ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

絵をかいてからはなしをする

2011-05-31 22:01:03 | Weblog


絵とぶんでかきましょう-1-

「おはなし」の題材である「きのうしたこと」「きょうしたこと、見たこと」などを話させるだけでなく、絵でも表現させていく。「おはなし」と平行させていく。
鉛筆でもよいが、できればクーピーあるいはクレヨンを使って、のびのびと線を大切にした絵を描かせる。線をひいた後で、色を塗るようにさせたい。いろいろな色をぬりながら描いていくと、物の形や動きをとらえるのが弱くなったり、どうしても静的な絵になってしまうからである。
したことや見たことを絵にかく。
これも、生活の中で心に残ったことの「切りとり」であり、生活への意識化である。絵がかけたら、その絵を見せながら、「おはなし」をさせる。
絵がかけた順に、教師のところへ見せに来て話しをさせてもよい。そのときには、教師が話しを聞いて、絵のあいているところにひらがなで話しを書き込んであげたりもする。

心電図を学校でとった後には、その体験の絵をかかせる。その絵を、家へ帰って見せながら話をさせる。このときには、家の人に、その話を書き込んでもらう。それを教室の壁面に張って紹介する。(絵ー略)


             みすず
きょう はじめて
しんでんずを とったんだよ。
からだに
せんたくばさみのようなものと
まあるい ものを つけて
テレビに キザギザの ものが 
うつっていたよ。
みすず しんぞう ドキドキして
ちょっとだけ こわかったの。
(いくつぐらい つけたの)
ドキドキ していたから
わかんなかったの。


             ひかる
 きかいを みたら
 どきっと したの。
 「めを つぶって。」
 といわれて
 めを つぶっている あいだ
 おなかを きられて おなかの なかみを
 とりだされてしまうと おもったの。
 おわったら なんでも なかったので
 ほっとして
 どきどきしちゃったんだ。

 五十音図の清音と濁音、くっつきの「っ」の文字を覚えたころには、絵にも自分で題を書くようにしていく。
 ここでだいじなことは、あまり表記のまちがいなどをはじめから指摘しないことである。

教育であって 国語教育であって 文章表現指導である作文教育

2011-05-31 14:59:47 | Weblog
    国分先生の遺言
            広田 早紀
 みんなおもしろそうに聴いています。
からだをゆすって笑っている人もあります。お話の内容がわかりやすく、話ぶりがあかるくて表情ゆたかであるためでしょうか。わたしもときどきシンからわらいながら、たのしくきかせていただきました。しかしたんなるおもしろいお話ではありません。いうまでもないことですが。

 きょうのお話でもそうですが、三年前に横浜で、『こんな子どもに育てたいので』(註)を久しぶりにおききした時から、大手術をされたということもあるでしょうが、約半世紀にわたって生活綴方の発展と擁護のためにいのちをかけてこられ、『現代つづり方のたたかい』(国分一太郎著 百合出版)を力説される先生の若い方々への遺言のように思えてなりませんでした。先生がいま雑誌に連載されている『いつまで青い渋柿ぞ』や『みどりの風のふくなかに』を読んでいて、きょうのように、じかに先生のお話をきくと、いっそうの思いをつよくします。わらいながら身のひきしまる思いがするのです。
 三十余にわたって先生にたくさんのことを教えていただきながら、それにむくいるだけの仕事ができないままに、いま現場にいないわたくしだから、このように思うのかもしれません。「草場のかげから」などと聞くと、たいへんさびしく思います。
きょうはまたひとついい勉強をさせていただきました。

  国分一太郎が亡くなる前の年、1984年7月29日、高知県の幡多で講演を聴いた広田早紀の感想である。講演のタイトルは、見出しのとおり。

註(『こんな子どもに育てたいので』この講演記録は文中の『現代つづり方のたたかい』に付録2として収められている。)
*広田早紀さんには『花の薫りはそれぞれに…つづり方とともの歩んで…』(南の風社)などの著書がある。

 この資料は、同じ幡多にお住まいの宮川昭男さんから送っていただいたもの。宮川さんからは――森広幸さん経由で――このときの講演の記録となるテープを戴いている。
 いつか、そのテープをおこし、文字に「固着」させて、みなさんにも読んでいただきたいと思っている。
国分一太郎は、全国各地をこわれるままに出かけて行って講演した。できればそういったテープをダビングして届けて欲しい。
  国分一太郎の業績、考え、思い、そして、人柄を研究し、深め、伝えていくしことを、今、仲間とともに進めている。

   ・事務局  〒155-0033 東京都世田谷区代田6-19-2
    乙部武志方 電話03-3468-0973 FAX 03-3465-276

会場の図書室、作文教室に変身!田中先生の楽しい話に沸く!

2011-05-30 19:39:26 | Weblog
 先日、日本作文の会主催の作文協議会が第60回作文教育研究大会に向けての、巡回講演で話をさせていただきました。この大会は、東京作文協議会が共催して、その準備をしています。その実行委員会から「実行委員会便り」が届きました。そして、写真とともに、つぎのようなことが書かれていたので、文章の部分を、そのまま紹介させて頂きます。写真をのせられないのが、残念です。


◇5月14日(土)第3回巡回講演会・報告
      講演:作文の授業~その考え方・進め方~・池袋小学校図書室にて
      講師:田中定幸さん

 会場の図書室は、57名もの参加にうれしい悲鳴をあげることができました。イスやスリッパが足りなくなって、参加者がゆっくり講演を聞けたかどうか心配でしたが、みなさんの感想をいただいてほっとしました。ご協力ありがとうございました。
 田中先生からいただいた作文の授業力。聞き手を引きつける話し方、教室での動き方。どうか、毎日の教室で生かしてください。
 また、感想をいくつか紹介させていただきます。


《感想》

 私は、今年1年目で教員になったばかりです。作文指導は、いつも漠然としていて、私自身曖昧な部分がたくさんありました。子どもたちも苦手な子が多くいる学級なので、さらに、私自身も子どもの頃作文が苦手だったので、本日の「ある日型」を実践していきたいと思いました。思ったままの文章から、ある日型に、いつも型に書けるようになるか心配ですが、頂いた資料を活用させていただきたいと思います。(I)

 作文を読むときは、いつも机間を回りながら読んでいましたが、「はじめーなかーおわり」で動きながら読むと分かりやすいと知りました。「ある日型」「いつも型」の書き方の違いも初めて知り、とても勉強させていただきました。(K)

 まだ初任で、授業をして1ヶ月くらいしかたっていないので、なかなかイメージがつきませんでしたが、段落ごとに内容をまとめること、「ある日型」「いつも型」の授業への取り組みを、本を読んで勉強します。(W)

 田中先生の講演は、楽しくてとてもよく分かりました。4月に板橋区の実践講座に参加させていただいた時、板橋作文の会の先生の講座を受けました。これを受けて、今年度、日記指導を始めました。子どもたちの作品を読むと、楽しい気持ち、穏やかな気持ちになれます。「心が動いた時、その時のことをくわしく書く」今日は、このことをさらにくわしく教えていただ
きました。子どもの書いた作文を読み合い、共有し合うこと、心をつないでいくことを、私も出来ることからやっていきたい
と思います。(T)

◇若い先生の参加がとても多くて、会場が華やいで見えました。田中先生の楽しいお話もさることながら、若い先生たちのファッションが、なかなか素敵だったからです。
 元気もらいました。(佐藤や)


  ◆大会実行委員会事務局連絡先
   小柳光雄〒194-0202 町田市下小山田町2540-2
    ℡ 042-797-2362
   P C メールアドレス(subaru1123@adagio.ocn.ne.jp)


 実行委員の方々、お話をさせていただく機会を作ってくださり、ありがとうございました。私の話は、先輩に教えられ、また、綴方の本を読み、自らの実践をくりかえしたなかで学んだことです。
 いいお話ができたとしたら、日本作文の会が主催する、「作文教育研究大会」に、18回静岡大会以来、一度も休まず参加しているからかも知れません……これは自慢です……
 今年は、7月29日(金)~31日(日)に東京で開かれます。もちろん参加します。


           ーー大会のことを知りたい方は、上記、事務局、小柳光雄さんに聞いて下さい。




「おはなし」に題をつける

2011-05-28 23:54:04 | Weblog
どんな だいが つきますか


文字がだんだんと読めるようになってきたら、子どもたちの「おはなし」を黒板に書き写してあげる。

       わたなべ ゆみこ
  めの びょういんへ いきました。
  おいしゃさんが あっかんべーって やって
  めぐすりを いれました。
  おわった とき、
  めぐすりが たれてきたの。

 今の「おはなし」は、こんな話しだったね。と読んでみる。内容をたしかめた後で、「このおはなしに、題をつけてみよう。」と問いかけてみる。
 「めの びょういん」「めぐすり」「あっかんべー」などといろいろな題が出てくる。それを板書しておく。いろいろな題をみんなで考えた後で、話した人に、どの題がいいかを決めてもらう。
 ここでは、話した人が気に入った題をつけるのがポイントである。話した人の考えを大切にすることが何より、であり、話し手に自分が話したことが何だったのかふりかえらせるためでもある。
 題をつけたあとで、もう一度、題、話した人の名前、そして、話した事柄を読む。

 
 こうしたことを繰り返すうちに、子どもたちは、題をつけてから話し始めるようになる。
題をつけて話すと、その題とは関係ないことは話さなくなる。一つのことを選んで話せるようになっていく。連続している生活の中の一コマを選ぶという、題材の切り取りができるようになっていく。

  てつぼう
           つるた さなえ
  きのう
  うんどうじょうで
  てつぼうを やりました。
  まえまわりが できました。
  はじめて できました。



 この、「おはなし」に題をつける学習は、子どもたちもたのしみながら進めてくれる。そして、この時期の「話す・聞く」、そして自己表現力をそだてるためには、ぜひとも、とりくんでほしい「言語活動」である。
だからこのことは『育てたい表現力』――アルシンドの覚え書きーー(田中定幸著 一ツ橋書房)でも「題をつけて」として、次のように書いている。

    題をつけて

 みんなのまえで、「おはなし」をさせたものも「ぴかぴか」(一枚文集)にのせていく。また、その「おはなし」には、できるだけ題をつけさせて話させるようにする。ときには、みんなで題を考えたりもさせる。
            +
 なかには、題をつけるなどというと、そんなことが一年生の一学期にできるのかと言う人もいる。
 でも、子どもたちは、クラスの友だちの話をたのしみに聞き、いっしょになって考えてくれる。あとで作文をしょうかいするさきちゃんが、つぎのような「おはなし」をする。

  おとといの よる
  ごはんを たべおわってね
  おかあさんが あしを のばしたらね
  むしみたいのが あしの したを とおったの。
  あしの したを みてみたら、
  ごきぶりが いたの。
  「ひゃあ。」
  と おかあさんが いって、
  おとうさんに ごきぶりを とってもらったの。

 にこにこしながら話をするさきちゃんに応えて、クラスのみんなも笑いながら聞いている。そして、題を考えてくれる。

 「ごきぶりのはなし」
 「おもしろい」
 「おかあさんとごきぶり」
 「おととい」
といったような題がでてくる。
「さきちゃんは、どんな題がいい?」
と言うと、「おかあさんとごきぶり」がいいと言うのである。
「そう、では、いまのさきちゃんのおはなしは、『おかあさんとごきぶり』という題だね」と言って、メモを見ながらアルシンドがもう一度そのお話を読んであげる。
 題は、話したいこと、話したことを意識化させるためにつけるものである。
 そして、こうした話し合いが、「何を」表現するのかを考えるときにこれからさき、じょじょにつながってくれればいいと思っているからである。また、表現したいという意欲が高まっていけばいいと思っているからである。

                ◇一年生の教室だけでなく、どの学年でも工夫して実践することをおすすめします。



あらきそば

2011-05-27 18:28:30 | Weblog
        「いなかのうまいもの」


 「国分一太郎生誕100年の集い」が、今年の夏、7月23日(土)~24日(日)に、山形県の東根で開かれることは、このブログでもご紹介しました。
 その折り、是非訪れていただきたいのが、国分一太郎が若い頃、年に5,6回は通った「あらきそば」。
 『いなかのうまいもの』(1980年・国分一太郎著・晶文社)に、つぎのような文章があります。(P203~207)

  蕎麦切

 奥羽線楯岡駅から西へ最上川をわたってすこし行く大久保の「そばきり」の名人芦野勘三郎じいさん、あとつぎの又三・熊子夫妻と親しくしてもらっている。「そば」を食べにはじめてよって以来二十年のつきあいである。それに昭和五年はじめて教師になり、心のあう同僚であったから、その後つきあいを断たない東海林隆君が、又三氏農業学校時代の教師だったというので、いまは自動車学校の校長をしている同君といっしょに、年に、五、六回はかならずそこを訪ねていく。
 あまり行かないと又三氏の方から、病気ではないかとのハガキがくる。ワラ屋根の入り口をはいったすぐのところのいろりに炭火が赤くおきている。そこにすわった勘三郎じいさんが、私のあいさつする頭を、「お前のあたま、カッパのようにまんなかだけがはげたなあ」とこのごろいう。自分はつるりとはげて、おまけにこのごろその中身も弱ったようすなのが残念だ。
 ここに来て、私がまなぶのは、あとつぎの又三氏の守旧のこころである。又三氏はおごらない。ここの「そば」がどんなに有名になっても、家を店風につくりかえたりは決してしない。百姓家の格子障子のある普通の座敷で、昔風の「板そば」だけをくわせる。このならわしをそのまま守っている。いつ行っても座敷が改造されたりはしていない。外便所だけがきれいにできている。その便所を私はほめる。それといっしょに、そばのなかみが、おじいさん以来の秘訣のままなのを私はよりいっそうほめる。
 それ以上に、私は、そばをゆであげるかまの、その下のかまどの、「おがくずがま」であることをほめる。朝早く起きて、まずやることが、そのかまどにおがくずをつめて、どんどんつきかためることだと熊子さんがいう。そのつきかために使う、昔の餅つききねが、だんだんやせ細っていくのを、この家に行くたびに、私は見せてもらう。そしてガスも石油も電気もつかわずにゆであげた「そば」のうまさを、いまさらのように味わう。
 こう有名になると、「なかみ」はともあれ、「つゆ」がまずいというひとがあるかもしれない。それを心配して、東京にいる私は、そばのことについて書いた本が出ると、すぐ購って又三氏に送ってやる。それを又三氏が参考にしているかどうかは知らない。が、あの「あらきそば」の「そばつゆ」が日本のどこの「そばつゆ」よりおとっているとはけっして思えない。ほれあった同士のほめすぎであるのだろうか。(一九七四年)

  *

 この小文をかいてしばらくたったあと、当の「あらきそば」を訪ねたら、勘三郎じいさんはなくなっていた。昭和四九年五月二十九日とのことである。おどろいて仏さまをおがましてもらい。位牌を見れば、そこに「蕎月軒勘光道忍居士」と記されてある。村のお寺の住職で、前に村山市市長もなさった伊藤好道氏が、つぎの白居易の詩からとって贈られたという。

   村夜

  霜草蒼蒼 蟲切切
  村南村北 行人絶
  独出門前 望野田
  日明蕎麦 花如雪

 岩波書店の『中国詩人選集』のその部分をひらいてくれた息子又三さんと、この詩の美しさとしずけさをおもいながら、哀悼の意を表した。
 かつて佐藤垢石氏に、「そばきりの名人」として絶賛されたこのひとも、とうとうなくなってしまったのである。しかしこの法号も、そのもとになったという白居易の詩も、あのじいさん、この藁屋根の家、周囲の自然風景に、なんとふさわしくできていることか。
 やがて息子又三さんは、あらためて、いずまいをなおすようにし、そばに寄りそってすわった熊子夫人とこもごもに、いつもの静かな口調で話しはじめた。
「先生に、おわびをしなければならないこと、あるのよっす」
 おどおどするおももちでかたることは、つぎのようであった。
 せっかく書いてくださったけれども、あれはつづけられなくなった。ちかごろオガ屑を買いいれることがむずかしくなり、そばをゆでる湯をわかすかまどに、それをもちいることができなくなった。わたくしたちも残念なんだけれども、どうしようもない。
「先生、どうか、ゆるしてけらっしゃい。そのかわり、プロパンガスの火のもやしかたに注意して、いままでと、けっして変わらない、そばのゆでかたをするつもりだからっす」
 外材などの輸入で、オガ屑のでる製材所が、だんだんすくなくなっていたのに、こんどは、そのオガ屑を、なにかのキノコ栽培のために、遠い他県から買い集めにくるものがいて、ついに入手できなくなったのだという。
 又三さん夫婦はそのオガ屑がまをほめたわたくしに、おわびをせずにはいられないのだという。ほんとにもったいないことである。
 わたくしは、おふたりの純粋きわまりない心根に感動し、
「いいえ、いいえ」
というよりほかはなかった。
 それから、いつものミガキニシンの味噌煮で、お酒をごちそうになり、前とかわらぬ歯ごたえと味わいの「そばきり」に腹をふくらませて、日ぐれ近くに、その家を辞した。
 帰途も、白居易のあの詩と、法号とを口につぶやかずにはいられなかった。(一九八0年)

 「あらきそば」へ行く前に、『あらきそばの神髄』―超極太粉打ちの秘伝を探るー(里見真三 文藝春秋 2001年)を読んでいくこともお薦めします。

  「あらきそば」
     山形県村山市大久保 甲65
     電話 0237-54-2248
     営業 11時~18時

経験と知識

2011-05-26 17:40:48 | Weblog

  教師の技術


 『教師』―その仕事―の「Ⅵ 教師の技術」のなかで、「魂の技師」である、ととらえる国分一太郎は、教師の持つべき視点として第一に「経験と知識」の問題を取り上げている。現場の実践例から学ぶとして具体例を示した後で、次のように書いている。(P171~174までの一部を引用)

 二、三の例だけあげましたが、教師たちが、「経験と知識」ということで考えなければならないことは、このようなせまい範囲のことだけではありません。
 経験だけに頼ってもならないし、知識だけにたよってもならない、いつも両方を大切にしてやらなければならない……このことは、じつは次のことを意味するのです。人間の精神を形成する方法には、

 ○生活経験にしたがって具体的な事物・事実から学ばせる方法と、すでに、よくできている文化・理論・知識から学ばせる  方法とがある。それをいつも結合させる方法がある。
 ○直接経験によって学ばせる方法と、間接的経験によって学ばせる方法がある。
 ○生活そのもののなかで学んだことを大事にする方法と、本から学んだことを大事にする方法がある。

 だから、状況に応じて、この二つの方法のうちどちらかひとつを、特に大事にすることはいいが、いつも、この両方を駆使しているのだ、これを、つねに統一しようとしているのだとの自覚を失わない必要があります。

 また、その後には、「子どもは事物から学ぶことの名人です」と述べたあとで、

 しかし、教師たちは、このことだけに望みをかけていてはなりません。教師は、わずか十年ぐらいの間に、かつての人類、いまの人類がきずきあげてきた知識や文化の基礎を、もっとも的確に教えなければならない人たちだからです。それで、教師は、有用な知識を、子どもたち、これをもっとも受け入れやすい状態のとき……すなわちさまざまな事物をよくつかんで、そこから何か理論めいたものをつくりだしかかっているとき……に上手に与えてやらなくてはなりません。あるいはまた、せまくるしいところで、グルグルまわりをしているときに、その視野をひろげてやるために、間接的な経験を、その間に投じてやらなければなりません。教師が別な事実を出してやってもよいし、知識を出してもいいし、本を読んでやってもいいのです。
 たしかな事実から、たしかな知識をつくり出させてやる、そして、そのつくりだした知識ないし理論は、じつは、すでにつくり出された、こういう知識ないし理論と同じものであるということを、あざやかに示してやることのできる教師は、ほんとうにすぐれた教師です。(以下略)
         
                                       ――なるほど、なるほど。

「おはなし」を書きとめる

2011-05-25 23:18:07 | Weblog
おはなし いっぱい

 
  きょう、あさ、おらが、ねてたら
  あかちゃんの ゆみと いう やつが
  おらの ほっぺた かんで おこしたの。
  おらが おきたのに、
  また、つねって きたの。
           (けんいち)
  
  やすみじかんに
  みいちゃんと
  しいそうに のったの。
  たかすぎて のれなくて
  それで やすみじかんが
  おわっちゃったの。
          (さゆり)

 聞くだけでなく、「おはなし」を、ノートに書きながら聞いていく。
 これは教師の仕事である。大切な役割である。
 ノートにとりながら聞いていると、教師のメモに合わせて、ゆっくりと子どもたちは話し出す。自分の話を先生もしっかりと聞いていてくれる。ノートに記録してくれているという、小さな喜びを感じながら。

  あさ くるとき
  いぬが いたの。
  その とき めすと おしが いたの。
  おすが しずかで、
  めすの ほうが こわかったの。
  (どうして おすと めすが わかったの。)
  だって、めすは、
  おりぼん つけて いたの。
                  (さおり)

 教師が、「おはなし」を書きとめてくれている。みんなが、「おはなし」を聞いてくれている。
「今は、わたしが主人公」
 これは、存在感を感じさせることにもなり、安心して学校生活をおくるようになう。生活意欲を高めることにもなる。

 また、ゆっくり間をとって話し出すと、ことがらごとにくぎってていねいにそのときのことを思い出すようになる。そうして、話しの内容がどんどんふくらんでいく。

  きのう
  すいぞくかんに いって
  えいがを みたら
  さめが でて きたの。
  それで、こわくて
  めを つぶっちゃったの。
  めの まえに さめが でてきたから。
  それで おわった とき
  めから なみだが でたの。
        (ひかる)

「おはなし」をさせる

2011-05-24 23:31:31 | Weblog
 
一年生の教室



  せんせい
  この みじかい ずぼんと
  ぶらうす
  きのう よる もらったの。
  (だれに もらったの)
  おじさんと おばさんに もらたの。(りの)
 
 子どもの話すことばをひろったり、あつめたりする。また、教師は「聞きたがりや」になって、子どもの話しに耳をかたむける。
 そして、きのうあったことを話させる。学校であったことで心に残ったことを話させる。朝の会で、国語の授業で、あるいは生活科の中で。また、帰りの会でも話させる。

  きょう
  たいいく あったでしょ。
  のぼりぼう
  はじめて のぼれたから
  うれしかったの。
  いい きもちだったの。
  まわりを みたら、
  きれいだったの。
        (さとる)

 「おはなし」とこれを呼ぶことにする。
 これも、身のまわりのものごとへのかかわりを深め、感じやすい心を意識的に育てる仕事である。
 そのクラスの子どもたちにとって、ここでも発見したり、おどろいたり、おもしろかったり、夢中になってやったりしたことなどを話させる。
 草花のこと、虫や生き物とのかかわり。友達とのこと、先生のこと。父母のことなど、話題をひろげていく。
 生活への興味・関心と感動する心。そして、作文の題材への広がり・多面化を考えながら。「おはなし」をクラスの子ども達とともに、うなずきながら聞いていく。


自発と指導

2011-05-23 11:35:28 | Weblog
『教師』-その仕事ーより
 
 若い先生が、作文の会の例会で提案してくれた。子どもの気持ちをたいせつにして、対話や、グループでの話し合い活動をとりいれて、学習を進めているが、思うように子どもたちが発言してくれない、積極性が育たないというような話しをされた。
 そうであったら、もっと、教師が積極的に発言をして、子どもたちに「物語」の授業であったら、どう物語を読んでいったらよいか、「指導」をしていく必要があるのではないかと伝えた。
「自発」と「指導」、若い先生にとっては、誰でもが悩むことでもある。ましてや「新学力観」のもとに子どもの頃「支援」された人たちが、「教師」になっている時代である。

 『教師』のなかで、国分一太郎は、前回の目次でも示したとおり、「Ⅵ 教師の技術 4自発と指導」のなかで次のように書いている。

 前に「経験と知識」のところであげた第一例では、なんとわるい自発活動のみを、子どもにやらしていたことでしょう。あんなことをやらしていて、自分は教室に腕ぐみしている先生のことを、ある親は「月給ドロボウだ」と言いました。先生といっしょに、ノートを持って印刷工場に見学に来て、「印刷のしごとは、いつごろからどこではじまったのですか」とたずねた五年生の女の子に、千葉県のある印刷労働者は、「かわいそう」とは思ったけれども、「おれは先生の月給をもらっていないから、それをもらってるあの人に聞け」と、先生方を指さしてやったと言っていました。
 戦後にはびこったわるい自発的学習は、「自発」と「指導」の正しい使い分けを無視していたと思います。その結果、先生は教えない人になり、親たちは、前にも書いたように「先生とは何する人なのかしら」と疑いを持つようになりました。
しかし、まじめに物を考える日本の教師は、子どもの自発性を尊重し、同時に、教師の指導を大切にしております。

  みみず うまいなあ
  うまく じをかくぞ
  そら かいた。
  6だ、
  しだ、
  のだ、
  3だ、
  8になれ、
  つになれ、
  2になった。
           *
  みみずが、からだで じをかいた。
  しまだ(島田という姓)の「し」とかいた。
  それから、の、く、つ、3,2,9,6
  みみずは じょうずだな
  じょうずに じをかくなあ。

 秋田県の熊沢文雄君は、この詩をほめながら、「よくみてるとおもしろいね」と、子どもたちによびかけています。一年生の子どもたちにも、ひとつの指導をしようとこころみているわけです。
 子どもたちは、これを偶然に見つけたのかもしれません。これを自発の心が見たよろこびで、この詩を書くことになったのかもしれません。これに理科好きな教師として、なにげなく投げあたえた熊沢君のコトバは、どういうものとなるでしょうか。この指導のコトバは、
 ――よく見てるとおもしろい。
ということで、これからあとは、別なものに対して、いっそう熱心な観察の目向けさせることになるでしょう。そう信じたいところに教師たちの夢があります。たのしみがあります。(以下略)
                             『教師』(国分一太郎著 岩波書店 P190~193より引用)  

せんせい せんせい

2011-05-22 10:51:21 | Weblog
…一年生の教室…

 せんせい
 あっちに
 あかと きいろの
 ちゅうりっぷ あったよ。
 ここに しろいの ある。
 あか しろ きいろだね。
        (さとみ)

 ぼくんちには
 あかと きいろの まじったのが あるよ。
                (さとし)

 せんせい
 さっきの くしゃみ
 おもしろかったよ。 
 はくしょん じゃなくて
 はくしゅんだよ。
      (けんいち)

 せんせい みて。
 なおの えんぴつ
 せのじゅんに ならんでる。
        (ほりこし なお)
 
 せんせい
 いいかげんに なまえ おぼえて。
         (さおり)
 「ハイッ。」


 あっ
 ありが あなの なかに はいっていく。
 ありの うちが あるんだ。

 あっ、
 ふんすいだ。
 ぐるぐる まわってる。
 あっ
 ばつじるしに なったよ。


◇子どもの驚き 発見を書きとめる。
 黒板に書く。
 学級通信にのせる。
 みんなで、読む。