ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

「目次」から学ぶ

2011-05-21 19:38:31 | Weblog
『教師』の「目次」から考える

 本の目次を見ると、内容だけでなく著者の考えの進め方がよくわかる。その時、その時の内容や分量を考慮して発行してきた文集(一枚文集)を、一冊に綴じるときにも、目次をつけてきた。目次をつけることで、自分の実践を客観的にふりかえることもできるからだ。
 さて先日話題にした国分一太郎著『教師』の目次は以下のとおりである。
本が手元にない人は、この目次の言葉を「キーワード」にして、自分の実践を考えてみるとよい。あるいは、ここで、何を著者が語りたかったかを想像してみるとよい。

Ⅰ 教師の仕事(一)
   1 いそぐ仕事か
   2 いそがぬ仕事か
   3 社会の進歩と教育
   4 あせった考え方
   5 教師のコトバ
 Ⅱ 教師の仕事(二)
   1 二つの仕事
   2 教師の願い
   3 仕事の性格
   4 教育のなかみ
 Ⅲ 親たちの期待
   1 親たちの願い
   2 願いの性格
   3 子どもの「思想に自由」
   4 社会活動家としての教師
 Ⅳ 専門家
   1 教育の専門家
   2 日本流のやり方(一)
   3 日本流のやり方(二)
   4 日本流のやり方(三)
Ⅴ 子どものうばいあい
   1 国民のうばい合い
   2 子どもの擁護者
   3 教育組合の役割
 Ⅵ 教師の技術
   1 魂の技師
   2 経験と知識
   3 特殊と普遍
   4 自発と指導
   5 意識と身体
   6 科学と芸術
   7 個人と集団
   8 民族と人類

  Ⅰ章、Ⅵ章のコトバは特にすばらしい。相反するような視点から、ものごとを考える。この二つの観的からものごとをとらえるのが巧みなのが国分一太郎。
 その人を師とあおぐなかで、「ある日型」と「いつも型」、ミクロとマクロ、部分と全体といったコトバを、私もいつのまにか使うようになっている。
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『教師』ーその仕事ー

2011-05-20 10:43:08 | Weblog
教師-その仕事

 家で本を読む場合には、カバーなど付けない方がいい。国分一太郎著、『教師』―その仕事」・岩波新書 240と、たまには表紙にも目をむける。
 何度も読み返した古い本だから、帯もだいぶいたんでいる。切れて、どこかにいってしまいそうである。なくなるまえに、ここに書き写すことにした。

 教育の危機が叫ばれている今日、困難な現実のなかでの教師のあり方、その仕事の難しさは測り知れないものがある。それは社会への広い眼とともに人間性に根ざした愛情と優れた教育の技術を求めている。著者はこうした現場教師の悩みにこたえて、自らの実践と理論の成果を生かしながら、その解決の方法を探り、世の父兄に理解と協力を訴える。

 ところで、この本の初版は、昭和31年5月17日である。半世紀以上も前にかかれている本だが、読むと、改めて教師のしごとについて考えさせられる。
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「家庭訪問」

2011-05-19 09:50:49 | Weblog
 先日、神戸で開かれた教育講演会のなかで、講師の富田稔先生(天理大学)が、同和・人権教育を進めていく上で「家庭訪問」の大切さについて話された。NHKの「おひさま」でも、陽子先生のはじめての家庭訪問のエピソードが描かれた。
 ちょうど今は、家庭訪問のシーズン。
 僕は、家庭訪問が大好きだった。その理由は、訪問した次の日から、子どもとの距離がすこし縮まってきたように感じるからだ。
 子どもを知る、生活を知る、親の願いを知ることの大切さを教師の大切なしごととしていた国分一太郎先生は、よく家庭訪問について語られた。
 なくなる1年前の学芸大学の特別講義(「生活綴方と国語教育史」)の中でもつぎのように話している。


 若い人のためにちょっと家庭訪問の話をしますが、これは講義の外になりますが、家庭訪問するためには、小さなノートみたいのをもって、あいうえお順に、浅野明とか伊藤光子とか、佐藤俊夫とか書いていて、そのつどそのつど気づいたことや何かを書いておく。見開きのページにここは、ここは国分一太郎のページ「こ」…。
 だから森谷義夫のところへ家庭訪問に行くときには、入る前に、森谷の「も」。そのノートを見て、こういうことを少し母親に話してみようということを書いていると楽ですよね。
 若い人が初めて教員になって家庭訪問へ行くときには、まったく、どこからいったい話したほうがいいか。「ま、いいお天気ですなー。」(笑)。その次、何を言ったらいいか、そういうときには「も」のところを開いて、――「豚12匹、生まれる」。受け持ちの誰々ですといって、「それはそうと、ます、義夫君のことよりも、豚12匹、生まれたそうですな。」と言うと、「だすうー。」と、そうですといって豚の話になる。
「12匹も豚がいたら、おっぱいどういうふうにして飲ませるのでしょうね。」というと、豚を飼っているおばあさんは、「先生、それはなぁ、先生」といって、「豚は、生まれた子ぶたが乳首を全部くわえないうちは、(乳首がいくつかあって、それを全部くわえないうちは)、親豚はおっぱいを出さないのです。ほんとうにえらいもんですな。」なんてね。それから、上から3番目の乳首を一度くわえた豚はそれからは、いつまでも上から3番目の乳首をとろうとする、というようなことを教えてくれるわけですね。
 そういうふうにしていくと、こんどは森谷義夫の家だな、「国分です。」。「あー、義夫の先生だけかっす。」義夫の先生ですか。「うだっすー。」、それこそ方言で受け答えして、「おらぐちの義夫、ばかでなっす。」(笑)、ばかで困っているのですとこういうふうになげくようにいう。「ばかでなっす。」という。
そういうときに、ちゃんとノートに「ツァ」のことが書いてあるのですからね。だから、「ばかでないなっす。」ばかではありませんよと言うと、ひざを乗り出すようにして、「何処が、ばかでないやっ。」ときいてくる。何処のところがうちの息子は、ばかではないのですかと尋ねますので、その話をするわけです。
この間、「サ」という字にマルをつけて「ツァ」という字を発明した、そのくらい考え、工夫する力があるから、ばかではありませんなー。
 こんどは別な家にいくと、やっぱり「家の良治は、ばかでなっす。」、というので「ばかでねー。」、どういうところがばかでないか、また、聞く。いや、この間、理科の時間に「ハーハーハーと口でも呼吸をすることができるし、鼻でもハーハーハーと息をすることができるが、なぜ鼻がおもに呼吸の器官になって、口では呼吸しないようになったのか?」と考えてごらんときいたら、他の人は「口はしゃべったり、ものを食ったり飲んだりするときに使わなくてはいけないから、息といっしょにできなくなるからです。」とか、「鼻の穴は、毛がはえていて、ごみをとるようにできている」とかなんとか言ったのです。
 ところがおたくの良治君は、他の人が言わないことを言いました。「何ですか。」ときくので、「鼻の穴は寝ていても、ポカンと穴があいているからです。」(笑)。「これは私も気づかなかったことです。」、なるほど、鼻の穴は…。もし、口が呼吸器になっていると、寝ると…(笑)、もう息が出来なくなってくる。だから鼻の穴は、ポカンと二つあいている。こういいますね。


 教師を何年かやっているなかで、家庭訪問は、こどもの生活や親(保護者)願いを知るためのものだけでなく、「教師」であるぼくを知ってもらう大切な時間だとも考えるようになった。



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講演会「作文の授業」のお知らせ

2011-05-08 13:52:31 | Weblog
第60回作文教育研究大会に向けた第3回巡回講演

「作文の授業」
~その考え方・進め方~


●日時5月14日(土)午後1時半~3時半
●会場池袋小学校
     ℡ 03-3986-2858
     JR 山手線・西武池袋線・東武東上線・東京メトロ丸ノ内線/有楽町線池袋駅北口より徒歩10分
     東京メトロ新線 池袋駅C6 出口より徒歩10分
●講師田中定幸先生
           日本作文の会前常任副委員長
           神奈川作文の会会長

                 近著「作文指導のコツ」低・中・高
                         (子どもの未来社) 著書他多数
●参加資料代500 円
●主催第60 回全国作文教育研究大会東京実行委員会
               連絡先伊藤早苗( 048-473-0456 ) 榎本豊( 048-256-1559 )
               大森芳樹( 03-3913-8893 ) 中島礼子( 090-6116-3783 )
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