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2年前の3/11の大震災発生の今日 北海道各市町村でも
多くの市民が災害発生時間に犠牲者に対する「祈り」が始まった・・
昭和30年・40年代に北海道の農業労働者として福島県から毎年100名
ほどの人たちがわがマチにきて北海道の農業を支えてくれたが その中には
北海道のお嫁さんやお婿さんになった人も多く 「福島県人の会」があって
ふるさと福島を心配している人も多い・・原発事故の処理も進まず 他県へ
移住した親戚も多いようだ。福島県から連れてきた自分として何もできない
不甲斐さが心を痛む・・一日も早い復興を願っている・・
多くの市民が災害発生時間に犠牲者に対する「祈り」が始まった・・
昭和30年・40年代に北海道の農業労働者として福島県から毎年100名
ほどの人たちがわがマチにきて北海道の農業を支えてくれたが その中には
北海道のお嫁さんやお婿さんになった人も多く 「福島県人の会」があって
ふるさと福島を心配している人も多い・・原発事故の処理も進まず 他県へ
移住した親戚も多いようだ。福島県から連れてきた自分として何もできない
不甲斐さが心を痛む・・一日も早い復興を願っている・・
淡路阪神大地震も大きな被害が有ったが・・・幸いの事
東日本大震災の犠牲者に謹んで哀悼の意を申し上げます、
淡路阪神大震災には原発と言う厄介なものが無かった事が幸いして市民の力で早い復興が出来たと思っています、
東日本大震災は、原発で汚染された地域が多く立ち入り禁止で復興に手間取って居るのでしょう、
未曾有の原発汚染は除染も手探りの状態だと感じます、
私は、原発は0にしなければ地震国日本は、安全安心な国とは言えないと思う。
復興は進まずとも時は流れます。
明日はわが身にならないことを願うばかりです。
一日も早い帰郷望むばかり
当地でも表面は 復興してますが心の痛手は 回復してません