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佃島は海で、新川は島だった。

2021-09-11 13:45:15 | 新川大神宮と新川
                          

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先週立ち上げた新たなカテゴリ「佃煮紀行」。

実はこれまでのジョギングで数軒分のコレクションもあるのですが、スポーツの秋だし、リアルに行きたいよね、ということで、今日は本場の佃島へ。

新富町の方から回っても良かったのですが、隅田川を渡る佃大橋って、昔の東京マラソンのコースでは最大の難所といわれる高低差のある橋なので、その手前、新川から出ている中央大橋を渡って佃島に向かうことにしました。

日本橋川沿いに大手町、日本橋と抜け、茅場町交差点から亀島川を霊岸橋で越えて新川へ。





(もちろん)新川大神宮でお参りをして、佃島に向かう訳ですが、新川って、令和の今でも、四方を水路に囲まれた「島」なんですね。





上の地図でもわかるように、南東側は隅田川、北東側は隅田川に注ぐ日本橋川、そして北西側と南西側は日本橋川から分かれた亀島川で区切られています。

見るからに「島」ですし、実際、先ほどの霊岸橋にも名残があるように、江戸時代のある時期まで「霊岸島」と呼ばれていたそうです。

その後、新川筋の酒問屋の興隆もあり、「新川」という地名が有名?になったからでしょうか。明治以降現在まで「新川」という名のまま現在に至っています。


で、そんな「島」だった新川から、上の地図で言うと下(南)に伸びているのが、隅田川を越え、佃島に渡る「中央大橋」




斜めのケーブルで吊るしているいわゆる斜張橋で、竣工はなんと1994年(平成6年)。平成の時代になってからの架橋です。
どうもお向かいの佃の再開発(リバーシティ21)の時に架けられたようですね。

それまではどうしていたの?とも思いますが、よく考えるとリバーシティ21の場所って石川島播磨の工場のあった「石川島」なので、普通の人は用がなかったのかもしれません。
(ついでに言えばそのまた昔は鬼平犯科帳の石川島人足寄場ですから、気軽に行き来するところではなかったのでしょうね)

ただ、以前新川の旦那(左の旦那)が「子供の頃、隅田川を越える渡船があった」と言っておられました。
明治生まれでも大正生まれでもなく、1950年代の方なので、案外最近まであったことになりますね。

で、令和3年の今日この日は橋を通って佃島、正確には石川島に渡りました。

と、いうことで、佃島での佃煮紀行はまた明日。




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