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原爆の国・・・

2012-01-21 20:30:07 | Weblog
広島市にある「原爆資料館」へは2回ほど訪れて原爆の知識はある。
昭和20年8月6日に広島に投下された原爆は想像を絶する破壊力と多数の
生命を奪った‥広島出身の画家「丸木位里・俊」夫婦が描いた「原爆の図」
が 我が町の市民会館で今日から27日まで特別展示され 多くの市民が
訪れて 原爆投下直後の惨状の絵に 原爆の恐ろしさと悲惨さに驚き 
「決して戦争を絶対起こさない」という気持ちを新たにした次第だ・・
5点の原寸大の「びょうぶ絵」には 皮膚が焼けただれた人々が「水」を
求めてさまよう様子や炎の中で傷ついた母と子や 積み上げられた死体の山が
描かれていて 原爆の恐ろしさが伝わってくる・・
この特別展示会は60年前にも三菱炭労の主催で開かれたそうだ。
わが町は昭和60年に「核兵器廃絶平和都市宣言」を行い 恒久平和を
祈念する行事も行われている。

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9 コメント

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 (勿忘草)
2012-01-21 23:23:11
核の恐ろしさ、放射能の怖さ
日本人は広島、長崎と2度もこの恐怖を経験しました。
そして今度の原発事故で3度目です。
まだ懲りないようですね。
戦争も核もない平和な国でありたいですね。

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Unknown (donnguri70)
2012-01-22 04:12:38
広島の原爆記念館には一度だけ行ったことがあります、その悲惨さは忘れません。
こうしている間にも、新しい武器が次々と開発され、とどまることをしりません。悲しいことですが、これが歴史というものでしょうか?

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Little Boy (hiro)
2012-01-22 04:55:15
広島原爆、可愛いコードネームがついていますが、13万人を殲滅させた悪魔。
長崎と合わせて20万人の殺人をやってしまった。戦争歴史はは勝ったほうに都合よく書かれるのが通例。でも、国権の最高天皇の責任もある?
核保有国は加害者になる可能性がありますね。よく考えて欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=7OCkNa41A6g
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怖い (tatu_no_ko)
2012-01-22 05:54:35
父は原爆直後の広島市へ公務で入り被爆しました。55歳半ばで他界しましたが、投下直後の市内の様子、避難の人々の苦痛を目のあたりにしました。
すぐにでも廃絶に手をつけるべきです。
自国はいいが他国はダメ、核兵器にはそんなへ理屈はいりません。
一日も早い廃絶を願を保有国に臨みます。
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原発輸出・・・ (sibuya)
2012-01-22 09:44:37
広島・長崎に原爆の投下 54年にビキニ環礁で
第五福竜丸の被爆・そして福島原発事故・・
多くの人々が被爆の恐怖にさらされている。
だが 原発発電を他国に輸出する政府・・
被爆国日本のモラルが問われる‥と思うのだが
・・そう思いませんか?・・
コメントありがとうございます。
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風化させてはならない被爆体験 (matutaka31)
2012-01-22 11:31:10
私は長崎の被爆者です。当時10歳。
被爆者の平均年齢が78歳になった今、世界で唯一の被爆国である広島・長崎の被爆体験を、絶対風化さてはならないとの思いで、「福岡市原爆被害者の会」でボランティア活動をしています。
昨年10月、ホームページを立ち上げました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hibaku/
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寒中お見舞申し上げます (corona404)
2012-01-22 14:33:42
私は北海道も広島も行ったことがない世間知らずです。そのうちそのうちと言っている内に病気になってしまいました。でもこの方の絵は何十年も前に巡回展で見ました。
今年の北海道・北日本は雪が多いそうですね。当地、東海地方は年末に2日ほど雪が降っただけ、特に今日の日曜は温暖です。
つまらないブログにいつもご声援コメント感謝しています。横着なトラック・バックどうか削除して下さい。長い期間貼って頂きありがとうございました。感謝しています。
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今朝の新聞に出ていました (なかよし)
2012-01-22 16:30:19
北海道新聞に今朝大きく写真入りで報道されていましたが、渋谷さんは昨日ブログで新聞より詳しく紹介されており恐れ入りました。
美唄は元炭鉱の町で、戦争には絶対反対を決議したのは立派なものだと思っています。
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Unknown (中国迷爺爺)
2012-01-22 22:13:01
 妻は小学校4年生のときに目の前で原爆が炸裂したのを見ました。青い空に太陽が2つあると思ったらそのに一つが見る見る大きくなって空一杯に広がり、すぐに猛風が吹き、地面になぎ倒されました。やがて市の中心部から続々と被爆者が押し寄せ、その悲惨な姿を見て「これが地獄というものだろう」と思ったそうです。そういうことで、妻は戦争は絶対に嫌だと言い、8月6日の朝の慰霊式のテレビは必ず見て涙を流しておりました。
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