カテゴリー〔風景〕
三ノ峠山は468.8mの低山である。長岡市営スキー場の背後にあり、今回の下山ルートはそのスキー場脇を歩いて降りるものになる。今までに無い風景を見るスノーシューイング。取材がてら歩く自分もわくわくして歩いてみた。
Photo-01 東山丘陵を目指します
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カテゴリー〔風景〕
たまには夕暮れ時に山の風景を撮影。雪をまとう山は日にもよるが夕日を反映して色づくことがある。時間を追う形で似たような写真を並べている。特に中盤からはやや赤みが濃くなるが、夕日モードに切り替えたからである。ホワイトバランスが変わるので、一気に見ている雰囲気に近づいた。
Photo-01
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カテゴリー〔風景〕
寺泊から出雲崎へ。晴天に恵まれて良いウォーキングをした。もちろん取材とともにであるから、本来ウォーキングと言って良いかどうか。ただ、歩数はかなりのものとなったはずだ。色々かねて自己満足の一日で、記事の数も歩いた数も相当稼いだ。
気がつくと1月8日撮影の物なのにその一月が終わろうとしている。もっと手っ取り早くしろと自省している。今回は先の獄門所跡からほど近 . . . 本文を読む
カテゴリー〔風景〕
歴史があると言うことは良いこともあるが、そうでは無いこともある。今回は獄門所跡。出雲崎の町外れにここはある。江戸時代出雲崎は幕府直轄の天領であった。罪人の取り扱いはどうであったのだろう。訪問したこの場所には牢屋もあったというが、その一方で数多い処刑者もいたとある。街道沿いとは言え街との間に川があり、何か内と外を分けている意図も垣間見る。
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カテゴリー〔風景〕
出雲崎は崎の文字の着く地名なのだが目立った海岸線の変化は地形的にない。この点は寺泊も同様で、決して天然の良港を形成するものではないと思う。だが、単調な海岸の続く越後の海辺にあって隣の港との距離感や佐渡との位置関係が港としたのかもしれない。地形的には平地に乏しく背後に丘陵があるので、浜辺奥に街があり、その背後の丘陵に寺社が並ぶという構造をしている。
さて、 . . . 本文を読む
カテゴリー〔風景〕
出雲崎は日本海沿岸部にあって、船による海上の往来だけでなく北国街道を往く往来もあった。対岸は遠流と金山の島の佐渡。そちらとの往来もこの地の歴史を深め、著名人たちの記録が数々残る。町中に芭蕉の銅像(芭蕉園)がある。ちょっとした公園になっており、往来していった人物が年表にまとめられて紹介されている。今回はそれらを少し見てもらおう。
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カテゴリー〔風景〕
出雲崎の漁港に着いた。いつものとおり魚市場のある岸壁脇に車を止める。防波堤に囲まれた穏やかな漁港は冬になると水鳥が少し見られることがある。自信はないが、カイツブリと思われる鳥はハジロカイツブリか。さらには小さな群れでいるのはキンクロハジロだろう。どうもオス・メスともに居る。久しぶりの水鳥撮影に少し楽しみがあり、鳥を軸にした風景もまた心が躍った。注:カイツブリ . . . 本文を読む
カテゴリー〔風景〕
寺泊から出雲崎へは右手に日本海を眺めながらのドライブとなる。天気が良いと心地良い道であるし、若者なんかには夕日を実ながらのドライブもすすめたい。1月とはいえ、8日は天候も良いし海も穏やかであった。久しぶりに浜辺に出て、打ち上げられた漂流物を見よう。
漂流物とはいえ、実態はゴミ探しのようになるのは毎冬のことだ。日本海を浮遊するゴミは西風にあおられて、結局は . . . 本文を読む
カテゴリー〔風景〕
いよいよ寺泊を後にする。次に目指すは出雲崎町。こちらも北前船の港町。海沿いの道は季節が良いととても心地良い海岸道路となる。真冬のさなかにぽっかりと生じた好天の日。風もさほどでもなく、冬にしては穏やかな日本海だ。そして沖合にふるさと佐渡の影も見られるのが嬉しい。今回は町へ至る前にちょいと寄り道している風景を..
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カテゴリー〔風景〕
長岡の市街地にいたのでは古いタイプの円筒型のポストを見ることは無い。四角で新しいタイプのものは、この姿の前ではどことなく味気なさを感じる。珍しくなってしまったのも理由だが、どこか昭和を感じてこの型のポストを撮影したくなる。
今回歩いてきた寺泊の町の今は過疎高齢化がじわじわと進んでいるようで、細長い空き地があちこちで見られた。そんな寂しい風景は撮影もしない . . . 本文を読む
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生福寺を含めた寺泊内の六カ寺の梵鐘は第二次世界大戦時に供出された。戦後それらの寺では鐘を鋳造し直したが、生福寺だけはそれではなくオルゴール塔を作った。流れる曲は『浜辺の歌』であるという。取材時に聞くことはなかったが、海辺の町を見下ろす境内からそれを聞きながら時を過ごしたみたいものである。できれば境内から町とその向こうの海を聞きながら。
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あうことを またいつかわとゆうだすきかけし誓ひを神にまかせて
藤原為兼
ものおもひ こし髪の浦の白浪も立ちかへるならい ありとこそきけ
初君
佐渡へと配流される人々が風待ちで逗留した寺泊。それぞれに残した話もある。佐渡には佐渡でまた同様の何かが残る。海を隔ててはいるが、親近感を持つ。宮廷歌人の藤原為兼、順徳天皇(順徳上皇)、弁慶など色 . . . 本文を読む
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鎌倉時代のことであるが、日蓮は『立正安国論』を時の執権・北条時頼に提出したことで、怒りをかって佐渡配流となった(1271)。鎌倉から佐渡へと向かう際に風待ちで滞在したのがこの寺泊の地だ。この像のある敷地内には硯水の霊井(すずりみずのれいせい)と呼ばれる井戸がある。通りが三叉路をなす角地に松に包まれひっそりとした一角をなす。チョット足を止めたくなる . . . 本文を読む
カテゴリー〔風景〕
寺泊の町の中心を走る道を辿ることにした。車を通すにはやや狭くなったこの通り沿いには古いタイプの郵便ポストも多いという。どことなく昭和の雰囲気も残す町中で、ポストを取り込んだ風景もありかなと歩き始めた。
最初に第四北越銀行裏にあるチョットした公園状の所で足を止めた。勤王の志士・本間精一郎との碑がある。江戸時代の末期、維新を目指す若者がこの地でも志を果たそう . . . 本文を読む
カテゴリー〔風景〕
寺泊と言えば盛んに釣りをしていた頃は本当に良く通った場所である。特に夜の釣りで来たものだ。あの頃は佐渡・赤泊港とのフェリーが続いており、夜間も照明が付いていた。そのことが懐かしい。
さらに、佐渡単身赴任中は高速船あいびすで良くここを利用。上陸してからバスでの往来の便が良かったのだ。ふるさと佐渡にいられたあの期間は楽しさもあったが、苦しいことも多々あった。 . . . 本文を読む