この世でさいごの息をしてくれて、
しずかにその呼吸を止めた。




   存在の大きさを知るその不在

   白萩は咲いて散るまで白い萩

   風流れいるべきひとがいなくなる

   常夜灯消えてしるべをさがす指



   もういないひとのぬくもり消えぬ部屋

   日々拝む遺影の父はきょうも笑む

   祈ることばかりであった年も暮れ

   ゆっくりとこのさびしさに慣れてゆく



本当は、このさびしさに慣れることはない。
ただ、父のいなくなった世でも、
わたし自身の人生を淡々と、でも精いっぱい生きていくだけ。
喜んだり、悲しんだり、泣いたり笑ったりしながら。
のこされた、母や弟とともに。
わたしのまわりの、愛するひとたちとともに。

けれど、まだどこか、
喜怒哀楽の振幅の、レベルが一段低いなかで生きている自分を
感じている。

父にあいたい。



   こんなにも広かったのだ父の傘

   



   
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あけまして おめでとうございます

2012-01-02 | つれづれに

あけまして おめでとうございます


みなさま どんなお正月をむかえられましたか

どうぞ よい年でありますように


今年も ぼつぼつの更新しかできないと思いますが、

時々 読んでいただけたら うれしいです


どうぞ よろしくお願いいたします

   
     つつがない日々に感謝の家族膳


     箸ならび今あるもので満ちたりる


     来し方とゆく末おもう句読点






英夫さんに

2011-02-14 | つれづれに

わたしが川柳をつくりはじめた頃から、
ずっとずっと お世話になってきた
英夫さんが 天に召された。

お見送りの日も雪だった。
豊橋でもめったに降らない雪が降っていたらしい。
ここ大阪でも この冬はじめて、積もるほどの雪が降った。

初七日の今日も、雪が降りやまない。


6年前の春、
浮浪草さんのHPで目にした花梨さんの写真川柳。

みじかい言葉のなかに 深いものを感じて
花梨さんあてのコメントを書いた。
それにこたえて下さり、

「川柳をつくってみませんか。。。」

と 誘って下さった花梨さん。

そのとき 教えて下さったのが、

英夫さんの 川柳掲示板…仲間の川柳。 
現在の「川柳の楽しみ」。

それが 英夫さんとのであい。

はじめて句を投稿した2005年の5月以来、
毎日のように掲示板で 先輩がたの句に接し、
自分も そのときそのときできるペースで 句をつくりつづけてきた。

いつもお仲間が、そしてみて下さる方々が楽しめるHPであるようにと
気づかい 管理してきて下さった英夫さん。


3年前には、豊橋番傘のお仲間にと誘っていただき、
さらに深い川柳の世界をひろげて下さった。


昨年 緊張しながらはじめて参加した句会、
豊橋番傘35周年記念大会では
参加を決める以前から、
メールで 詳細をわかりやすく教えて下さり、
大会当日も 笑顔で迎えて下さった。

その日参加した、
川柳掲示板のお仲間である
艸花さん ミチコさん わたしを
3人娘 と呼び、
参加を とてもよろこんで下さった。
花梨さんも来られていたら 若草物語とおなじく4姉妹になっていたかな。

あの日の 優しい笑顔が忘れられない。
お顔をみた、最初でさいご の日になってしまった。


今年の5月を 楽しみにしていた。

大阪で予定されている句会に 豊橋のお仲間さん何人かと
いらっしゃるときいたから…

わたしも 参加できれば、
また おあいできると、その日を心待ちにしていた。

なのに、もう、

大阪で句会があっても、

またわたしが豊橋に出かけられる日がきても、

英夫さんに あえない。

掲示板に行っても、英夫さんはいない。

どうしようもない この事実が重くてつらい。

日が経つにつれ
英夫さんが この世にいないということを
幾度も思い知らされて、 さびしさはさらにつのる。


川柳というものは、
実感だけでなく 想像や創作の要素もあるにしろ、
どこか そのひとの内面や人間性を語るものなのか、

いちどしかおあいしたことのない英夫さんとも、

まだおあいしたことのないお仲間のかたがたとも、

それぞれご縁をいただいてからの何年かで
とても 深いかかわりを持たせていただいているような気がしている。

実際のそのかたと、ともにした時間はごくみじかいか、ゼロなのに
そのかたがつくられた句を読んで、

  「OOさんらしい句だな」

と 感じたりするのだから、不思議といえば不思議だ。

英夫さんの句でも、
そう感じる句を たくさん読ませてもらってきた。

もう 新しい句を読むことはできないのがかなしいけれど、

これから お題をいただくたびに

  英夫さんなら どんなふうに詠まれるかな。。。

と、想像するわたしが きっとそこにいるだろう。

英夫さんにほめてもらえるような句をつくりたくて、
あたまをかかえるわたしが きっといるだろう…。


   果てる日の花は椿と決めている


わたしのすきな、英夫さんの句のなかのひとつ。

英夫さんが召された日から、
この句が ずっとわたしのなかでリフレインしている。


もういちど おあいしたかった。

のこされたものの未練を おゆるしくださいね。


英夫さん、たくさんたくさんお世話になりました。

ありがとうございました。

ほんとうに、ありがとうございました。

どうぞ おやすらかに。



     あざやかに生きた椿を包む雪


     降り止まぬ雪と未練が積もる胸


     常夜灯消えてしるべをさがす道


     雪ぞらに面影さがす白椿


     この雪はあなただろうか白椿


   




お願い~シソ・ダイオウの写真

2009-03-20 | つれづれに


    いつも 読んでいただき、ありがとうございます 

    薬草に寄せた写真川柳を 長い期間かけて 

    休み休みしながら 少しずつつくっておりますが、

    句はできているけれど 写真がない。。。

    という薬草が いくつかあります。


    拙いわたしの句ですが、

    写真をお持ちで、使わせていただけるかたがおられましたら、

    ご一報くださいませ。


    ただいま、

    紫蘇(シソ)、大黄(ダイオウ)

    の写真を さがしております。


    どうぞ よろしくお願いいたします。


    




仲間の川柳・今年の総集編

2005-12-23 | つれづれに

私さくらが 川柳をつくりはじめたのは
今年の5月。

時々おじゃまする
「浮浪草の気吹(はぐれそうのいぶき)」で
掲示板にあった、

浮浪草さんの写真と

長年 川柳をつくりつづけておられる
花梨さんの句でできた
すばらしい写真川柳を見たのがきっかけだ。


それからのち、私も
花梨さんのおられる
「仲間の川柳」
のお仲間に入れていただいて、
句を 投稿するようになった。


「仲間の川柳」管理人であるひでおさんは、
私たちが投稿した句を
定期的に 各人のページ として
すてきな背景にのせてまとめて下さるのだが

このたび

仲間の各人の 今年書いた川柳を 25句、
写真川柳を 12枚 選びスライドにして、

平成17年度の総集編 として
美しく まとめて下さった。

どんなに時間と手間がかかり、苦労されたことだろう…
いつもながら ありがたく、感謝にたえない。


仲間のみなさんの 総集編、
それぞれの方の 人生観や ものごとを見る視点や感性が
かいまみえる。
その表現に あっと感心させられる。

うんうん、まさしく そうだよなぁ とか
私だったら とてもこうは書けないなあとか
いろいろ 感じさせられて、
あらためて 
川柳っておもしろいなあ
奥がふかいなあ

と 思わせられる。


ところで、

ひでおさんが選んでくださった 私さくらの句は。。。

25句のうち 3句は
お酒をうたったものでした!

わははは♪ 







自分らしく

2005-08-26 | つれづれに
    

  (画像をクリックして下さいね…

        写真は 「花の庵」さなえさんより ”スミレ”)


     それぞれの色をめざして花は咲く



バラは うまれたそのときから バラ
   
すみれは 自然に感謝しながら
ただ 素直に 身をまかせれば
美しい すみれに なれる

ほかの ものになろうとしなければ、
それぞれ みんな
自分らしく 美しい花を
咲かせることが できる。


はじめまして…のみなさん
こんにちは。 

澁谷 さくらと申します。


そして

おひさしぶりです…のみなさんへ


以前に もうひとつのブログ でも書いておりますが

HPつながりの ご縁で
この2005年 5月より
川柳を つくりはじめました。


これまで、短歌もどき の形式で歌をつくってきましたが

川柳 というかたちに出会ってから

   もしかしたら 私は
   もっとみじかい言葉で うたえるものを
   よぶんな言葉を いたずらに加えて
   つくってきたのかも 知れない…

 という思いを いだくようになりました。


ひでおさん が管理されている
「仲間の川柳」
というHPに、つたない句ですが 
日々 投稿させていただいております。