ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

山田ときさんを偲ぶー4  ー 子どもと生きようとして ー①   

2016-04-30 12:10:19 | Weblog

山田ときさんを偲ぶー4

 

     ー 子どもと生きようとして ー①

 

 五十人の子どもと共に生きなければならない私は、「子どもと共に生きる教師は、まず子どもたちの心になりきって、いっしょに遊ぶこと」と学校で習ってきた良き教師の第一課を、 忠実におこなおうと努めたのだった。

 遊び時間には、きっと運動場に出て、縄とび、鬼ごっこ、ボール投げなどのなかまにはいった。子どもたちは私の参加を待っていながら、一年生のように玄関に迎えにきたり、手にぶらさがったりせず、私の方からいくまでは、何の気がかりもないふうにして遊んでいた。だが、私があるグループに参加すると、そのグループは非常に喜び、やんやんはしゃいだ。私が縄にひっかかったりすると、「先生、あー」と、みんなでわいわいいった。他のグループが、 自分たちの縄とびをやめて、うらやましそうに私のはいったグループのまわりに集ってきた。

 村の子どもたちは、先生に近づきたいけれども、こんなふうに遠慮がちなのだ。こんなところにも、ひくつ性というか、消極性というか、自分の意志を卒直に表現しようとしない日本農民のつつましい姿が見られるような気がした。こうして意識的に、子どもたちに近づこうと努力はしたが、なんだかぴったりしない空虚感はどうすることもできなかった。それが 気がかりでならないのだった。

 日はたち、農繁期が近づいていてくると、子どもたちは、つづりかたに、「そろそろし(・)ろか(・・)き(・)が 始まるのでいそがしくなる」と書くのだったが、私はなんのことかわからなかった。ヒデヨ に「しろかきってなんですか」ときいて、傍にいたマサエやセイなどに、「ああ、先生のくせに、しろかきも知らないのだもなえ」と笑われた。

「だって、先生の家、百姓でないもの、知らないんだよ」などと、弁解がましいことばと笑 いでごまかし、職員室に帰ってきては、村出身の農業の先生、植村さんにきき、生れてはじ めて、しろかきを覚えたりするのだった。ほとんどが百姓の子であり、それに私の生れ故郷 とは、かなり離れた子どもたちの使うことばにたびたびつまずくので、そのたびごとに、先 生たちにききにいった。

「今日早引させてください」「あした休ませてください」と、ことわりにくるその子たちに、 親、兄弟のことなど、いろいろきいたりしたが、子どもには直接きかれない家庭環境の実態 については、植村先生はじめ、村出身の先生方にいちいちききただした。みんな親切に教え てくださつた。

 ある日、植村先生に、なにかききにいった時、「相沢先生、若い先生はそうでなくてはだめだ。こんな村の子どもたちを教える教師が、いい年して、ごぼうの白あえみたいにあちこちぶちらかして、おしろいなどばかりつけてくるようでは、ほんとの村の教育はできないよ」 といわれた。私が赴任した時、机の引出し整理をしていた退職した校長が、「相沢先生、若いけどおしろいつけてないな。村の教師はそうでなくてはだめだ。その気持でがんばってください」とほめられて、ポーッと赤くなったことを思いだした。植村先生はなお話を続けられ、「だからよ、相沢先生、子どもらのことを知るには、ときどき綴方でも書かせるといいのよ。 あら、国分先生が一生懸命書かせているでしよう。ああいうふうによ。すると家のことなどみなわかってくるよ。国分先生に教えてもらいなさい。親切に教えてくれますよ。それから 先生だちなの、日曜といっても大した仕事はないでしようから、かまわず『おおなにしったえ、ヒデコ』という調子で家庭訪問でもするといいのよ」と教えてくださった。そのころ植村先生の長男は、すでに小学校の一年生だったと思う。私はこのことばを村人として、子を持つ親の願いとして、かみしめてみた。「ここだ!子どもたちの生きている土地を忘れ、その親たちのわが子に対する願いを忘れている教師はだめだ」と思った。

 実際そのころは、集金などといえば、一学期に一回、紙代として三銭か五銭ぐらい集める だけのことで、今のような、わずらわしいいわゆる雑務と称するものはなかった。日曜はのんびりした休日だった。2時間もぶっとおし、好きなレコードを鑑賞したり、たまには、画 帳なんか持ち出して、へたな写生などをして楽しんでいられた。

 そんなわけで、私はそれからときどき綴方を書かせた。すると、なかには、時間いっぱい、 熱心に鉛筆を走らせている子どももいるが、4、5行書いただけで、十分もたたないうちに 終わってしまう子もいた。「先生書いたはあ」と時間をあまして退屈がつている子がいっぱいあった。

「いっぱい書くことだよ」といっても、「書くことないもは」と、錯筆けずりなどで時間をつぶしているのだった。いつでも子守のことしか書けない子、句読点もカギもなく、れ(・)だかわ(・)だか、い(・)だか、り(・)だか、てんで読みくだせないようにべたべたと紙一面に書きなぐる子どもたちばかりで、前以上のなやみにぶつかった。私はとまどいした。

 師範時代に、すべての教科について、こまごまと教授法を教えられ、いちいちノートをとってきたが、綴方なんていうものについては、なにひとつ教えられなかった。ためしに、教授法のノートを開いてみても、やっぱり綴方などの字さえ見つけられなかった。そこで、五年男組担任だった国分一太郎先生から綴方教育いろはのいから教えていただいた。職員室でちょうど向い側の席だった国分先生に、ひと目にはうるさいほど、一から十まで、いちいちききにいった。国分先生は、いつも、「子どもの幸福のために」と、幼稚園の子どもに教えるように、 かみくだいて、ほんものの教育のありかたを教えてくださった。情味のある理解深い校長先生は、いつも、「いっしようけんめいやれよ。わからないことは、なんでも国分君にどんどんきくことだね」と、励ましてくださった。国分先生は、いつも、「毎日毎日の記録をつけなさい。平野婦美子(『女教師の記録』昭和15年の著者)さんなどは、じつにこまかく書いていますよ」と、ノートをもつことをすすめてくださった。

                        山田とき著『路ひとすじ』(東洋書簡)P11~P15より


山田ときさんを偲ぶー3 「みどり児と牛乳びん」

2016-04-29 22:53:37 | Weblog

山田ときさんを偲ぶー3

 

        「みどり児と牛乳びん

 

  私は一女の母となり、日増しに激しくなる戦のなかに生きていた。昭和十七年一月、警察からの呼出し状がきた。国分先生の治安維持法違反事件に関する証人という名義の呼び出しだった。私は長女の和子をおんぶしていった。すぐに用はすむという話だったので、もちろん、ひる飯の準備も、子どものおむつ、牛乳も持たなかった。産後休養が終わり、教壇に立つようになると、だんだん乳が不足して、混合栄養で育てていた。ところが山形の特高からは係のものがまだきていなくて、冷たい部屋で何時間も待たされた。

 和子は背なかでぐずついて泣きだす。私は子守うたを歌いながら、部屋のなかをぐるぐるとまわり、なんとかして眠らせようとあやしたが、どうしても眠らない。おむつもよごれたのだったろう。いよいよ係の人がきたらしく、小使が火を持ってきた。

「じや、はじめよう」と、書類をパサッと机の上になげて、あぐらをかいた。

 その時はひる近くでなにをきかされたのか印象になく、「このへんでひるにして、あとは午 後にしよう」ということばだけを記憶している。とにかく、二こと三こと質問ですぐにひる になってしまったのだった。ひる飯のないことを話すと、不心得だと叱りつけられたが、署の人たちと何か話し合ってきたらしく、ひる飯たべに帰された。

 私は急いで帰り、すぐにおむつをとりかえて、牛乳を飲ませて、ひるをすませ、おむつと牛 乳びんを持参してまたすぐ出向いた。

 午後からはいよいよ本腰の調べにはいった。あぐらをかいたお役人の前に子どもをおぶった私は端坐した。おむつを取りかぇられ、腹いっぱいになった背なかの和子は、すやすや眠った。

 中国から帰ってきた国分先生はそのころ、山形署に拘禁されて、とりしらべが終ったころ らしく、その証人としての調べは、私の長瀞校赴任から始められた。

「国分と話すようになったのは何時ごろからか」

「何月ごろどんな本を借されたのか」

「その本を借されるとき、なにか注意されなかったか」

「いつごろどんな紙芝居を見せられたか」

「いろいろ話すようになってから、国分について、なにか気づいたことはなかったか?」

 と次々に質問が発せられ、借された本や、紙芝居、などについてもいちいち感想をきかれ た。

 また私の趣味、退職後読んだ本、などについて、画家ではだれがすきか、ベートーベンのどういうところがすきで、なかでもすきな作品はどれかなど、こまごまときかれた。だんだん発展してやはり私には難しい思想云々の問題になった。しかし、あれから3、4年多く飯は食ったが、私の頭などは、前進するどころか、かえって後退したくらいで、当時の記憶さえだんだんうすれ、数字などはあいまいな返事しかできなかった。

「正直にいえ。二人の日記は全部こっちの手許にあるのだから、いくらかくしたってどうに もならんのだぞ。今は子どもまででき、幸福に暮しているかもしれない君には、いわなくと もいいかも知れんが、いまさら国分に未練を持っているわけでもないだろう」と語尾を強め てにやりと笑い、国分先生のことについて、聞くにたえないことまでいっては、チラッと私 の顔をのぞくのだった。全く、耳を伏せたかったが、黙ってきくよりほかなかった。

 背なかの和子が目をさましたのか、「そうら背なかの子どもも笑っているではないか。愛嬌のある子どもだな。こんな子どもまでいてから今さらどうこういつてもどうにもならぬことなんだろう?だからなおさら正直にいえというのだ。正直にいわぬといつまでも終らぬのだぞとにたりと笑いながら、書きつけては、ちらと私の顔をのぞいて炉の火をかきよせた。

 しかし、「正直にいえ」と何回くり返されても、難しい思想問題云々は、まったくわからず、自分の知っている限りありったけの頭をしぼって答えているのだ。

 思想問題は、私にはわからないが、国分先生の人間については、なんといわれても驚きは しなかった。しかしよけいなロはあけない。私は頭を金鎚でガンガン打たれているような思 いで歯をくいしばりながら、黙ってきいた。「犬猫であるまいし!なにをきかれても驚きはせぬぞ」とどなってやりたいようだったが、一方私は恐れおののいていた。質問などは夢にもできなかった。

 すべての子どもを幸福にするための教育なのに、なぜいけないのだろうか?すると、どん な教育がほんとの教育なんだろうか?危険思想とはどういうものなんだろうか?社会主義とか共産主義とかいうものはいったいどういうものだろうか?

 私の頭は、わからないことばかりだった。じっと端坐していた私の背なかで、和子がまた ぐずつきはじめた。私は無意識に立ってあやした。時間も相当経ったのだ。またおむつもよ ごれただろうし腹もすいたのだろう。

 しかし私は「ちよっとごめんください」という勇気さえなく、おむつを包んだふろしきを 自分のひざもとによせ、牛乳びんの包みを何度も結んだり、ほどいたりしては、この人は独 身者なのだろうか?なんの罪もないこの乳呑児をなんと思っているのだろうか?と、もどかしく思うだけだった。

 だんだん暮れがたになり、部屋もひとしお寒さが増して感じられた。

 調べがやっと終った時は、もううす暗かった。赤々とストーブのたかれた明るい部屋に連 がれられて、おのおの事務をとっているその部屋で「さあ、これでまちがいはないな」とテー ブルの上に調書をひろげられた。

一、あのころ有名だった丸岡秀子さんの「日本農村婦人問題」に、いちいち赤線を入れてくれたのを読めといわれました。

一、「いまの農民は、徳川封建時代と同じような状態におとし入れられているから、その生 活も、その意識も、文化も低いのだ。われわれはこの意識をもっと引上げるしごとをしたいからこそ、子どもたちに愛情をもってのぞむのだ。今の生活の現実をみさせるのだ」ということをきかされた覚えがあります。

一、「子どもはこのように深く、広く観察しなければならない。その点に注意して読みなさ い」と、ソビエトの女教師の記録を借された。その時、「読み終ったら、そのへんにだしっ 放しにしないほうがいい」と注意されたように記憶しています。

などと書いた紙に捺印して、署を出たときはもう人の顔は見えなくなっていた。

 

          山田とき著『路ひとすじ』(東洋書簡)P109~113より


□「横須賀・逗子」作文の会   5月例会のお知らせ

2016-04-28 18:56:56 | Weblog

□「横須賀・逗子」作文の会

5月例会のお知らせ

 

《提案》 心のケアと自立のための日記指導

                                           ― 週一日記のすすめ ―

 クラス担任の時には、ずっとつづけてきた日記指導をふりかえり、その指導の意味やねらい、どんな題材を、どうか書かせてきたか、どんな赤ペンをいれ、どう読み合ってきたかをお話します。レポートは、次のような文章からはじまっています。

「安全」「安心」がキーワードの時代。新しい学年を受け持ったとき、まず、子どもたちの安全を保障し、心をひらかせ、安心して学校生活をすべての子がおくれるように心がけなければなりません。

 それは、クラスのなかの一番弱い立場にいる子どもたちに目を向け、一人ひとりのちがいを認めながら「仲間づくり」「学級づくり」をしていくことです。ほおっておいては、形はあっても「集団」はできていないのです。

その時に大きな力を発揮するのが、子どもたちが書いてくれる日記や作文、詩です。

 とくに日記は、子ども自らが書きたいことをえらんで書くことが原則になりますから、えらんだ題材、書かれている内容、その書きぶりなどから、その子の生活や願い学習の状況、友だちとの関係などがみえてきます。日々の心の変化の一部を知ることもできます。

「一人ひとりの子どもの生活や願いを知れば知るほど、その子にあった教育ができる」

 このことは、日記をずっと子どもたちに書いてもらってきた、わたくしの経験から生まれたものです。

 子どもたちの書いた日記は、教師が読んで、「赤ペン」を入れて書いた子どもを励ますだけでなく、書かれたものを読んだり、学級通信や一枚文集に紹介したりすることで、書き手の生活に対する思い、願い、見方・考え方をみんなのものとすることができます。

 お互いの生活や願い、その日、その時の気持ちを知ることで、心をひらき、共感、共鳴する心も育ち、安心して生活をおくることもできるのです。

〈できれば、ブログ「ツルピカ田中定幸先生」を読んでご参加ください。ブログを読んで、さらに聞きたいこと、意見などをぜひ、この機会に出してください。〉

 

                       提案 田中 定幸(国分一太郎「教育」と「文学」研究会)

□日 時   2016年5月11日(水)18:30提案~   終了20:50

□会 場   横須賀市総合福祉会館 5階 第1研修室

□司 会   佐藤 美沙樹さん 

□会 費   1回300円  (年会費として3,000円を納めていただけると幸いです。) 

□次回例会の予定  2016年6月17日(金)18:30~ 総合福祉会館5階 第1研修室

 □連絡先   田中定幸  自宅 逗子市新宿3―2―45  ℡・FAX 046-873-4339

 

 4月の例会は、遅れてきた方、早退された方を含めて20名。若い先生がたくさん見えて、抱負を交えての自己紹介。提案も若手のホープ北原先生。生活科の中に「書く」活動をとりいれて実践は、「書く」ことの優位性を生かしたものでした。たくさんはなしをさせる。絵と文で話をさせる。話したことはそのまま文字かけばよい。ものやこと、人とも結びつけて書く。低学年の指導に大切なものを語ってもらいました。とても充実した例会になりました。

 参加者が20名ということで、事務局長の横山さんが会場をとりなおして5月の例会も、やや広めの同じ会場で開きます。仲間をさそっての参加は、「協働性」を高めます。いっしょに学び合うことが力となりますね。


「会話を意識することで育つもの 」    心のケアと自立のための日記指導-19

2016-04-27 07:24:12 | Weblog

     心のケアと自立のための日記指導-18

 

  6、会話を意識することで育つもの

 

 その時に話した言葉や、聞いた言葉をいれた文章を書く、会話文を書くことの必要性とその大切さについて、書いてきましたが、それをここで整理しておきます。

《日記のなかに会話を入れた文章を書くことで》次のような表現方法を学びます

・ある日のある時の出来事の場面がうかんできて、したことや見たことなど、事実と結びつけて文章を書くことができる。

・出来事のきっかけ、展開、あるいは結果を、わかりやすく表現することができる。

・時間の経過にそった文章を書くことができる。

・その時の、その人の気持ち、考え、意見を表現することができる。

・その時、その人の、行動のしかた、生活のしぶり、見方、考え方などを表現することができる。

・会話文にみられる「伝える文」「たずねる文」「こたえる文」「依頼する文」「さそいかける文」「命令する文」など、さまざまな文の形を表現することができる。

・話の中で省略されたことがらを、そのとおりに表現することができる。

・くりかえし話されたことは、その要旨をまとめた、会話文として表すことができるようになる。

 

  日記のなかに、《会話を入れて書くことを通して》、次のような、見方、考え方、行動のしかたが育つのが、会話を書くことの意義といえます。

 

・会話への意識が芽生え、人の話や自分の話したことばに興味や関心、注意をはらうようになる。

・話している、ことがらを、しっかりとつかめるようになる。

・「伝える」「依頼する」「命令する」などの、話には種類があり、話し手の意思・考えをはっきりととらえようになる。

・会話から、その時の、その人の気持ちを推測できるようになる。

・会話から、その時の、その人の、見方、考え方、行動のしかたなどをつかめるようになる。

・会話から、自分がどう行動したらよいかを学ぶことができる。(注―P15 )

・会話から、・出来事のはじまりやきっかけ、あるいは展開、結果をつかめるようになる。

・会話には、周知のことなどは省略されることがあり、部分であることを理解し、省略されていることをおぎなって想像したり、考えたりすることができるようになる。

・長い話は、まとめて、その要旨をとらえることができるようになる。

・事実に基づいてものごとをとらえたり、考えたりすることができる。

 

 このように会話をしっかりとらえ、文章に表現することによって、身の回りのものやことが見えてくるのです。人への理解がたかまり、人とどのようにかかわっていけばよいかが見えてくるのです。そして、子どもはすこしずつ「安心」を感じることができるようになっていくのです。

 こうした会話への自覚・理解は、今、しきりとだいじにされている、話す力、話し合いのできる子どもにも育てていくことの大きな力となっていくこともここでつけくわえておきます。

 

(注)3.11の震災後を扱った小説『希望の地図 ―3・11から始まる物語』(幻冬舎・重松清)P150に次のような会話のやりとりがあります。この会話が、その後の光司少年の行動に変化をあたえていることを表現しています。

 

「光司くんは『フラガール』っていう映画を観たことあるかな」

車のハンドルを握る田村章に訊かれて、助手席の光司は「すみません……」とうつむいた。

「名前は知ってるんですけど」

「べつに謝るようなことじゃないさ。そういうときは『いいえ』だけでいいんだ」

田村は苦笑して、「きみはアレだな」とつづけた。「自分が悪いことをしたときじゃなくて、相手の期待に応えられなかったときに謝っちゃう性格なんだな」

『希望の地図 3・11から始まる物語』(重松 清 幻冬舎)


はじめての一年生-13 せんせいやみんなに、うんとおはなししてね

2016-04-26 15:07:22 | Weblog

                 はじめての一年生-13

 

 みんなも うんと おはなし してね。-2

 朝の会や帰りの会に「おはなしがあるひと」と声をかけると、子どもたちはいろいろと話をしてくれます。お話は、今、その時に、その場面ではなしたいこと、をはなしてもらいます。文章とはちがって「生もの」です。生きています。

ですから、形式などにとらわれず、話したいことを、話したいように話してもらいました。

 はじめのうちは、まず、お話のある人にはなしをしてもらいました。そのお話を、みんなといっしょにききながら、それを、ノートに記録しました。


はじめての一年生-12 みんなも うんと おはなし してね。

2016-04-25 21:15:52 | Weblog

     はじめての一年生 -12ー

  みんなも うんと おはなし してね。

 はやいものですね。あとと一週間で4月がおわってしまいます。「教室日記」も、月日の早さには、おいついていきません。

 はじめてもった一年生、4月のスタートでこころがけたのは、子どもの「つぶやきをひろう」「お話を聞く」子どもたちにたくさん「話してもらう」。それが、子どもたちが安心して学校生活をおくれるようになるのだと考えていたようです。

 そして、そういうことが、子どもたちの表現力、特に、文章表現力を育てることにもなると考えてていました。

 そのあとも、学校はかわりましたが、一年生を担任させてもらう機会がありました。そしてそれらの実践をもとに『作文と教育』(日本作文の会編)の1985年4月から翌年の3月まで「作文の時間」(低学年)の連載をまかされました。コンパクトに、まとめていますのでそれを紹介します。(画像の順序がちがってしまいましたが、お許し下さい)

 

   

 『作文と教育』は、出版社はかわりましたが、本の泉社発行で、今もつづいています。購読をおすすめします。


心のケアと自立のための日記指導-18     「会話のはたらきを考える授業」

2016-04-24 11:36:28 | Weblog

      心のケアと自立のための日記指導-18 

 5,会話のはたらきを考える授業

         ―作文から積極的に学ばせることもー

 

 会話の学習をしたいときに、なかなか手頃の日記がみつからないときは、日記にこだわらず、これまで書かれてきた作文のなかから選ぶようにします。その学級で生まれた作文が見つからない場合には、学校や地域の文集からえらびます。

 中・高学年で、なかなか作品が見つからない場合には、次の作品はどうでしょう。

 

  尾崎君に手をあげてよかったな                               

                               5年・ 浩二  

 水曜日の四時間目に特活で学級会がありました。学級会係が前に出て、

「今日の議題は、旗のしょうかいの代表者をもう一人決めます。」

と言いました。(中略)、

 次に議長が、

「りっこうほする人。」

と言ったのでぼくは、思い切って手をあげました。そうしたら、尾崎君も手をあげていました。それで、議長が、

「多数決をします。」

と言って多数決をとることになりました。 議長が、

「長島君がいい人。」

とききました。だいたいの人が、ぼくに手をあげたので、やったあと思いました。議長が、

「尾崎君がいい人。」

と言いました。結果はぼくの方が、多かったので、ぼくは、おもわず、まわりにピースをやりました。

 ところが、議長が、

「これでいいですか。」

とみんなにきいたので、ぼくは、心配になりました。

 桜井君が、意見を言いました。

「尾崎君は、これまで中心になってやったことがないから尾崎君にこういうことをやらせたいです。」

と言いました。そのつぎには、露崎さんが手をあげて、

「長島君は、ふざける所があるから、そういう所は尾崎君がいいと思います。」

と言ったので、それもそうだなあと思いました。次に尾崎君が手をあげて、

「ぼくにもふざける所があります。」

と言って、また話し合いにもどってしまいました。

 すると、先生が、

「ちょっとまって。」

と言って議会のすすめ方を言ってくれました。

「多数決をとったんだったら、もうそれで決まりなんだよ。でも司会が『それでいいですか。』と言ったんだから話がもどったのだよ。司会のすすめ方が悪かったんだよ。まだ、いろんな意見が出るのだったら、もう一度そのことについ話し合うかどうか決めなくてはだめだよ。司会は、まず、もう一度話し合うかどうか決めたほうがいいよ。」

と教えてくれました。

 議長が、

「今のは、全部とりけしでいいですか。」

みんなが、

「いいです。」

と言ったので、ぼくは、がっかりしました。

 また、最初っからになって、議長が、

「意見はありませんか。」

と言いました。だから、岩渕君が手をあげました。

「どうして二人は、代表になりたいのかをいってもらいたいです。」

と言ったので、議長が、

「長島君から意見を言ってもらいます。」

と言いました。だから、ぼくは、

「あの旗には、ぼくのかいた絵もあるし、一度そういうことをやってみたいなあと思って手をあげました。」

と言いました。次は尾崎君の番になりました。

「ぼくは、一回もまじめにがんばったことがないので、こういうことにがんばりたいです。」と言いました。

 議長が、

「多数決をとります。」

といったので、ぼくは、尾崎君に手をあげようかまよいました。でも、桜井君の意見も正しいと思って、尾崎君に手を上げました。結果は、ぼくが十六人で尾崎君が十八人だったから尾崎君に決まったけど、なぜかくやしくありませんでした。(以下略)

 

 文章が長いので、略した部分もありますが、上下に余白をとり、行数を入れてプリントします。黒板にも拡大したものを掲示します。そして、作文を読んで、よいと思うところを発表してもらいます。「さすが長島君、いいところあるなあ」と思うところに線を引いて、そのわけを上段に。書き方のよいところに線を引いて、その理由を書いて発表してもらいます。

 

・学級会係が言った言葉を書いているのがよい。

・議長の言っていることばを書いているところがよい。

・桜井君や露崎さんの意見を書いているのがよい。

こう言った発表があったときには、どうしていいのか、その理由をつけてもらいます。

 

*何の話し合いをしたのかがよくわかる。話し合いの進め方がよくわかる。

*「これでいいですか。」というところからは、また、話し合いがふりだしにもどって、ピースをしてよろこんだ長島君の気持ち、心配になった経過が分かる。

 こんなふうに話し合えば、そこから「会話」を書くことで、出来事の展開がよく分かることに気づいてくれます。

 また、桜井君や露崎さんの発言を書いたよさは、その会話から、ふたりの考え方や意見がよくわかってよいとその理由を言ってくれたりもします。

「思い切って手をあげたのがいい」と、どの子も書き出して、発言してくれます。このときには、ていねいに理由をたずねます。「気持ちを書いているのがいい。」と発言した場合には、「書き方のいいところ=書きぶり」の下段に書きます。思い切って手をあげたのがいい、「勇気を出したのがいい」という考えであったら、「さすが長島くんのいいところ」で、生活のしぶり・心のはたらかせ方のよいところであることをおさえます。

「ぼくは思わず、まわりにピースをやりました」というところでは、「気持ちを書いたのがいい」と言う意見が出てきます。ここではピースをしたという長島君の「行動」から、その気持ちが分かることをたしかめます。「行動を書いたので、その時の気持ちがわかっていい」と、まとめてもいいでしょう。「気持ちをすなおに表現しているのがいい」といったら、どうなりますかと教師の方から発問して、この場合は上段に書くとよいことを伝えます。

「先生の会話を書いたのがいい。」というところでは、そのとき、聞いたことを「聞いたとおり書いたのがいい。」という発言に加えて、その時の「会話」が書けた理由をみんなで考えます。

 長島君がこのように、会話文として長く書けたのは、その時、先生の話を「よく聞いていた」、それを、「よく思いだして書いた」からであることを確認します。そして、下段の書きぶりのところには、先生の言ったこと=会話をよく思いだして書いていること。そして上段にいって、そういう会話をかけたのは、そのときの先生の話をよく聞いていたのがいい」と、記します。

 この作文を読み合うことで、いろいろなよさをあげられますが、「会話」をいれて文章を書くことのよさを、ここではまとめるようにします。そして長島君の書いた「尾崎君に手をあげたよかったな」から、「会話の書き方」を勉強したという意識を、学級全員にもたせ、日記にも生かせるようにします。

 


心のケアと自立のための日記指導-17 [行事のあった日の家でのことを書く ]

2016-04-22 18:49:51 | Weblog

          心のケアと自立のための日記指導-17 

 

(2)「会話」のある場面を日記の題材に

 

   ③行事のあった日の家でのことを書く

 

「ある日、ある時」の、短い間の出来事を、その時、したことや見たことだけでなくその時の会話をよく思い出して、時間の順序にしたがって書く。すなわち、一つの体験「~した。~した。」「~しました。~しまし。」「~したのだった。」「~したのでした。」と展開的過去形表現形体」の文章を書くときに、大事な会話を落とさずに書く力をつけるとともに、日常の会話に興味を持たせ、会話のもつ重要性を理解させることをここでのねらいとした。

 劇が終わった時に「今日の劇、上手にできたね。家の人は何て言ってくれるかなあ。何て言ってくれたか、次の日に発表してもらうよ。家の人がこない人だって、きっと今日の劇のことを聞くと思うよ。

 そのことを話してくれればいいんだよ」と言っておいた。

 文化祭の日や、運動会、授業参観があった日などは、家で必ずそのことについて話し合う。会話がはずむに違いない。

 そこに目をつけ、作文を書くから(日記に書くから)「よく聞いてこい。」とは言わないにしても、どんな会話をしたのか、耳と心をはたらかせるように言っておいて書くようにする。

 そうして、その会話をよく思い出して、しっかりと文章化させることにより、時と場所、話の内容にあわせて、ありのままの文章を書くようにさせる。また、その時の人びとの会話にこめられているその人の考え、会話の意味などに気を配れる子どもに育てたいと考えた。

 

      『家に帰って』                 優子

 

 家に帰りついてから

「ただいまあ。」

とお母さんに言った。そうしたらお母さんが、

「お帰り」

と言った。

 わたしは、どうだったのかなあと思いながら、

「お母さん、文化祭、どうだった。」

と聞いた。そうしたら、お母さんが、

「よかったよ。」

と言ったので、わたしは、

「どこがよかったの。」

と聞いたら、

「そうねえ、みんなで話を考えて、先生がまとめたと聞いたけど、話のなかみが、教えられることがいっぱいでよかったね。それに、声もよくとおったし、先生も出られて、全体にまとまりがあったと思 うわ。」

わたしは、そうかなあと思っていました。そしたらお母さんがまた続けて、

「山がりっばにできていたけれど、だれが書いたの。」

と聞いたので、わたしは、

「だれが書いたのかは、わすれたけれど、グループで書いたんだよ。わたしは、草を作ったんだよ。」

と説明してあげた。さいごにお母さんは、

「田中先生の歌もじょうずだったわ。あんなにうまいとは知らなかったよ。」

と言っていた。わたしも、田中先生にならっていたけれど、歌がうまいとは、あまり思っていなかった。

(以下略)

 

「優子さんのお母さんは、こう言ってほめてくれたんだね。」と、ほめている部分を二度ほど読んで上げたら、他の子どもたちが、ぼくのお母さんは、こうだと、作品を読みはじめた。そうして、「会話もそのとおりうつすと長くなるなあ、よく聞いてなければ書けないなあ」という感想をもった子もいた。

 

● 今「会話」の入った文章を書くことの意味

   ・身のまわりのひとの見方や考え方を理解する。

     その人の認識や思考の深さや広さに気づくことができる。

     その人の見方、考え方をつかむことができる。

     その人の感情や意志をつかむことができる。

   ・他人の気持ちをおしはかる力を育てる

   ・人の話を意識して聞いたり、集中して聞く力

     会話が事件や出来事のきっかけとなっていたり、展開の重要な役割をはたしていたりすることに気づくようになる。

   ・会話のなかにあるその人の考えや願いを、自分の生活に生かす力

   ・事実にもとづいて考える力。

   ・会話のはいった生き生きとした文章を書く力。(注6)

      (注6 詳しくは「会話を書く大切さを教える」『書ける子どもを育てる』田中定幸著・出版・1995年 P10 9~11 7を参照)

  この③は以前書いた『つくる・つづる』(未発表)からの引用です。前後の内容と重複する部分がありますが、③として挿入しておくことにしました。

 


「会話」のある場面を日記の題材に   心のケアと自立のための日記指導-16

2016-04-21 11:20:51 | Weblog

   心のケアと自立のための日記指導-16 

 

(2)「会話」のある場面を日記の題材に

 

 ちょっとしたはたらきかけの工夫で、子どもたちは、「会話」の入った日記を書くようになります。

 

 ①  「ただいま。」と いったら

「ただいま。」といった、あとの場面を、日記にスケッチ風に書くようにすすめます。そして、その作品を、つぎのようなことばをそえて、紹介します。

 

 

 

②  きっかけになる会話から書き出す

             ―きっかけになる会話を意識化させるために―

・自分から、話しかけた時のことを日記に書く

 ある日、ある時、自分から、(  )に、話しかけた時のことを書こう。

  (例)朝、家で、登校の時、学校の中で、

 その時の自分が話したことばを会話で書くことから。

 その時、自分の話したことばが、「書き出し」にはいるかたちで、

・だれかに、話かけられた時のことを日記に書く

 ある日、ある時、(  )から、話しかけられ時のことを書こう。

 誰かに話しかけられたことばを「書き出しに」入れて書くことから。

 

 こんな取り組みは、会話に」耳やこころをよせて、とらえる力を高めるだけでなく、日記がマンネリ化してきたときに有効です。新しい題材として、また、記述力を高めるための取り組みとして、とてもいいものです。是非、実践してみて作品を交流し合えたらと思っています。


  「こえの えんそく」   はじめての一年生-11

2016-04-20 14:34:06 | Weblog

                   はじめての一年生-11 

                                                           こえのえんそく

  きょは、よいてんき。子どもたちの声といっしょに、「四つ角です。車に気をつけて。」という、先生の声もきこえてきました。わたしの母校の小学校の一年生の遠足でした。

 門の外へ出て、手をふりました。

 はじめて持った一年生との遠足を思い出しました。

  こえの えんそく

                                    教室日記・4月28日(金)

《学校から高取山の登り口まで》

せんせい、おにぎり 3つ、だから せんせいにあげる。

ぼく、あげない のこしたら、あげる。

ああ、じぶんち みえた。

せんせい、ぼく Cとうだよ。

3くみと、1くみと あわせて なんにんになるの。

せんせい、ぼく、Bとう。

みんな、ぬまやまのうち?

ぼく、そうせいじが はいってるんだ。

せんせい、まえせんげん、いくの。

あそこの、ずうっといくと あるでしょ。あめんぼう、いっぱい いるんだよ。おれ、とったんだよ。

みきお、とったんだよな。

さかみち、つかれるなあ。

せんせい、このこ、あいしているんだよ。

あの、とんがった やまに、のぼったんだよ。

くたびれちゃったよう。

あー、みえた。たかとりやま!

せんせい、きょうで たかとりやま、ひゃくにじゅっかい。

せんせい、もうすぐ そばに、あるみたい。

せんせい、ゆういちくん しょっちゅう くるんだって。

みえるじゃん、あそこでしょ。あきひろと ふたりで、とことこ、おうだんほどうを あるいて かいだんまで いったんだよ。 

 

《大仏・石ぶつあたり》

あしが、つかれる!

もう すこしだ。

すんげー つかれえるのえ- あそこのかいだん。

また、あそこの かいだん のぼっていくんじゃん。

やまだ!

ここ、かみさま? だいぶつさま?

あった! あったぞ!

せんせい、あっちの やまから ほとけさま みえるよ。

せんせい、あんな おおきいよ。

だいぶつさまって、ほとけさまより えらいんでしょ。

せんせい、ふろしき ひいて ひとやすみ しようよ。

せんせい、いまから たべたい。たって られないよ。あさ、たべてきたけど、おなか ぺこぺこ。

せんせい はやく いこう。

だいぶつ おとこか おんなか。

あぐらかいてるから おとこ。

おさけ もっているから。

あついなー。

あーあ。

せんせい、たんぽぽ。

 

《浅間山ちかく》

わー、だいぶつが ちっちゃいな。

おい、みきお、ぼくらのまちも かってきたから あげるな。

この きいろい はな しってる。

やまぶき。

すごい おうちある。

せんせい そろそろ おべんとうをたべようよ。

せんせい、いま みえた うみ、おっぱまの うみかな。

せんせい おべんとうに するの。たべたいから いったんだよ。

さっき、これで すりむいちゃった。

のど、からから。

おうちが いっぱい みえる。

うみも、みえる。

せんせい、はらくん、べんきょう たべるんだって。

やまみたいの でこぼこに なっているね。

とおったこと あるよ、2かいもあるよ。

あしがいたいから こうしてるんだ。

かつみくん、もっと ゆっくり、せんとう かわっちゃうよ。

あっ、わかった。もしかしたら この した いくんでしょう。

 

《頂上近く》

あっ、ちょうちょ。ちょうちょが いたよ。てんとうむしも いたよ。

あっ、むしが いた。やった!

あついよ。

あついよ。

きみわるいよ、ゆうれい でてくるみたい。

せんせい、ここ ずっといくと、じんむじ いっちゃうよ。

《おべんとう》

せんせい だれも おべんとう たべる ともだち いないよ。

せんせい、おべんとう したで、おかしが うえなの。

 

《帰り道、学校へついて 地べたへ ぺったりすわるまで。》

せんせい、よくみると ずしのほうまで みえるね。

せんせい、まるごと みかん あげる。

すべりますから きをつけてください。

たんぽぽ さいてるね。

たなかそうりだいじん。

ここ、くるま とおる。

あそこ とめてあるから くるま こないの。

きいろい はな やまぶきの はなだね。

さっき わたしが いった はなでしょ。がっこうへ くる とき あるの。つくえの よこに いろんな はなが かいてあるから、それで おぼえるの。

さて、ここへ きたら 2れつに なるのかな。

せんせい つかれたの。

たかとりしょうがっこうって 2くみまでした ないのね。1くみが あかで、2くみが きいろ。

かわいそう。

おまえの おかあさん くそでべそ。

えんそく たのしかった。

おともだちと あそぶの おもしろかった。

あくつ あくつ ばいばい。

□学校に集まる時間8時40分。学校出発が9時10分。学校に帰ってきたのが12時50分。さようなら1時。「声の遠足」全員無事、終了。(途中からメモ用紙が少なくなり、省略しています。) 

 遠足のときにも、子どもの「ことば」をひろってメモをしました。でも、長い列をつくってあるいていると、いつも先頭は、たいてい背の順の低い子と決まってしまいます。そこで、教師が、子どもたちの先頭にいるだけでなく、子どもたちの列の中にはいって声をかけたり、最後尾にいって、ことばをひろったりもしました。

□「先頭、交代!」

 このあとの、校外学習のときなど、比較的あんぜんな場所では「先頭、交代」を繰り返すという歩き方をとるようにしました。

 このときは、いつも教師が先頭で、ある距離を歩いたら、「せんとう、こうたい」と号令をかけます。そうすると。そのとき先頭にいた子(二人の場合もあります)は、二番目の子に先頭をゆずり、その場でみんなが通り過ぎるのをまち、一番最後につくという方法です。

 子どもたちの多くは、先頭を歩きたい、先生のそばにいて、先生に話しかけたい、そんな気持ちをもっていると思ったからです。

 また、結構、変化があって、子どもたちは、この「先頭、交代」をたのしんでいました。