牛込・神楽坂 酒問屋 升本総本店の別館「涵清閣」 主人が語る

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名跡の復活なんですね。444年ぶりの僧坊酒「百済寺樽」復活。

2018-02-14 12:28:48 | 旅の記録など
                           
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そういえば、先の週末、真鶴で海と森とお刺身を楽しんで来ました。








お刺身



帰り道、小田原から東京までの新幹線の電光掲示板のニュースでこんなヘッダが。


悲運の僧坊酒を販売 444年ぶり復活「百済寺樽」


気になりますね。「毎日新聞ニュース」と出ていたので、戻ってきてから、調べてみました。


あった

織田信長の焼き打ちに遭い444年前に姿を消した百済寺(滋賀県東近江市百済寺町)の僧坊酒「百済寺樽(だる)」が復活し、10日、一般販売が始まった。現代の銘酒を目指しており、13日からは、JA湖東愛東支所の他、地酒を扱う地域の酒店10店舗でも購入できる。
元祖の百済寺樽は室町時代、清酒の起源とされる正暦寺(奈良市)の「菩提泉」と並び称されたという(略)




並び称されたという、「正暦寺(奈良市)の「菩提泉」と言えば、清酒の起源というだけでなく、正暦寺から分けられ広まった酒母「菩提酛(もと)」を復興しようと、近隣の湧き水から酒造に適した乳酸菌を発見し、研究会に参加した蔵元さんがこの「菩提酛」でお酒を造ったりと、色々な「物語」がありますね。

この「百済寺樽」復活には、どんな物語があるのでしょうか、と少し調べてみると、、、、、、、。



よくわかりませんでした。



関連するホームページなどはあるのですが、みんなで酒米を育てるとか、酒蔵見学(仕込みは近隣の蔵元さん)をするとか、イベント体験ばかりで、それが「百済寺樽」とどう関係するのか今一つわからなかった。


と、思ったら、こうして造ったお酒の名前が「百済寺樽」なんです。


なるほど、古典芸能などでの「名跡の復活」なんですね。

とは言え、名跡を継ぐには、それなりのご縁がないと厳しい、のも事実。

誰かが「明日から圓生です」とか言っても殴られそうですし。


「菩提酛(もと)」と同じ感じで、百済寺に残されているという甕とか、境内の土などから酵母を分離するとか、せめて仕込み水として百済寺の湧き水を使うとか、すればよかったのに。

でも、それってそれなりに大変ですし、イベントとしてやるには時間が掛かりすぎますね。

地域おこしに昔の名跡を利用、ということだとは思いますが、いやぁ、なかなか難しいものです。


ご近所だと、近江八幡でワインを造って、「信長が安土城で日本で最初に味わったという珍陀酒(ちんたしゅ)が400年ぶりに復活!」とかなるのでしょうか。





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