『教師』-その仕事ーより
若い先生が、作文の会の例会で提案してくれた。子どもの気持ちをたいせつにして、対話や、グループでの話し合い活動をとりいれて、学習を進めているが、思うように子どもたちが発言してくれない、積極性が育たないというような話しをされた。
そうであったら、もっと、教師が積極的に発言をして、子どもたちに「物語」の授業であったら、どう物語を読んでいったらよいか、「指導」をしていく必要があるのではないかと伝えた。
「自発」と「指導」、若い先生にとっては、誰でもが悩むことでもある。ましてや「新学力観」のもとに子どもの頃「支援」された人たちが、「教師」になっている時代である。
『教師』のなかで、国分一太郎は、前回の目次でも示したとおり、「Ⅵ 教師の技術 4自発と指導」のなかで次のように書いている。
前に「経験と知識」のところであげた第一例では、なんとわるい自発活動のみを、子どもにやらしていたことでしょう。あんなことをやらしていて、自分は教室に腕ぐみしている先生のことを、ある親は「月給ドロボウだ」と言いました。先生といっしょに、ノートを持って印刷工場に見学に来て、「印刷のしごとは、いつごろからどこではじまったのですか」とたずねた五年生の女の子に、千葉県のある印刷労働者は、「かわいそう」とは思ったけれども、「おれは先生の月給をもらっていないから、それをもらってるあの人に聞け」と、先生方を指さしてやったと言っていました。
戦後にはびこったわるい自発的学習は、「自発」と「指導」の正しい使い分けを無視していたと思います。その結果、先生は教えない人になり、親たちは、前にも書いたように「先生とは何する人なのかしら」と疑いを持つようになりました。
しかし、まじめに物を考える日本の教師は、子どもの自発性を尊重し、同時に、教師の指導を大切にしております。
みみず うまいなあ
うまく じをかくぞ
そら かいた。
6だ、
しだ、
のだ、
3だ、
8になれ、
つになれ、
2になった。
*
みみずが、からだで じをかいた。
しまだ(島田という姓)の「し」とかいた。
それから、の、く、つ、3,2,9,6
みみずは じょうずだな
じょうずに じをかくなあ。
秋田県の熊沢文雄君は、この詩をほめながら、「よくみてるとおもしろいね」と、子どもたちによびかけています。一年生の子どもたちにも、ひとつの指導をしようとこころみているわけです。
子どもたちは、これを偶然に見つけたのかもしれません。これを自発の心が見たよろこびで、この詩を書くことになったのかもしれません。これに理科好きな教師として、なにげなく投げあたえた熊沢君のコトバは、どういうものとなるでしょうか。この指導のコトバは、
――よく見てるとおもしろい。
ということで、これからあとは、別なものに対して、いっそう熱心な観察の目向けさせることになるでしょう。そう信じたいところに教師たちの夢があります。たのしみがあります。(以下略)
『教師』(国分一太郎著 岩波書店 P190~193より引用)
若い先生が、作文の会の例会で提案してくれた。子どもの気持ちをたいせつにして、対話や、グループでの話し合い活動をとりいれて、学習を進めているが、思うように子どもたちが発言してくれない、積極性が育たないというような話しをされた。
そうであったら、もっと、教師が積極的に発言をして、子どもたちに「物語」の授業であったら、どう物語を読んでいったらよいか、「指導」をしていく必要があるのではないかと伝えた。
「自発」と「指導」、若い先生にとっては、誰でもが悩むことでもある。ましてや「新学力観」のもとに子どもの頃「支援」された人たちが、「教師」になっている時代である。
『教師』のなかで、国分一太郎は、前回の目次でも示したとおり、「Ⅵ 教師の技術 4自発と指導」のなかで次のように書いている。
前に「経験と知識」のところであげた第一例では、なんとわるい自発活動のみを、子どもにやらしていたことでしょう。あんなことをやらしていて、自分は教室に腕ぐみしている先生のことを、ある親は「月給ドロボウだ」と言いました。先生といっしょに、ノートを持って印刷工場に見学に来て、「印刷のしごとは、いつごろからどこではじまったのですか」とたずねた五年生の女の子に、千葉県のある印刷労働者は、「かわいそう」とは思ったけれども、「おれは先生の月給をもらっていないから、それをもらってるあの人に聞け」と、先生方を指さしてやったと言っていました。
戦後にはびこったわるい自発的学習は、「自発」と「指導」の正しい使い分けを無視していたと思います。その結果、先生は教えない人になり、親たちは、前にも書いたように「先生とは何する人なのかしら」と疑いを持つようになりました。
しかし、まじめに物を考える日本の教師は、子どもの自発性を尊重し、同時に、教師の指導を大切にしております。
みみず うまいなあ
うまく じをかくぞ
そら かいた。
6だ、
しだ、
のだ、
3だ、
8になれ、
つになれ、
2になった。
*
みみずが、からだで じをかいた。
しまだ(島田という姓)の「し」とかいた。
それから、の、く、つ、3,2,9,6
みみずは じょうずだな
じょうずに じをかくなあ。
秋田県の熊沢文雄君は、この詩をほめながら、「よくみてるとおもしろいね」と、子どもたちによびかけています。一年生の子どもたちにも、ひとつの指導をしようとこころみているわけです。
子どもたちは、これを偶然に見つけたのかもしれません。これを自発の心が見たよろこびで、この詩を書くことになったのかもしれません。これに理科好きな教師として、なにげなく投げあたえた熊沢君のコトバは、どういうものとなるでしょうか。この指導のコトバは、
――よく見てるとおもしろい。
ということで、これからあとは、別なものに対して、いっそう熱心な観察の目向けさせることになるでしょう。そう信じたいところに教師たちの夢があります。たのしみがあります。(以下略)
『教師』(国分一太郎著 岩波書店 P190~193より引用)