カテゴリー〔バイク〕
小千谷とか山古志とかは古くからの錦鯉の里。
山間部の棚田地帯に棚田に混じる養鯉池の風景は良い。偶然がこの地を錦鯉の産地にしたものと思うが、今や地域の一大産業である。
大きな鯉になるとびっくりするような値が付く錦鯉。てんてんとみる養鯉業者の看板にアルファベットも混じるが、海外からのバイヤーも集まる地だからである。
養殖のために業者は大金を投入するが、そのため実際どのくらいの金額が動いているかがわかりにくい地となっている。このことは小千谷市役所の人にずいぶん以前聞いたことである。なお、各業者には種魚がいるようで、これらにはもう値が付かないと言うことも養鯉業者から聞いたことがある。
Photo-01 小千谷市の東山郵便局です
Photo-02 古い郵便ポストが良いアクセントです
Photo-03 小千谷市東山地区から山古志へ来ました
Photo-04 幟の向こうに幸福市と.. ここは山古志です
Photo-05 錦鯉の稚魚などを売っていました
Photo-06 こちらはやや大きくなった鯉
Photo-07 このころヒガンバナの盛期でした
Photo-08 背景を見ると既に雪囲いです
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写真撮影:2020年10月4日
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新・地理の部屋と佐渡島
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地理の部屋と佐渡島(旧版の方です)
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中越地震の時も、養殖産業は、大きな被害を被ったようです。
もう、立ち直りましたか。
今日も、良い天気です。
2度目の十五夜、満月ですね。
高価な鯉は数百万するそうです。
目白の田中角栄邸では大きな錦鯉を
たくさん飼っていました。
田中角栄さんの地盤は今どうなっている
のでしょうか?
いろいろと面倒見のよい政治家でした。
さて、山古志といえば牛の角突きですね。
私の実家の隣の息子さんが婿さんに嫁いでいます。
数年前に佐渡でお会いしたら、すっかり風貌が
変わっていました。
錦鯉の 故郷ですか~
私のカミさん 熊本です あの大きな
雲仙岳 。。思い出します
船で行く港が 鯉の出荷で有名でした
その港から船で雲仙に渡りました
観光客が 歩いたで在ろう 道。。
ここから観光客は見たのか~
そんな気持ちでした
草花が芽を出してました
切なかった 記憶が思い出しました
山古志、小地谷の錦鯉は有名ですね。
地域の一大産業になっているのですね!
あ、古い郵便ポスト、小平市にもたくさん
あります。ほっとしますねぇ、、、。
錦鯉の産地というのもその時知りました。
とてつもない高額のものもあるのでしょうね。
渡り、午後は良い天気となりました。
夕方帰宅途中で見た月はとても良いも
のでした。明日も晴れるか?
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■mcnjさんへ。
中越地震から16年。被災地は復旧しま
したが、中山間部の過疎化は進んでい
まして、復興というのに当てはまるか
どうか..?
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■山小屋さんへ。
そうですね。数百万ですね。個人売買
もあるのですから、一体いくらの稼ぎ
があるのか分からぬようです。
田中角栄さんの地盤。旧西山町ですね。
相変わらず自民党の強い新潟県ですが、
あの強烈の個性でしたから目立ちまし
た。あとは真紀子さん夫婦が継いだは
ずですが..?
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■安人さんへ。
>私のカミさん 熊本です
へぇ~。肥後国ですか。これまた遠い
なぁ。大学時代には学科の仲間でかな
り47都道府県がそろいましたけど、
そういえば九州方面は余りいなかった
です。熊本県。あの震災からの復興は
どうでしょう。
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■karinさんへ。
そうですか。小平に。以外ですねぇ。
越後のような地方だからと思ってい
ました。東京都下も色々あるんです
ねぇ。
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■YAKUMAさんへ。
そうなのですよ。ここが錦鯉の発祥
地と言って良いです。今ではあちこ
ち他県でも腕利きの養鯉業者がいる
ようですけどね。
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そうなんです。養鯉池も棚田もクラックが
入りまして台無しになっていました。しかし
あれから少しずつ回復して今に至っています。
たくさんの苦労のたまものでした。