きのう一日のつかれに、われを忘れて寝こんでいても、朝になれば、あなたは起きなければなりません。起きて学校へ向かわなくてはなりません。五十人、六十人の生きた子どもが、あなたを待っているからです。待っている子どもに、きょうもまた、なにか一つ、新しい、よいことを、あなたは教えてやらなければなりません。あなたは、生きた子どもを、親たちから、世の中から預かっている人なのです。思い責任をもっている「魂の技師」なのです。
君ひとの子の師であれば
とっくに それは ごぞんじだ。
あなたが 前へ行くときに
子どもも 前を向いていく。
ひとあし ひとあし 前へ行く。
「君ひとの子の師であれば…」は、あまりにも有名である。国分一太郎先生が書かれた『君ひとの子の師であれば』の中表紙のうらに書かれたコトバである。「きのう一日のつかれに、…」は、同じ本の「あとがき」の冒頭の部分である。このコトバも私にとっては、忘れられないことばの一つである。(T)
『君ひとの子の師であれば』(国分一太郎著 1959年 新評論)