ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

退任の挨拶

2010-05-26 16:06:22 | Weblog
ツルピカ先生教育論⑫

 今年の春、38年間の教員生活を「全力疾走」し、無事退職した先生がいました。その退任式には私も参加しました。
 走りつづけたゴールで、つぎのような挨拶をしました。


 退任の言葉(2010.4.7)

 おはようございます。今、皆さんが座っている後ろ側の窓に、昨日までの強い風にも耐えて咲いている桜がとてもきれいに映っていますよ。
 私は、最後の教員生活をこの汐入小学校の相談学級の先生として過ごし、様々な出会いがありました。 どの子もどのお母さんも、私にとっては大切な人達でした。
 私がいつか年をとって人生の幕を閉じるときに、自分が世の中の誰かのために生きることができたと思えるようになりたいと考え、先生の仕事を選んだのは、私が20歳のときのことでした。
 そうして、私は38年間の教員生活の中で、本当にたくさんの子ども達と出会い、その1年1年を全力で過ごしてきました。

 たくさんの教え子の中には、有名な大学で難しい研究をし、日本を動かすような職場で活躍している人もいれば、愛情いっぱいにたくさんの子どもを育てて居る人もいます。
 私の様な先生になりたいと言ってくれた人もいれば、高校野球でキャプテンとして活躍している人もいます。
 みなさんにお話ししたことがありますが、毎年その季節になるとキンモクセイの花を教室に届けに来てくれた子で、若くて亡くなってしまった人もいました。
 家の事情から家族がばらばらになってしまい、今は連絡がとれなくて、ずっと気にかかっている子もいます。
 重度の麻痺で発作を繰り返しながらも、クラスの友達に支えられ普通級の教室で3年間ともに過ごした子が、今25歳になって福祉の支援を受けながら、毎日幸せに暮らして居る様子を知り、お母さんと涙の対面をしたのはこの3月のことでした。
 不登校気味なのを気にかけてずっと励ましてきた子が、定時制の高校を休まず通い、大学に進学が決まったと嬉しい便りをもらったのもこの春です。

 本当にたくさんの子と出会い、別れ、つながってきました。そしてその子とだけでなく、その家族や周りの人達ともたくさん出会ってきました。
 そんな中で、いつも思うのは、「世の中には、強い人も弱い人もいる。でも。弱い人を大切にして頑張る人こそ、本当に強い人だ。」ということです。
「みかけだけ飾っても、みかけだけ偉そうでも、本当に立派かどうかは、その人の生き方に表れるのだ。」ということです。

 汐入小学校のみなさん、事故で全身麻痺となり、絶望の日々を越えて口で筆をくわえ、絵を描き詩をかいている星野富弘さんを知っていますか?
 その人の心優しいたくさんの詩の中に「周りの花がみな散ったあとに、残ったのは一番小さかった花」というのがあります。
 人より小さくてもよい、人より遅くてもよい、その人その人が持つ花の「本当の強さ」とは、「みかけではない美しさ」とは何かと、いつも心にとめながら、生活をしていって下さい。

 高いところからですが、朝早くにこの式のためにお越し下さいました皆様、本当にありがとうございました。
 おかげさまで38年間の教員生活を無事終えることができました。
 全力疾走の日々でしたので、これからは少しペースダウンし、周りの花を眺めつつ新しい夢を追って行こうと思っています。
 これまで公私ともに支え、ご協力下さいましたこと心から感謝申し上げます。
 皆様のご健康とお幸せをお祈り致しております。ありがとうございました。

 では、汐入小学校の皆さん、さようなら!


 この挨拶は、汐入小学校の皆さんに語りかけたことばですが、かかわりのあったすべての皆さんにエールをおくり、感謝の気持ちを伝えているようでした。
 38年間、本当におつかれさまでした。


小西健二郎

2010-05-21 10:40:49 | Weblog
ツルピカ先生教育論⑪


兵庫で講演をさせていただいた。そしたら、なんとブログに感想をかいてくれたかたがいた。細見さんと言われる。
 その感想の中に、近くに『学校革命』というすぐれた実践記録を書いた小西健二郎さんがいましたと書いてあった。作文教育に関心を持っているので、これからもよろしくお願いいたしますという内容だった。
 講演のあとで、担当の方が用意した感想用紙にもたくさんの感想が書いてくれたが、ブログに書いてくれたのははじめてだった。子どもではないが、うれしい気分になった。
 実は、そのコメントを読む少し前に、『教師の詩集』(国分一太郎編 牧書房 昭和29年)を読んでいた。そして、小西健二郎さんが書いた詩「男らしいことば」もなんと目にしていたのだ。偶然といえば偶然。けれども驚いた。
 細見さんは、小西さんが書いたこの詩をご存じなのだろうか。
 コメントのお礼にここに紹介する。

男らしいことば
         小西 健二郎
ほかの者は もうとっくに遊びに出たのに、
ポツンと ひとり
計算をしていた節雄がな、
ガタンと音をさせて立ち上り
大またに先生の机へやって来た。
一心に考えてやったんだな。     
少しほっぺたを赤くしてやって来た。
「おう、出来たか。」といったら、
うん だれが何と言うてもまちごとらへん。」
胸をはって、ノートをつき出した。
 586÷27=21…19
 27×21+19=586
ちゃんと検算までして来たんだ。
先生は大きな赤丸をグルグルっとして
「よーし 出来た。」といって
ぽん と肩をたたいてやったよ。

「こらちごとるぞ。」と先生がいっても、
「ちごていません」と堂々と言ったろうな。
ちゃんと検算して、ピタリと合っているんだからな。
大学校の先生が、
湯川博士が
総理大臣が
「まちがっているぞ。」といっても
「まちがっていません。」と
胸をはっていうだろうな。

「だれが何と言うてもちごとらへん。」
男らしいことばだな。
間違いないと思うことは、
正しいと思うことは、
誰の前でも
どんな時でも
胸をはっていいたいな。
「まちがっていません。」
「正しいことはただしいのです。」とな。
                   (兵庫・小)

 生活つづり方教育を実践し、『学級革命』という子どもに学ぶ記録を書いた小西健二郎さんは、こんなふうに一人の子どのも生活の事実をとらえて、それを学級のみんなのものとするために、詩を書き、実践をされてきたのだ。
 子どもたちをしっかりとした子どもに育てたいという強い信念は、若い頃に僕はまなばせていただいた。そんな思いをいつもいだいていたので、「ぼくの失敗談」から兵庫での話しは始まったのだった。
 細見さん感想をありがとう。

『学級革命』は「教育実践録選集 全五巻」(国分一太郎 宮原誠一監修 新評論)の第三巻に収められている。


胸のどきどきとくちびるのふるえと

2010-05-19 19:07:17 | Weblog
ツルピカ先生教育論⑩

第6回国分一太郎「教育」と「文学」で報告をしてくださる梅津恒夫さんの実践の集大成ともいえる「さよなら授業 『長い回り道―近代と私』」の資料を乙部武志さんから拝借して読んでいました。
そのなかに、国分一太郎の書いた詩が二つ載っていました。また、その詩に井上ひさしさんのコメントものっていました。
子どもたちといっしょに読み合ってみたくなりました。

「胸のどきどきとくちびるのふるえと」(少年詩・国分一太郎)
     ―古くて弱いものをなくさなければならないー

胸のどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくはなくさねばならない。今日の自治会で
おもわず「議長」とよんで手をあげたとき、
名前をよばれて立ちあがったとき、
ぼくのむねは、やっぱりどきどきとたかなって、
へそのあたりまで、それはつたわっていった。
くちびるはわくわくふるえだし
くちびるに水けはなくなっていた。
ぼくはいいたいことのはんぶんもいえず、
いや三分の一さえいうことはできず、
みんなのうす笑いをさそっただけで、
ことりとすわってしまったのだ。
役人と地主さまのまえではものもいえないと、
よく、おじいさんとおとうさんはいっていた。
ひゃくしょうの子とうまれたぼくの血のなかには、
ぼくのくちびるや、ぼくのむねには、
よわくてふるくて、いくじのないものがのこっている。
 学校の自治会のあった帰りみち、
なしの花が白くさいたくろ板べいの下をとおりながら
ぼくは、ほんきになってかんがえていた。

むねをはり、くちびるをなめなめ、かんがえていた。
むねのどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくははやくなおさねばならない。
                  『少年少女の広場』(1948年5月号)

《臆せずに一所懸命、自分の意見を言いたまえ。》
 「東北地方の小都市の中学教師から国分一太郎の少年詩「むねのどきどきとくちびるのふるえと」を読んでもらったときの感動を、三十数年たった今も忘れることができないでいる。言葉は方言でもよい、服装はボロでもいい、そして美少年でなくともよい、大切なのは、きみが自力で考えまとめた意見である。臆せずに一所懸命、自分の意見を言いたまえ。/その少年詩は劣等感で押しつぶれそうになっていた田舎の新制中学生を、以後何百回と励ましてくれた。そして現在でも依然として事情は変わらない。」(井上 ひさし)


「駅にとまった汽車のまどから」
          国分 一太郎
あの男の子と
女の子は、
たしかに、きょうだいだと思いますね。
かきねの焼きぐいにのっかって、
こっちをながめている、
ほら、
あの男の子と、
女の子。
顔が似ているだけではありませんよ。
ひとつの大きなリンゴを、
かわるがわる、ほおばっているんですよ。
ほーら、
こんどは、男の子のほうに、わたったでしょう。
ほーら、
こんどは、女の子のほうに、わたったでしょう。
ひとくちずつ、かわるがわるかじっているんですよ。
きょうだいにまちがいありませんよ。
まずしいわたしたちきょうだいも、
小さいときは、ああやってたべあったもんですよ。
ほら、
ごらんなさい。
こんどは、にいさんのほうにいきましたよ。
ほら、
ごらんなさい。
もう、いもうとのほうに、わたりましたよ。
                  (1951年10月)

悲しい知らせ

2010-05-07 22:13:49 | Weblog
 横須賀作文の会でも、お話をしてくれた亀村五郎先生がなくなられました。つつしんでご冥福を祈りたいと思っています。
ぼくのことを「ていこう(定幸)さん、ていこうさん」といっていつもはげましてくれました。
 大会の時に、亀村さん、国分さん、そしてぼく。その隣に田宮輝夫さんと写っている写真が大好きで、よくながめていました。今日も、その写真を見ています。
 何か、一言書いて下さいといったときに「トラちゃん」と書いてかいてくれました。そのとき、ぼくは校長をやっていたので、きっといろいろなトラブルが学校ではあるだろう。たいへんなときこそ、新しい方向をうみだせるチャンスなのだ、いつも前向きの姿勢でがんばれという気持ちで書いてくれたのでした。
 その時、そのときの子どもの姿をしっかりととらえて、きめのこまかい指導のできるすばらしい先生だったから、ぼくにあったときにでも、いつもあたたかい励ましのことばをかけてくれていました。
 
 明日、5月8日、狛江市の泉竜寺で6時から通夜があります。亀村先生が大切にされた生活つづり方教育のすばらしさを、一人でもおおくの方に伝えることを約束してお別れをしてこようと思います。

 亀村さんはたくさんの本を書かれています。まだ読んでない本がある方は、ぜひ、お読み下さい。

『考える体育』(牧書店)『学級の体育』(牧書店)『ほんとは好きだぞお母さん』(あすなろ書房)これらはなかなか手にははいらないかもしれませんが、以下の本は手に入るかもしれません。
『日記の本』(百合出版)
『読書指導』(百合出版)
『子どもと教師』(百合出版)
『子どもをはげます赤ぺん(評語)の書き方』(百合出版)
『子どもを生かす作品研究』(百合出版)
『こどものひろば』(福音館書店)
『子どもを伸ばす作文の書かせ方』(百合出版)
『子どもの読書』(大月書店)
『幼児のつぶやきと成長』(大月書店)
『楽しい日記と手紙の書き方』(大月書店)ほか