ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

 つづる3   三 二つの作文のちがい

2014-12-23 22:57:35 | Weblog

 

つづる3

《子どものうちに育てておきたい表現力》

三 二つの作文のちがい

―「ある日型」と「いつも型」―

                  日本語教育部会協力研究所員 田 中 定 幸

(一)竹馬のことを書いた二つの作文

 

  たけうま                    三年 みゆき

①    きのうのひる休みに、たけうまにのっていたら、たいらさんが、

 「のれた。」

 といいました。わたしが、

 「なんぽ。」

 ときいたら、

 「じゅっぽ。」

 といいました。

② わたしもちょうせんしたら、五ほあるけました。あんなちゃんが、

 「すごい。」

 といってくれたので、わたしはうれしくなって、どんどんつづけました。

③ そしたら、あんなちゃんが、

 「あおのとびばこからピンクのとびばこまで

きて。」

といったから、わたしと平さんがいきました。

 そしたら一回しっぱいして、二回しっぱいして、三回でやっといけました。つぎは、きょりをはなして、やってみたら、ひっかかってばかりでした。

④ あんなちゃんがたけうまの先生で、テストのれんしゅうをしました。そして、あんなちゃんが、

 「あしたは、テストだよ。」

 といいました。わたしは、れんしゅうしなくっちゃと思いました。

  あしたになって、そうじがおわったらすぐにじぶんでつかっているやつをはやくとって、テストをうけたいなと思いました。ほかのやつだったらやりにくいから、はやくはしっていこうと思っています。

 

  竹馬のれんしゅう

            三年 彩乃

① わたしは、いつも竹馬にのっています。先生に、

 「竹馬にのってもいいんじゃない。」

 といわれてから、友だちと、毎日のようにやっています。

② わたしは、すこし前から竹馬をやっていたから、友だちにやりかたとかもすこしおしえています。はじめは、友だちに、

 「いいね。うまくできて。」

 といわれていたけど、おしえているうちにみんなもうまくなってきました。

③ でも、みんなは、のる所を、横にむけてやっているけど、ほんとは、ぼうの上の方をすこし中にして、下の方を、ほんのすこしだけ外にひらくと、うまくのれます。そして、ぼうを、前の方にすこしななめにしてやらないと、うしろにひっくりかえってしまうのです。ぼうも、できるだけあっているものをえらびます。

④ このごろは、二十分休みになると、いつもきょうとう先生の所へいって、

 「体育そうこのカギありますか。」

 と言って、カギをかりて、体育そうこにかけていきます。すると、たいてい、友だちがきてまっています。

⑤ いつもたのしくなってくると、二十分休みのおわりのチャイムがなってしまいます。ああつまんないと思います。でも、昼休みがあるからいいと思います。そして、昼休みがおわると、あしたがあるからいい。あした、また竹馬をやろうと思います。それも毎日。毎日、毎日、そう思います。

 

 この二つの作文は、三年生の子どもたちに、「最近したことで、心に残っていることでもよいし、自分が今思っていること、考えていることでもよい。なんでもよいから書きたいと思ったことを、一つえらんで、そのことを作文に書きましょう。」こういって書いた中から生まれた作品です。

 そのときは、子どもたちがその時期、休み時間に竹馬にむちゅうになっていたことも知っていたので「竹馬で遊んだことでもよいし、むちゅうになって何かをしたことでもよい。」といって書いてもらったのです。そう言ったこともあってか、「竹馬のこと」について、4,5人の子どもが書いてきました。その中からえらんだ作品です。

 二つの作文が生まれたとき、この二つの作品をつかって、「表現のちがい」について、学ばせられると考えました。

 段落に分けてないところがあったり、文脈が少しみだれていたところもあったので、本人を読んで、たしかめて、できあがったものです。子どもたちの学習のために役立てようと「教材化」したものです。読みやすいように、二つの作品を上下にレイアウトして一枚のプリントにして配布します。

 この二つの作品の「ちがい」を比べさせて、文章表現力を身につけさせるための授業をしました。そのときの、おおよその展開のしかたをここに、紹介します。扱い方を工夫すれば、どの学年でも実施できます。(注1)

 

(二)二つの作品を使っての授業展開

(1)題の「ちがい」

 子どもたちには、白紙の用紙、あるいはノートの真ん中に線を引かせて、上の作品と下の作品とを対比させながら、「ちがい」を見つけて、書いていくようにさせます。

 そのメモのとりかたを確認する意味もこめて、「読んでみて、はじめに気がついたちがいについて発表してみようと」発問します。

 すぐに教師の意図に反応してくれる子どももがいます。「はじめに」ということばに反応してこたえてくれます。「題がちがう」。書いた人がちがっています。ふたりは竹馬のことについて書いているけど、みゆきちゃんのほうは、たけうま」とひらがなで書いているけれど彩乃ちゃんの方は、漢字をつかっている。

 こういった発言がでてきたら。それをちょっと整理しておこうね。」といって、板書します。教師も黒板の真ん中に、横線を引きます。そして、題がちがうんだね。上の作品の題は、とたずねて「たけうま」と書きます。そして、下の作品の題はと、ここでもわかりやすい質問をし、それをみんなに言わせながら板書していきます。そして、書き手の名前も確かめて書きます。

 二つちがいが見つけられたね。一つは、題のちがい。そして、書いた人のちがい。そして、上下に分けた線の上部には①の作品のことを、下部には②の作品について書くことを実際に、黒板に「題」「書いた人」と板書します。これを子どもたちにもうつさせて、ちがいを見つけたときのメモの取り方をわからせていきます。そして、時間をとって、気づいた「ちがい」を書き出させます。

 

(2)いろいろなちがいを整理する

①上の方が、漢字が少なくて、下の方は漢

字が多く使われている。

②みゆきちゃんのほうが、「会話」の数が多い。彩乃ちゃんのほうが、少ない。

③みゆきちゃんは、竹馬が上手になってきて、ほめられてうれしかったことを書いているけど、彩乃ちゃんは、竹馬が上手で、楽しくって毎日やりたいということを書いている。

④上のほうは、たいらさんとかあんなちゃんと名前が書いてあるけれど、下は、「友だち」と書いている。

⑤みゆきちゃんは、竹馬の(乗り方)の練習中。彩乃さんは、竹馬の先生みたい

 次々に、発表されることを、教師は板書していきます。その際、黒板の全体の中でどのへんに何を書くか決めておきます。《題》《名前》《内容》《組み立て》《書き方(記述)》《いつのことか》《かかわり方》というように、頭の中に描いておきます。

 そして、たとえば、③と⑤がでてきたところで、この二つのちがいは「何のちがい」か考えさせます。むずかしいようだったら、これは、「書きたいことや気持ちのちがいだね」といって、「竹馬のこと」を書いていても、書きたいなかみ・内容(主題)のちがいであることを理解させます。そして、「題」「名前」の時と同じように、「内容」と板書して、何のちがいかを明確にするようにします。

(3)「書き方」のちがい

 これまでの学習経験のちがいから、内容の面ばかり目がいく場合もあります。そういう時には、①や②や④の会話や漢字の数がちがうところなどにも着目させ、これは書き方、表現の仕方の違いであることに気づかせて、あらためて「文章の組み立て、記述のちがい」について考えさせます。

 そして、⑥出来事の順に書いている。下のほうは、そうではない。時間の経過、したことの順に書いていることを見つけられたことを評価します。下の彩乃さんの文章は、どんな順に書かれているか考えさせます。この言い方がむずかしいようです。「出来事の順ではない」「時間の順には書いていない」「作者の考えた順に、書かれている」などと答える場合がありますが、一番わかりやすい言葉でまとめればよいでしょう。「時間の経過にそってないこと」をおさえることが大事なことなのです。

 一文、一文のちがいについても目を向けます。上の文章は、文の終わりの表現の形(文末表現)が、「…しました。」「…しました。」と書かれています。下は「…ます。」「…しています。」と書かれていることを確かめます。

 そして、「組み立て」とつなげて、上の文章は、できごとの順に「…しました。」「しました。」と書いている文章であること。そして、下の文章は、できごとの順ではなく、書いた人が考えた順に、「…です。」「…ます。」と書いている文章であることをおさえます。

高学年の場合には、文末の「…しました。」「…しました。」という書き方は、どんなときに使われるのかと問いかけます。すると、終わったことを表すので、これを「過去形」と呼ぶ場合もあることを知らせます。

「…です。」「…ます。」という文末表現は、説明するときに使われることから、「説明形」表現と言う場合もあること。また、「…です。」「…しています。」という形は、「…しました。」という過去形に対しては、現在形表現であり、「私はいつも竹馬をしています。」という表現でありこれからもするということから「未来形」表現であり、「現在・未来形」が使われているということもできることを理解させます。

(4)「かかわり方」のちがい

 ⑦上の文章は、「きのうのこと」を書いているけれど、下の方の文章は、はっきりとした日のことでなく、「いつも」のことを書いている、ということにも、気づきます。

 このときには、それを補うかたちで、教師が、次のような図を書きながら、説明をします。(略) 

 こうした説明から、「ある日の」「一回限りのこと」として書いている文章と、「長い間にわたって」、「何度も、何度もあったこと」で、「いつもいつも」思っていること、考えていることを書いているところにちがいがあることを理解させます。

 みゆきさんの書いた「たけうま」は、ある日の昼休み、言い換えると、「ある日の、ある時」に竹馬をしたときに、「この日一回だけのこと」を題材にして、うまくのれるようになってうれしかったこと。すなわち心が動いたことを思い出して、したことの順に、友達の話したことも入れながら「…しました。」「…しました。」と書いた文章ですねと、板書されたことがらをさしながら、こうおさえます。

 そして、こんどは彩乃さんの「竹馬」の作文は、「ある日」のことでなく、何日も何日もくりかえし竹馬をしたことで、気づいたこと思ったこと、考えるようになったことを、書きたいことの順序をきめて、考えた順にまとめて、「…です。」「ます」と書いた文章ですねと、こんなふうにまとめます。

(5)「名づけ」をする

 この「かかわり方」のちがいを理解させたあとで、「ある日のこと」を書いた作文と、「いつものこと」を書いた作文とは、書き方に大きなちがいがあるので、名前をつけてみようと、さそいかけます。

「できごと作文」「したこと作文」「ある日型」「生活文」など、そういった言葉が上の文章には出てくるかもしれません。下の方では、「説明した文」「説明文」「いつも型作文」というような名前が出されたりします。その中の一つをとって、みんなで呼ぶ名前を決めます。「名づけ」をします。

 「ある日型」としたり、「ある日のこと」作文とでも名付けたら、「ある日型の作文にぴったりの歌があるでしょう。」と言ってみます。「ある日、ある日」と節を付けて歌ってあげれば、子どもたちも歌い出します。「もりの なか くまさんに、であった はなさく もりの みち くまさんにであった」。二番も歌います。「ところが あとから くまさんが ついてくる とことことことこと」。そして三番。ここには会話も入ってきます。「おじょうさん おまちなさい、…」。こんな具合にみんなで歌います。これは「もりの くまさん型」作文とも名なづけることができます。

 では、「いつも型」の作文の歌は、というと「いつもの駅で、いつもあう、セーラー服の おさげがみ もう くること もうくるころ 今日も まちぼうけ」と歌います。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが坂本九の「明日がある」の歌です。

 ちょっと脱線?をしながらも「ある日型」と「いつも型」のちがいを意識づけるのです。

 

(6)どちらのほうがいい作文?

 さて、二つの文章、「どっちの方がいい文章だと思いますか。」と問いかけたときには、どんなこたえがかえってくるのでしょう。

 上の文章のほうが名前がはいっていたりして具体的に書いているのでやさしい。下の方が竹馬ののりかたを説明していてなんだか気持ちがはっきりしないように思える。けれども、どっちともいえない。子どもの多くは、聞かれたらこまってしまいます。

そこで、二つの作文は、それぞれ書き表したいことがちがっているのだから、どちらがよいと一言ではいえないと先生も思うんだよ、というと、子どもたちは安心します。

 一概に、作文の評価はできるものではないし、あらかじめあてをはっきりさせて、書かせたものではないからです。

 

(三)学習の「まとめ」

 こうして文章の書き方についての授業をしたあとは「まとめ」が大切です。板書を写真に撮っておき、それをもとにして、次のような観点から表にして整理し、プリントして子どもたちに定着させます。《作文の題・書いた人・書きたいこと・内容・いつのことか・文章の組み立て・文末の表現・文章の型》(注2)

 そのあとの作文の学習では「ある日型」「いつも型」が、文章を書くときのキーワードになって、有効に展開されることになります。

 ところで、「ある日型」「いつも型」、一斉指導で授業を展開して子どもたちに書くように指導するときは、どちらを先に指導するほうがよいのでしょう。

〈注1.2〉については詳しくは、『作文指導のコツ② 中学年』(田中定幸著 子どもの未来社)をご覧ください。           (綴方理論研究会)

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国分一太郎「教育」と「文学」研究会・紀要3号のご案内

2014-12-18 10:44:56 | Weblog

 

 紀要3号を発行しました。会員の方には、今回は無料でさしあげています。(3号は、お預かりしている賛助金・会費でまかなうことにいたしました)まだ、届いていない会員の方は事務局へご連絡下さい。また、頒価600円でご希望の方にお送りしています。残りがすくなくなりましたので、希望され方は早めに申し込んで下さい。

■国分一太郎「教育」と「文学」研究会・紀要

          「教育」と「文学」の研究

 

第3号

□研究論文・他

 ・生活綴方から人間綴方へ 

―国分一太郎と生活綴方の「現代」―            安部 貴洋…1

  ・国分一太郎と自転車                      山田 亨二郎…7

 ・第10回研究会・来賓のごあいさつ               吉田 政志…右1

・座談会「長瀞と国分一太郎」                      

吉田達雄 奥山明男 山田亨二郎…右3

  ・久礼坂                            鈴木 義夫…右34

 

□実践の記録

・詩で思いの丈を書こう

―街の公民館「詩のひろば」17年間をまとめる―     片桐 弘子…32

 

□史料紹介

  ・「生活綴方」と昭和国語教育史―国分一太郎学芸大学特別講義より その4 

―生活綴方の展開―                    田中 定幸…9

・国分一太郎「教育」と「文学」研究会 10年の歩み         榎本  豊…48

 

□特集

 ・本間繁輝さんを偲ぶ                                    …右13

 

□編集後記…50

 

  

 

「教育」と「文学」の研究 第3号

 

発 行 2014年11月15日

編 集 国分一太郎「教育」と「文学」研究会  

発行者 国分一太郎「教育」と「文学」研究会 会長 田中定幸

所在地 〒332―0023 埼玉県川口市飯塚1-12-53

国分一太郎「教育」と「文学」研究会事務局 榎本 豊 方

 電話 FAX 048-256-1559

e‐mail yutaka-e@cablenet.ne.jp

製 本 大徳製本所  ℡ 03-3623-5003 

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つづるー2  二 「作文の授業」の考え方・進め方

2014-12-17 11:44:55 | Weblog

 

 

二 「作文の授業」の考え方・進め方

 (一)「作文の授業」のむずかしさ

 文章表現の指導は、「作文の授業」として具体的に展開されます。「作文の授業」というとなんだかとてもむずかしいように思う人もいます。教科書には「作文」という言葉があまり登場しなくなったので、そう感じる人もふえてきました。また、作文の授業のむずかしさは、「学習の見通しがたてにくい」という点にもあるといわれてきました。そこには、創造性も求められる「表現」のもつ、特殊性からくるものもあるように思います。

  次のようなことも、よく指摘されます。

・「学級の実態」が、大切にされる。

・子どもたちにとって、学習のめあてがつかみにくい。

・教師自身も、指導の道筋がみえていない。

・学年ごとの指導のねらいが明確になっていないこと。

・授業の展開のしかたがわからない。

 また、綴方・作文教育の実践が語られるとき、子どもの生活や実態の多くが語られ、そこで生まれた作品によって、子どもの成長ぶりや、どんな子どもに育っていったかということが多く話されます。

 けれども、どのような目標をたて、そこで、どのような指導が行われ、どんな授業が展開されたのかがあまり話し合われません。一斉指導がどのような形で進められ、それと合わせて個別指導がどうおこなわれたかなどが、なかなか明らかにされません。

 文章表現にかかわる指導目標を明らかにしてとりくむことが、指導を形式的なものにして、表現技術ばかりを教えこむことになると考えたからかもしれません。表現技術の指導に偏ってしまってはいけないという指摘もよくされるので、その批判をさけているのかもしれません。もちろんこうした批判には耳をかたむけなければなりません。

 ここに「自己表現」を重視した文章表現指導のむずかしさがあるともいえます。

 けれども、文章表現指導のこうした特殊性にも配慮しつつ具体的な授業の展開を考えたとき、そこには「授業の原則」としておさえておかなければならないことがあります。

(二)「作文の授業」における10の原則

1 「ねらい」があること

 文章表現の指導においては、「自己表現」を重視するという立場から、子どもの主体性や表現意欲を大切にすることは言うまでもありません。できれば課題を与えないで、子どもたちが書きたいことを自由に選んで、自分なりに組み立てを考えて記述する。そして、その子らしさが出てくる文章が生まれることを期待します。

 けれども、限られた時間のなかに設定されている「授業」であるからには、はっきりとそこに「めあて」を教師はもたなければなりません。課題を与えずに、自由に書かせるときには、自由に書かせる理由がどこにあるのかを考えなくてはりません。

 また、子どもたちが書いた作品を、紹介するときにも、まず書き手の子どもの気持ちを何よりも大切にします。書き手の子どもの作品に「よりそって」読み合うことを基本にします。

 けれどもそこにも、なぜ、その子の作品をとりあげるのか、作品から何を学ばせたいのかを、はっきりしなければなりません。ただ、作品を読ませ、子どもにまかせて、気づいたことを、認めあうだけでは、よい授業のとはいえません。

 限られた時間のなかで行われて授業は、意図的計画的な指導であり、「とりたてた指導」でなくてはならないのです。

 

2 ねらいに応じたさまざまな授業のかたちがあること

 文章表現のねらいを、学級の実態に応じて立てることもあるし、また、その学年で育てたい表現力に合わせて立てるときもあります。

 そのねらいを子どもたちに学習させるときには、ここでも子どもたちがこれまでに学んできた経過や実態を考えて、どう展開していったらよいか考えなくてはなりません。

 できればいくつかの展開を考えて、そのなかからえらんで実践していくという心がけが大切です。

 たとえば、題材の多面化をはかりたいと考えたとします。子どもたちに自由に題材を選ばせ、書いた作品を発表するなかで、他の子どもから学びながら、取材の範囲を広げていく場合もあります。それとは違って、いくつか題材を紹介し、そのなかから選んで書くようにさせて、だんだんと「作文のタネ」として選べるようにしていく方法もあります。

「自己表現」を大切にする文章表現指導であっても、課題を与えて作文を書くように指導する場合もあります。のちにくわしくふれることになりますが、「ある日、あるときのことで、自然のなかで夢中になって遊んだことを、したことの順に、よく思い出して書こう」というような指導題目(単元目標)をたてて指導する場合もあります。

その場合、「ある日、ある時のこと」というのは、「対象へのかかわり方」(ここでは、なんどもくり返したことでなく、ある時のこと、一回限りのこと)をさします。次の、「自然のなかで夢中になって遊んだこと」というのは、今回は、学校生活、家庭生活などに題材を求めるのではなく、野や山や海や川で遊んだことを書こうと、ここでも条件を与えて、範囲をせばめていわけです。

こうした、課題をあたえ、指導のポイントを明確にして、子どもたちが表現の過程にそって書くことで、「何を」「どんな組み立て」で、「どう書くか」を学ばせることで、文章表現力の基礎をみにつけさせようとしているからです。

前の作文では、取材の範囲を限定していたので、今回は、書きたい題材を自由に選んで書くようにする時もあります。そして、生まれた作品を「鑑賞」するなかで、育てたい表現力を定着させる場合もあります。

また、必要に応じて、「書き出し」「会話」「構成の工夫」「描写」について、あるいは「原稿用紙の使い方」についてとりあげて、文章表現の方法として理解させることもあります。

「自己表現」を重視する作文の指導であっても、限られた授業時間のなかで行われるのですから、そこにねらいがあり、ねらいに応じた様々な授業が展開されなくてはならないのです。

授業は、子どもたちの自主性を尊重しながらも、教師としての工夫と創造性がそこに発揮されなくてはなりません。

 

3 授業は教師のはたらきかけを含めた子ども集団の学び合い

 

 ここでわざわざこんなことわりを入れたのには、理由があります。それは、原稿用紙だけを与えて、あとはすべて子どもたちにおまかせという授業をしている教師がまだいるようです。「指導」ではなく、「支援」だなどと言われるようになって、それに力をえたかどうかは分かりませんが、すべてを子どもまかせにしていることがあります。

子どもの持っている力に期待することは大切ですが、それ以前に教師が、どうはたらきかけるかが問題です。

それとは逆に、作文であっても、ワークシートが作られます。その流れにそって、書き込んで作品を書き、それを張り出すだけ。これではなんで集団で学習しているのか意味がわかりません。

学び合う集団の力を,どう生かすかも、授業のよしあしを決めるだいじな要素なのです。

 子どもたちは、教師に導かれながら学び始めます。子どもたちは、はじめは教師に導かれながらもやがてはその援助を抜け出して学んでいくのです。さらにすすむと、子どもたちどうしが、課題を出し合って集団で学習を進めていくようになります。

 そのためにも、教師が、どこでどのように指導して一人ひとりに課題として考えさせ、それを集団のなかでいかに発揮させるか、常に考えて進めなくてはなりません。作品を読み合う「鑑賞の授業」は、その代表的な一つです。

4 やさしいものからむずかしいものへ 

 作文の指導であっても、授業であるからには、やさしいものからむずかしいものへと順にすすめられていかなければなりません。子どもの成長・発達に合わせて、学年ごとのねらいを明らかにして書かせたいと思うのは、この考え方からくるといってよいでしょう。

 具体的には、表現方法・技術といった点では、題材の選択、構想のたて方、記述の仕方、推敲の仕方、観賞の仕方などについて、まず、何が基礎・基本になるかをおさえなくてはなりません。

 また、文章表現指導のはじめには、どのような内容と形式をもった文章をかかせることが大切なのかその縦軸となる系統性も明らかにしなくてはなりません。

5 学習は積み上げられていく

  そして、学習は積み上げられていくのです。その前に学んだ文章表現の方法と技術が、次の作文の学習に生かされなくてはなりません。「出来事の順に書く」という経験をさせたら、それを意識させて、「時間の順にはならない構成」もあることに気づかせます。そして、文章の構成は、大きくこの二つに分けられることを理解させていきます。

「ある日、あるとき」の出来事を書きつづった作文が生まれたとき、その作文が生まれた背景と、内容をおさえます。そして、その作文の構成が出来事の順に書かれていることを確かめます。そして、文末の表現の多くが「…ました、」「…ました。」という過去形表現が多くつかわれていることに気づかせます。

 そのことを確かめたら、この作文に名づけをします。「ある日型」の作文と呼ぶことにします。すると、こんどは、別な作品がでてきたときに、その違いが明確になります。

 作文の授業であっても、定着させること。それを「積み上げて」展開することも大切なことなのです。 

6「実作」が大切なこと

 「自己表現」を重視する作文教育では、内容と形式のすぐれている作品を手本としてあたえて書き方をおしえることを、できるだけひかえるようにします。「自己表現」を重視するところでも、述べているように、文章を書くときには、次のようなことが行われます。

 子どもたちは、生活体験をふりかえり、そのなかから一つのことを題材にえらびます。えらんだことがらを思いうかべ、構想をねり、一つひとつの事実と言葉をつきあわせ、言葉をえらんで書きすすめます。文と文のつながりを考え、さらには書きたいテーマ意識しながら書きすすめていきます。時には、立ち止まって、それまで書いてきた文章を読み返して、その続きを考えます。書き終わったら、読み直して、誤字や脱字をみつけたり、えらんだ言葉がぴったりしているかを考えたり、自分の気持ちをわかってもらえるために事実がきちんと書かれているかふりかえります。

 とても、繊細なしごとであり、集中力の求められる作業です。苦痛のともなう活動でもあるといえます。

 けれども、考えをめぐらし、ことばを駆使しながら文につづって、思い」や「考え」を目にみえる形にしていく活動は、文章表現独自の活動として位置づけなければならないことです。どう表現していくか悩み、考えるなかで、表現力は鍛えられていのです。

 こう考えてできるだけ数多く書く、「実作」の大切さを授業の原則の一つに位置づけておきたいのです。

7 「表現意欲」を育てることは何よりも大切にされる

 よい文章は、神経を繊細にはたらかせ、気持ちを集中させて書かなければ、けっして生まれてはきません。よい題材に出合ったとしても、よい作品にしあげたいという意欲がなければ、「はじめ」「なか」「おわり」のある「ひとまとまりの文章」にはなりません。

 教師は、授業をすすめていくうえで、子どもの表現意欲を喚起し、どう持続させるか、いつも考え、具体的な手だてをしていくのです。また、授業のなかでは、こうしたい、こう考えたいという子どもの主体性を尊重しなければなりません。

 また、ふだんから、この「表現意欲」を育てつつ、さらに、作文の授業をとおして、「書いて良かったな」という経験をもたせることが必要です。

 そして、自己を表現することはゆたかな心が育ち、成長を自覚することもできることに気づかせていくことで、表現意欲はさらに高まっていくのです。

8 子どもに育てたい内容をもつ

 ここでいう内容とは、子どもたちに文章表現をさせたとき、その結果とし、どのような文章が生まれてくるのか。また、そこでは、文章表現力としてどのような力が育つのかを、教師としては明確にしていなければなりません。

 その内容を、示すとつぎのようなものになります。「表現の原則」と、四つの表現の形を、文章表現の基礎・基本としておさえて、「子どものうちに育てておきたい表現力」とします。小学校、および中学校の学習の過程で子どもたちに育てたい文章表現のなかみです。

 

図表(この表はブログではうまく掲載出来ません。必要な方は拙著『育てたい表現力』(一ツ橋書房)あるいは『こどもと教育』№134(兵庫教育文化研究所発行)をごらんください。)

 9 指導は重点的、分析的、あるいは具体的に

 前に示したような文章を書かせるための指導は、見通しをたてて、目標を定め、具体的な展開をあきらかにして、進められなければなりません。この単元では、おもにどんなことをねらいにおくのか。また、この日の、この授業では、どんなねらいをもって行われるのかをあらかじめ、教師は考えておかなければならません。

 したがって、作文の授業でも、学習計画を立て、本時のねらいを明らかにした授業案(学習指導案)を、必要に応じて作るのです。

 ねらいを明確化し、重点的に指導するために、「指導題目」(めあて)をかかげ、やや広い課題を設定して、作文の単元づくりをするのもこのためなのです。

 10 「文章表現過程」の明確化

 そのためにも、子どもたちが文章表現をするときの「過程」を、しっかりとおさえておくことです。課題を与えて書かせるような場合には、子どもの実態をふまえつつ、課題にたいしてどう表現の意欲を喚起させるのか。また、どんな題材の中から、その子にそのときのテーマを選ばせるのか。そして、どんな組み立てで、どう書かせるのか、どう読み返すのかという、表現の過程を明らかにすることがたいせつです。

 子どもが文章を書く過程と、そのときに必要な指導とをむすびつけて考えられたものが「文章表現各過程の指導」です。すなわち、表現意欲喚起の指導、取材・題材化の指導、構想・構成の指導、叙述・記述の指導、推敲の指導、鑑賞の指導といわれるものなのです。

どのような文章を書くにしろ、「ひとまとまりの文章」として書き上げるためには、子どもたちが通る過程なのです。この過程をできるだけ明らかにしていくと、一時間、一時間の授業の展開が、具体化されるのです。   (綴方理論研究会)

 

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つづるー1   一 子どもの時に経験させたい文章表現活動

2014-12-11 20:13:27 | Weblog

一 子どもの時に経験させたい文章表現活動

                               

            田中 定幸

 

 

(一)指導要領にある「言語活動例」

 学習指導要領の「国語」科の「各学年の目標及び内容」を読むと、これから小・中学校の国語科で、どのような文章表現指導が行われようとしているかがよくわかります。

 もっともよくわかるのが「言語活動例」として示されているところです。

 小学校の〔第1学年及び第2学年〕では、「2内容 B書くこと」の(1)で、書くことの指導事項がかかれています。その次に(2)として「(1)に示す事項については、例えば、次のような言語活動を通して指導するものとする。」と書かれています。

ア 想像したこなどを文章に書くこと。

イ 経験したことを報告する文章や観察したことを記録する文章などを書くこと。

ウ 身近な事物を簡単に説明する文章などを書くこと。

エ 紹介したいことをメモにまとめたり、文章に書いたりすること。

オ 伝えたいことを簡単な手紙に書くこと。

 解説(平成20年8月)では、こう説明しています。

は、想像したことを文章に書く言語活動として、「想像したことなどから、登場人物を決め、簡単なお話を書いたり、見たことや経験して感じたことを詩の形式で書いたりする。物語の内容について、書き加えたり、書き換えたり、続きを書いたりするなどの活動も考えられる。」ということなどが書かれています。

は、報告や記録の文章を書く言語活動例であるとしています。「経験したこと」を「報告する文章を書くときには、報告する相手を明確に設定するとともに、報告することの目的に沿って内容や文章構成を工夫することが必要となる。「観察したこと」を記録するためには、「観察したことや観察して感じたことなどを、その場で確実に記録していくことが必要になる。対象としては、低学年では、身近な自然の観察や、飼育、栽培している動植物などの観察が考えられる。」と書かれています。

は、説明する文章を書く活動だと述べています。説明する「身近な事物」の「特徴に沿って、説明する順序を考えながら、形状や様子、動きなどを簡単に文章に書くことである。」としています。

紙面の都合でエ~オについては省略します。どうぞこの機会にもういちど「解説」の「書くこと」についてもお読みください。

(二)加えたい「言語活動例」

 長い引用になってしまいましたが、新しい教科書は、この例示にそって作られていくことになります。

 これをお読みになったかたがたはどう思われますか。たしかに、どれも大切なことのように思える、そう思われたかたもいらっしゃるでしょう。21世紀がいわゆる「知識基盤社会」の時代であると言われていることから、必要なことなのだと納得された方もあると思います。

 その一方で、なんだか、一人ひとりの子どもの意欲や関心とかけはなれたことを求められていると感じた方もいらっしゃるのではないかと思います。育てたい大事な力とは思えるけれど、どこか、子どもの成長・発達を考えないで、「実用的」にという言葉も使われているように、社会で求められているものがそのまま、小学校や中学校におりてきてしまっているのではないか、そんなふうに思う人がいるのではないでしょうか。

 小学校や中学校では、もっと子どもの成長・発達にそって、言葉の獲得、文字の獲得、ものやことと結びつけた「書くこと」の指導をしていきたい。子どもの表現意欲や発想とむすびつけながら、子どもが表現することの喜びを感じとれるような文章を書かせたい。

 こう思っているかたが、多いのではないかと思います。わたしも、この点が抜けているように思うのです。

 あるいは、どの学校でも、どの教師もだいじなことだと思っておこなわれているから、あえて「指導要領」では示さないというのでしょうか。

 それはともかくとして、子どもたちが、「日々の生活のなかでとらえたこと、考え感じたことを表現する」ことは、子どものこころをひらき、自立をうながすとともに、子どものときにこそさせたい表現活動なのです。子どもの成長・発達を考慮に入れて、今と未来を生きる子どものための文章表現力を育てることになるのです。

 この「自己表現力」を育てる指導を、国語科のなかにしっかりと位置づけなくてはなりません。

 そのために、小学校の低学年から中学校にかけての「書くこと」指導のなかに、(「指導要領」にそって言うならば、)次のような「言語活動」を、くりかえし取り入れていくことが必要です。

(1)話したいこと(知らせたいこと・思ったこと)を、そのとおりに書くこと。

(2)「ある日、あるとき」に起きた出来事で、考え感じたことを文章に書くこと。

(3)「何日もつづいたこと」を、時間の経過にそってとらえて、文章に書くこと。

(4)「いつもあること」くりかえし経験していることを説明するように文章に書くこと。

(5)「いつもあること」、くりかえし経験していることを、事実を入れて説明するように書くこと。

 こういった活動の中から生まれてくる表現力を「文章表現の基礎・基本」とおさえるのです。そして、これこそが、「子どものうちに育てておきたい文章表現力」なのです。

 (三)文章表現指導のねらい

「活動例」として追加した、(1)~(5)から生まれてくる文章を「生活文」とよぶ人もいます。とくに、(2)の「『ある日、あるとき』に起きた出来事で、考え感じたことを文章に書くこと。」をとおして生まれた作品を言う人がいます。

 けれども、わたしは、そういうジャンルわけをしてはいません。あとで詳しくふれますが、子どもの表現意欲や興味・関心大切にし、子ども自らが選ぶ題材と発想に着目した「書くこと」の指導なのです。子どもの成長・発達と、認識をふまえた指導なのです。

 また、これを、「何を」、「どんな組み立て」で、「どう書く」か、「どう読み直すか」。さらには、それを学級集団で「どのように鑑賞するか」という、子どもの文章表現の過程にそった授業を展開することを考えているのです。

 生活綴方・作文教育の実践にもとづいた考え方がそこに受け継がれています。そのねらいは、次のとおりです。

 Ⅰ 子どもたちの自然や社会への認識、人間についての理解をひろめふかめ、ただしくゆたかにする。

Ⅱ 「はじめ」「なか」「おわり」のくみたて・構成をもつところのひとまとまりの質のよい文章をかく能力をのばすこと。

Ⅲ みずからが文章をかくという言語活動のなかで、つまり言語の使用のなかで、日本語の発音・文字・単語・文法・語い・文体などについての自分の知識をたしかめ、とぎすますようにさせること。

Ⅳ ものごとをとらえ、また、とらえなおす過程と、それを文章に表現する過程とを、きちんとむすびつけたところで、子どもたちの認識諸能力(観察するちから、知覚し認知するちから、記憶し表象するちから、すじみちただしく思考するちから、ゆたかに想像するちからなど)をのばしていくこと。 (注 教育文庫・17『つづり方教育について』(国 分一太郎 むぎ書房 1985.8)

(四)「もの」「こと」とコトバの結びつきで育つ表現技術・言葉の力

 この「自己表現」を大切にする文章表現指導では、表現技術が育てられないのではと、疑問に思う人もいます。また、じっさいに実践していなかったり、授業を観なかったり、実践記録をていねいに読まないで批判する人もいますが、そんなことはありません。

「Ⅱ」にも書かれているように、子どもたちの発想にもとづいた「はじめ」「なか」「おわり」のある「ひとまとまりの文章」を書く力を育てます。書く活動では、表現したいこととむすびついた形で、「考えたとおりに書く力」「事実を書く力」「経過を書く力」「説明風に書く力」「事実(根拠)を入れて書く力」が、育ちます。これらの文章表現力が身につくと、手紙もかけるし、報告文や記録文、論説文などもかけるのです。

 また、「自己表現」を大切にする文章表現指導では、子どもたち自身に題材を「えらぶ」ことと、「自分のことば」で表現することを大事にします。

 子どもたちは自分の感動や課題を文章におきかえて、客観的にみつめます。表現技術の獲得とあわせて、学習や生活の中にある価値を「書くこと」によって学んでいるのです。

 これを、生活のなかにある意味やねうちを学ぶと言いかえたり、認識が深まるといったりもしています。(Ⅰ)で示したねらいはこのことをさします。

「自分のことば」というのは「自分のものになった言葉」ということで、よく知っている言葉を「えらんで」書くようにさせます。このことの方が、ものやことと結びついた表現ができるのです。ことばを適切に使うことが習慣づけられるのです。文のねじれや、文のみだれがない、すじみちとおった文をつくりだすこができるのです。

これは(Ⅲ)にも書かれているように、「日本語の発音・文字・単語・文法・語い・文体などについての自分の知識をたしかめ、とぎすます」ことになるのです。ここでもしっかりと、国語科教育のねらいを達成しようとしているのです。

それでは「語い」の力が育たないのではと言う人がいるかもしれません。が、言葉や「語い」の獲得は、国語科教育のもう一つのたいせつな分野である、「読むこと」の活動の中で、文章を詳細によませるなかで「語い」を豊かにするのです。教科学習のなかでも、そこにでてくる言葉をしっかりと身につけさせるようにします。また、日常の会話のなかでも、言葉をゆたかにするように心がけることは言うまでもありません。

その結果として、身についている「自分のことば」をつかって文章を書くようにさせるのです。こうした考えを大事にしながら文章表現活動をさせるのです。するとインターネットや本で調べたことを、そのまま写した文章を書くようにはならないのです。

 

(五)意欲と経験で育つ思考力・創造性

さらに、文章表現の指導のめあて(Ⅳ)として次のことをあげています。「ものごとをとらえ、とらえなおす過程と、それを文章に表現する過程とを、きちんとむすびつけたところで、子どもたちの認識諸能力(観察するちから、知覚し認知するちから、記憶し表象するちから、すじみちただしく思考するちから、ゆたかに想像するちからなど)をのばしていくこと。」

このねらいは、「指導要領」でも、にわかに強調されだした「思考力」「判断力」「表現力」を育てようということと、共通するところといってよいと思います。

このねらいにおいても、「自己表現」をする過程の方が、よりはたらく記憶力、再生的な想像力、あるいは新しいものを生み出す創造力、分析したり総合したりするときにも養われる思考力、あるいは要点をまとめる力、そして表象力といった力が育つのだと考えています。

脳科学者の茂木健一郎さんは、「創造性」、を生む力を、「ひらめきを生む力は、鍛えることができる。」として次のように書いています。

「ひらめきとは、前頭葉の意欲と、側頭葉の経験のかけ算である。脳の前頭葉では、意欲や目標意識、やる気がつくられる。側頭葉には、さまざまな経験が記憶、集積されている。両者がうまく結びついたときに、創造性やひらめきが生まれるのだ。創造性を高めたければ、意欲と経験を結ぶ回路がうまくつながるようにすればいい」

(注)『ひらめきの導火線』(茂木健一郎 PHP新書 2008.9.2)

 こう述べているのです。この「意欲と経験」の回路を結ぶ役割をもっているのが、子ども自身が題材を選んで書く。生活を書く。過去の体験を書くと言うことなのです。

 子ども自身が、書きたいことがらを、自分が考え、感じた事実の何をとりあげながら、どう組み立ててどう展開していくか。書き進めていくか。すなわち事実とのつきあわせ、事実の位置づけ、分析などをしながら書いていく。自分のとらえたことを書く文章であるから、自分らしさを時には追求し、時には試行錯誤するなかでひとまとまりの文章を書く。その過程で、思考力や想像力、論理性が養われていくのです。

 また、「ある日、ある時のこと」を、ものやこととむすびつけて、正確に書いて、読み手によくわかるように書くこと。そして、書いた作品を読み合うことを大切にします。書かれている作品の書き方。書きぶりにふれてそのよさを確かめ合います。そして、こういう書き方ができたのは、そのとき、その場面で、よく目や耳、あるいはこころをはたらかせていたからかけたのだということから、いろいろな感覚器官をはたらかせてとらえたからその表現が生まれたことをおさえます。

 こうした作品を鑑賞するなかからも、日々の学習や生活の中で感覚をゆたかにはたらかせることの大切さを子どもたちは学んでいくのです。その結果として、観察力、想像力、表象力。思考力、想起力を身につけ創造性ゆたかな子どもを育てることができるのです。

 このほかにも、いま、子どもたちは自分の気持ちをすなおに表現できる機会を失っている子どもたちが多くいます。子どもたちが感じる、喜怒哀楽を、言葉にして表現する機会を失っていると言われています。そうした子どもが、思いもかけない事件を起こしたりもしています。

 そういったことから、子どもの内面を表現させることの大切さが指摘されています。

 自己の体験と結びつけて表現する「自己表現」に着目した文章表現の指導は、教育全体のなかにもしっかりと位置づけられなければならないのです。    (綴方理論研究会)

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