さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

「胡麻」~ラスキンその2

2011年01月23日 | 英国


  さてラスキンが嘆く19世紀当時の英国のありさまは、男性諸君については「出世、金儲け、名誉の追及」が公然と叫ばれている、ということでした。頑張れば誰もがチャンスを与えられる民主主義の競争社会、それが格差を呼んで「勝ち組」と「負け組み」の色分けが進むこの日本で、子供の頃から受験戦争に勝ち抜いていい大学に入り、就職してからも出世して立派な年収と自慢できる地位を得るというのは、誰もが望む、というか、一般の風潮として親が子供に求めるものではないでしょうか。それが嘆かわしい、と言われたって・・・。

そこでラスキンさんがおっしゃるには・・・


良書を読みなさい!ときたもんだ



ヽヽ(゜益゜≡゜益゜)ノノ


だっ だれも聞かんぞ・・・。そんなこと言っても…w(゜゜)w


ラスキン先生、汚いガード下でギターかき鳴らしながら
ヘタクソで意味不明の歌を喚いている奴に負けないくらい
世の中から無視されませんか?

上記の人たち、ゴメンナサイw
学校の朝礼で全員を整列させて「自覚」だの「責任」だの
意味不明のカラオケ的自己満足の説教を
長々とたれ流す校長先生に負けないくらい
誰からも無視されませんか?


 まあとにかく、もう少しラスキン大先生の言うことを聴いてみませう。何が「良書」なのかという問題はともかく、その読み方が面白い。「徹底的な精読」なのです。あらゆる語調や表現に細心の注意を払い、常に著者の立場に身を置き、自分の個性を没して著者の個性に立ち入ろうと勤め、「大作家を読んで私はこう思った」ではなく、「大作家がこう思った」と確信をもって言えるようにすることが大事だという。

 感想など持っちゃいけないんです。ただひたすらどのようなことが書いてあるか、正しく理解することだけに専念せよ、というわけだ。ラスキン先生曰く、「だいたい普通の読者は非凡で明晰な思想など持ち合わせてはいない!」(聴衆を目の前にして、「あんたたちそうでしょ」と言うんだコレ)。ゆえに「考える」のではなく「知る」べきなのである、と。「良書」の相手が、ダンテ、ミルトン、シェイクスピアですからねェ。ふつー難しくて読めねーぞ。。。

  それではそういった大作家の著作をひたすら拝読して、どのような意味があるというのでしょうか。立身出世や金儲けに役立つわけでもなかろう、大変な時間と労力をかけて積み上げる「教養」の意義ですね。それはまた次回に(^益^)ノ



2 コメント

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そんなのヤだい! (ゆくえ)
2011-02-23 11:10:55
暗記は苦手っす
それをひたすら… (さきち・)
2011-02-23 12:28:27
だからいかーん!
つつましく賢い女性であるために、ひたすらひたすらひたすら自分を捨てて、感想など持たずに拝読するのみ!相手は偉いんだから。
むむむ、一理あるかもしれんがたまりませんな(^益^;

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