ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

『作文名人への道』が「選定図書」に

2015-06-27 07:25:21 | Weblog

 2015年6月23日付で、公益財団法人・日本図書館協会より、本の泉社へ通知があり、審査の結果「日本図書館協会選定図書」に決定したということです。たくさんの本の中からえらばれたと言うことは、なにか「市民権」を得たような感じで、素直によろこびたいと思います。

 選定図書は、『選定図書速報』および『週刊読書人』の「日本図書館協会選定図書週報」蘭によって、全国各地の図書館その他広く関係方面へ周知し、図書館等での選書に役立てていただいている、とのことです。

本の作成、販売にご協力をいただいた、たくさんの方々に、心より御礼をもうしあげます。ありがとうございました。

 

 


国分一太郎著『教師―その仕事―』より  細見(玉田)勝郎さんの詩-2

2015-06-21 12:26:07 | Weblog

                       国分一太郎著『教師―その仕事―』より  細見(玉田)勝郎さんの詩-2

 

 

『教師』の、「Ⅳ 教師の技術」、 〈3,特殊と普遍〉の続きです。(P181、2行目より)

 

  けれども話はこれからです。小西君はその次のページを「親と子」という蘭をつくっています。そこには、子どもたちが、父や母のことを書いた散文を四つならべてあります。そのトップに、いまの詩を書いた細見勝郎君の「母の病気」という散文がのっています。ついでにいえば、このページは、もし、家庭で、この子の母親が読むとすれば、「バチリとほおべたをはった」自分のことが書かれた詩のあとに、それに対する先生の感想を読み、つぎに、この「母の病気」を読むという寸法になります。

 そこでこの「母の病気」という文は、どんな文でしょうか。長いものなので、ここに紹介することはやめますが、そのあらましをいえば、こうです。

 勝郎と茂行の両人は、ある雨の夕方、母親から、水をくめとたのまれた。外の井戸から家の中の台所に運ぶのだ。メンコをしていたので、いやだったが、ポンプをうごかしはじめた。そのうちにポンプが故障を起こした。それで、グズグズしていると、吸上ポンプの故障を母親が直して、大雨の中で、母親がくんだ。

 翌朝、きのうの雨にあたったせいか、母親はかぜをひいて起きられなくなった。両人は起き出て、めしのしたくをする。昨夕、ぼくらが水くみをしておけばよかったなあ、お母さんが病気だと困るなあと思う。茂行が、こんどからがんばってやろかい、と言う。飯を食べて学校へ行くとき、勝郎(作者)は母親が死んでいないかと心配になる。ねてるそばへ行ってコトバをかける。「うん、おおきに」と母がこたえる。「ぼくは安心してカバンをわきにかかえって、かけあしでとばして」学校へ行く。

 学校から帰ってくると、家の中から大ぜいの人の話し声がきこえる。ぼくは胸ドキンとする(いつか別な子が書いた人が死んだときの文でも思いだしたのだろう)。ところがそうではなかった。近所のおばさんたちが来て、アンマをしてくれていたのであった。ぼくは安心する。みんなにお茶をだしてやろうと心に決める。はずかしがりながらお茶を出す。近所のおばさんたちからほめられる。うれしい。ほめられたので、「ぼくはいわれんうちに、はりきって、お茶やら、牛の水をたいた」という。そして最後に、作者は書く。「それから三日程したら、お母さんは元気になられた。ぼくは、お母さんを病気にさせるのは、もうこりごりです」

 読んでいて、ほんとに気持ちがよくなります。子どもの本気さと明るさに心をうたれます。しかし、わたしが、ここで感心したのは、この文集にあらわれている小西君の考え方です。子どもにも母親にもよくわかるように、勉強のし方、教育にかける期待のかけ方のすじ道が、無言のうちに示されております。

 前にもちょっと書きましたが、子どもの教育で大切なことは、子どもの現段階の物の見方・考え方・感じ方には、まっすぐさ、いちずさと同時にせまさ、浅はかさがあるということにきづくことです。これは、子どもばかりではありません。けれども、子どもが、この点では、いっそういちじるしいのです。だから、レーニンも、ある共産主義者たちの不足部分をいましめるのに「左翼小児病」というコトバを使ったほどです。

 みんなが、はじめは、特殊なもの、部分的なもの、一面的なものしかつかまえられないのです。はじめから普遍や全体や全面をもとらえることはむずかしいのです。点と線はつかむが、面はとらえられないのです。機械的、直線的には考え、感じますけれども、有機的に、ありのままに、曲線的には考え、感じられないのです。

 この子もその通りです。だからまっすぐに腹をたてています。腹をたてるのは当然ですが、すぐに「おっ母のあほ」と言ってしまいます。飯を食わないと言ってしまいます。けれども、本当はそうではないのです。「母イコールあほ」とは思いません。飯などは一回ぐらいはガマンするけれども、やっぱり食べずにはいられません。いや、はじめからこうではなくても、やがて、だんだんと、母はアホでないことを、もっと深く知って行きます。飯を食わぬという方法より、もっといい方法があることを知っていきます。様々な事実にふれ、知識をたくわえ、生活経験をつみ重ねるなかで知っていきます。

 この子は「母の病気」にあって、あることを、つくづくと味わい感じます。「もうこりたです」と考える子に育っていきます。事物にふれて意識をみがき、知識をえて物を見る目を拡大し、その拡大した視覚で事物をみるようになります。

 このへんの順序を、小西君はよくつかんでいます。このことを母親にも、よくわからせようとします。子どもにも暗示しようとしました。こうして、この文集のつくられ方がきまりました。文集が、こうしてつくられるだけでなく、小西君のしごとが、いつもこのような心がまえで進行されていることは、こんどの著書『学級革命』を読むとよくわかります。

 さて、この文集ができてから、しばらくしてできた文集には、同じ作者の「父母」という詩がのせてあります。

 

「同じ作者」、もちろんこの作者は、細見勝郎さんです。(つづく)


国分一太郎著『教師―その仕事―』より  細見(玉田)勝郎さんの詩

2015-06-19 09:50:00 | Weblog

   国分一太郎著『教師―その仕事―』より  細見(玉田)勝郎さんの詩

 

 細見勝郎、講演していただく玉田勝郎さんの詩が紹介されているのは、『教師―その仕事―』(岩波新書・1956年)発行の「Ⅳ 教師の技術」のところです。この章のプロットは次の通りです。

 1 魂の技師

 2 経験と知識

 3 特殊と普遍

 4 自発と指導

 5 意識と身体

 6 科学と芸術

 7 個人と集団

8 民族と人類

 

 このなかの、「3 特殊と普遍」で引用されています。

 

3、特殊と普遍

 これは、こんな題目にしないで、部分と全体、一面と全面、部分と全体(ママ)、点と線と面、機械的と有機的、直線的と曲線的などと言ってもよいのです。

 『学級革命』という本で名をしられるようになった兵庫県の小西健二郎君がつくった文集に「たけのこの兄」というのがあります。この四号と五号のある部分のつくり方に、わたしは、たいへん感心しました。くわしいことは書ききれませんが、そのあらましを紹介します。

 四号のある部分に、小西君の詩が出ております。これは「痛ければ痛いという」という題のもので、そのなかみは「痛ければ誰がなんといおうと、痛いといわなければしかたがないな、悪いことなら、だれがなんといおうと悪いことなんだな。そうだ。正しいことを正しいといい、わるいことをわるいという、口と心、からだ全体をつくるために、みんなや先生は勉強するのだ」というものです。

 さて、その巻頭に、子どもたちの詩がならんでいて、その一番最後に、細見勝郎という子の「叱られた」という詩がのせてあります。

 

夕方縁側の戸をしめていると、

戸が途中で行きつまって動かなくなった

見るとしきいに釘がうってあった

「茂行か、釘うったん」と聞くと

「さっき板けずる時、打った」と

部屋の方から弟の声がした。

「抜いとけよう」といって部屋で本を読んでいると

「勝郎、あれほど言うとんのに、まだ閉めてない」

と、どなりながら、お母さんがバチリとほおべたをはった

「いた、ようしめんわい、茂行が釘うっとったさかい、しめられへんだじゃ」

おし入れの戸をつぶれるほど、ひどう開けて

中へとびこんで

また、ぱしんとしめかえした

涙がぽろぽろこぼれた

「茂行のあほ、おっ母のあほ、もうめしくわへんわい」

泣きながらどなって、こうりを、爪てがりがりとかいた。

 

 こういう詩です。これを読むと、さっきの小西君のコトバが、この子どもたちに、よくしみこんでいるなと思わされます。この詩は、たしかに、「正しいことを正しいといい、わるいことをわるいという」態度で書いているのですから。

 ところで、このページをめくります。すると、その裏に、いまの詩についての小西君の感想が書きつけてあります。それは、

「たしかにお母さんが悪かったな。お母さんも、きっと心の中であやまっておられるだろう。お母さんでも、お父さんでも、先生でも、いや、大臣さんがすることでも、悪いことは悪いんだ。勝郎君のおこるのもあたりまえだ。ぼくらが悪いことをしたら悪くて、先生や大臣が悪いことをしても、それは悪くないなんてばかなことはないからな。でもなあ、勝郎君、先生は『茂行こんなところに釘をうったらあかんぞ』といって、君が釘をぬいて、戸をしめておいてくれたら、こんなに腹をたてなくてもとも思ったがね」(下線の部分に傍点筆者とあり)

というのです。文中の「先生はいいとしとして、大臣とは大きく出たな」とわたしは思いました。小西君が、子どもたちに何かを、ここで考えさせたいのだなと思いました。でも、指導態度の一貫したりっぱな評語だと思いました。さいごの「腹をたてなくてもとも思ったがね」というところも、こまかい心づかいだと考えました。

 けれども話はこれからです。小西君はその次のページを「親と子」という欄につくっています。…

 

 今回は、国分一太郎が『教師』のなかでとりあげた、細見勝郎君の詩の紹介ということで、とりあえず、引用はここまでにします。

■国分一太郎著『教師―その仕事―』(岩波新書・1956年)は、Amazonではなんと「1円」+送料で手に入ります。(なぜ、「1円」で販売しているかは、ご判断ください。)「日本の古本屋」を検索して入手もできます。

 今、「教育」は、あるいは、「教師」は、こうした古典ともいえる文献から学びなおす必要を私は感じています。

 この続きを、本を購入して読むことを、いま特に若い先生におすすめしています。


第11回国分一太郎「教育」と「文学」研究会・記念講演・講師のご紹介

2015-06-18 11:03:47 | Weblog

没後30年・第11回国分一太郎「教育」と「文学」研究会・記念講演・講師のご紹介

 

 すでにこのブログでご紹介しているように、7月18日~19日にひらかれる、上記の研究会では、記念講演として玉田勝郎先生がお話をしてくれます。

 

 記念講演7月19日(日)  13:00~14:30 山形県東根市 長瀞公民館

     伸びて繁るものは必ず根あり

              ―国分一太郎の教育観と生活綴方―

                             玉田 勝郎 (関西大学 名誉教授)

 

 ご存じかとも思いますが、玉田さんは、旧姓細見勝郎さん。小西健二郎著『学級革命』に登場するクラスのリーダー的存在の「勝郎」さんです。国分一太郎の『教師』(岩波新書)にも細見勝郎さんの「叱られた」という詩が紹介されています。

 今回は、研究会の当日お配りする資料のなかから、玉田勝郎先生のプロフールをご紹介します。

 

玉田 勝郎(たまだ・かつろう)

□略歴

・1941年 兵庫県丹波市(旧 氷上郡大路村)に生れる

・1952年・53年 大路第二小学校(5・6年生)で小西健二郎に受け持たれる(小西健二郎『学級革命』出版、1955年)

国分一太郎『教師』(岩波書店、1956年)において、小西実践、学級文集『たけのこの兄』、勝郎の詩・作文が詳しく紹介される。(177頁~190頁)

・1971年 名古屋大学大学院教育学研究科博士課程 修了・退学

・1978年 関西大学文学部(教育学科)助教授――教授(1988年)

・1980年 雑誌『解放教育』特集号(「綴方の伝統をいまに」)で小西健二郎・玉本格と鼎談(「兵庫における生活綴方の歴史と実践」)

・2012年 関西大学定年退職

・2005年 兵庫県在日外国人教育研究協議会 会長(現在)

□主たる著書

・『子どもとかかわる思想』、『優しさまとめて花いちもんめ』、『子ども認識の分水嶺』、『非望』(編著)、『兵庫の解放運動 播磨編』(編著)、等々

・関西大学生活協同組合発行『書評』誌に「中野重治と教育」を連載中(現在、第十一回)


『作文名人への道』 読後の感想

2015-06-13 09:54:22 | Weblog

 

『作文名人への道』の編集者の一人、榎本豊さんからのメールを紹介します。同級生の方からの許可をいただいて、ここに載せさせていただきました。

 

 私の小中学校時代の同級生に、「作文名人への道」の本を送ったら、孫のためにもう1冊「アマゾン」で購入し、最近次のようなメールが届きました。参考までに。

 

「作文名人への道」読後の感想

  榎本豊さんへ

 

1.まず、大人の(私の)感想:

 実例や写真、図表が多く、分かりやすい本だと思いました。ただし、小学生には、やや、難しいかなと思いました。むしろ、キチンとした文章が書けない、親や教師たちに読んでもらいたい本だと言う感想です。

2.次に、小学生の反応:

 私どもの4人いる孫の中で上から2番目の、長女の子ども(つくば市の、小さな小学校(全校児童数200名強)に通う4年生の女の子(図書館からいちばんたくさん本を借りて読んでいると言う、女の子))と、今日、会ってお話ししました。少し難しいかなと思ったのですが、私から渡した「作文名人への道」は、すぐに読んでしまい、最近、「つぶやきノート」を自発的に始めたそうです。すごいね。

 小学校4年生でも、「作文名人への道」に反応するのだという、驚きと発見です。この子には、私の妻(ばば)と長女(母親)が、小さいときから童話やお話しの読み語りを聞かせていました。「三つ子の魂百まで」ですね。

 

また、発見があれば、お知らせします。

 

 「つぶやきノート」をはじめる。自分でいうのもどうかとも思いますが、これはとてもすばらしい。

こんな感想をいただけると、ああ、出版してよかったなと思います。そっちょくなご意見、ご批判もおまちしています。 (田中定幸)


『作文名人への道』編著者・執筆者紹介

2015-06-11 10:42:25 | Weblog

『作文名人への道』

編著者・執筆者紹介

編者

今井 成司(いまい せいじ)

 元東京都杉並区三谷小学校教諭。日本作文の会委員。杉並作文の会。立川市立第8小学校評議員。

          著書「楽しい読み合い・交流の授業」(共著・日本標準)ほか。

 

田中 定幸(たなか さだゆき)

 横須賀市立小学校、横浜国立大学講師等を務める。国分一太郎「教育」と「文学」研究会、神奈川県作文の会会長。綴方理論研究会、日本作文の会、日本国語教育学会会員。〈主著〉『作文指導のコツ①~③』(子どもの未来社)

 

榎本 豊(えのもと ゆたか)

 東京都豊島区・墨田区の小学校に努める。国分一太郎「教育」と「文学」研究会、綴方理論研究会、日本作文の会会員。〈共著〉『いま、なにをどう書かせたいか1.2年 3.4年 5.6年』(綴方理論研究会著・明治図書)   

    

執筆者・執筆担当

 田中 定幸  Ⅰ… 一・二・三・四・五・六 

 保坂 操(東京都東村山市立八坂小学校)  Ⅱ…一 

 榎本 豊  Ⅱ…二 

 吉田 綾子(元長野県下伊那郡喬木第二小学校) Ⅱ…三 

 下山 智之(岡山県津山市立林田小学校)  Ⅱ…四 

 瀧  史子(山口県岩国市立麻里布小学校) Ⅱ…五 

 中 一祝(東京都昭島市立武蔵野小学校)  Ⅱ…六 

 今井 成司  Ⅱ…七 Ⅱ…十 

 永山 絹枝(元長崎県諫早市立真城小学校) Ⅱ…八 

 久米 武郎(元神奈川県横須賀市立ろう学校) Ⅱ…九 

 

カット:上野、広祐

吹き出し下のイラスト:佐々木こづえ

 


『作文名人への道』-3 まえがき

2015-06-11 08:11:43 | Weblog

 この本を手にしたみなさんへ

  この『作文名人への道』を手にとってくださった、あなたは、どんな人なのでしょう。そして、「作文」について、どんなふうに思っているのでしょうか。

                    男の子、女の子、爺はキャラクターです。この本の中で対話をします。

 ・エンピツをもつと、手がうごかなくなってしまうんだ。(男子)

 ・何を、どう書いてよいかわからない(男子)。

 ・「意見文」「報告文」「随筆(ずいひつ)」、むずかしそうだね。(女子)   

 ・もっと上手に作文が書けるといいな。女子

 ・物語も書いてみたいなあ。(男子)

 ・作文を書きながら、しっかりとした考え方のもてる人になりたいな。(女子)

 

 小学校の高学年にもなると、もう、10年も生きてきたのですから、生活経験も学習してきたことも、一人ひとりみんなちがいます。「作文」についても、いろいろな思いがあるでしょう。

それに、書くということは、ほかの人とちがう、あたらしいものをつくりだすことになります。ですから、「作文を書く」ということは、たいへんだと思ったり、悩んだりするのがあたりまえです。

 

 *「今のあなた」からスタートできるのが、作文のいいところ。(爺)  

 *あなたは、とても「うんが」いい人。(爺)

 

 それを解決する本と、今、出あっているからです。数ある本のなかからこの本に出あうことができたからです。この本を、今、手にしているからです。

 この本を読めば、悩みがふきとんで、書いてみたくなります。書く楽しさを味わえるはずです。小学校の高学年にふさわしい表現力を身につけることができるからです。

 この本には、これまでに日本の子どもたちが書いてきた作文をもとに考え出した、つぎのような「作文の書き方のコツ」がかかれているからです。

 作文は、書く「内容」によって表現のしかた(構成(こうせい)や記述)がちがってくるところに目をつけているのです。

 

 ☆「思ったこと」は、思ったとおりに書く。→思ったことを書く力

 ☆「ある日の出来事」は、出来事のはじまりから順に書く。→事実を書く力

 ☆「長い間にわたった出来事」は、ことがらをえらび経過にそって書く。→経過(けいか)を書く力

 ☆「知らせたいこと・考えたことは」は、説明するように書く。→説明風に書く力

 ☆「必要なこと」を説明したり、事実=具体例を入れて書く。→事実を入れて書く力

 

 こういうあたりまえの書き方が身につけば「意見文」「報告文」「観察文」あるいは随筆などもかんたんに書くことができると考えてつくられています。

 そして、じっさいに書くときには、「何を」「どんな組み立て」で「どう書く」かを「書き方のコツ」としてわかりやすくみなさんにお伝えしています。