ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

2554年 最後

2011年12月31日 03時43分17秒 | 日記
2011年12月31日。
タイでは仏歴2554年、最後の日。
以前から同僚のサオ先生が年末年始に泊まりに来るように誘ってくれていて、
タイの一般家庭の年末年始を一緒に過ごせると楽しみにしていたけれど、
カウンターパートのビュウが、
「31日はコンケンにいた方がいい!私が遊びに連れて行こうと思ってたのよ。
だってコンケンに花火が上がるのよ!」
という。
でも、サオ先生と約束していたし・・・・
なんて言ってたら、前日になり、サオ先生が仕事で都合が悪くなったという。
それで、ビュウのお誘いにのってコンケンで年末を過ごすことに。

こんな感じで、予定は全く未定なもので、約束をしていても前日当日にキャンセルになることも
急に旅行に連れて行かれることもある。
日本とは違う、日本人にはきっと言葉で説明しても分かってもらえないだろう
何でもありの感覚。
急に変更ありだけど、どんなに変更になりキャンセルになっても互いに
「マイペンライ」(大丈夫、かまわないよ)の一言で
嫌な顔1つせず、互いに許容しあっているタイ人はすごいと思う。


2554年最後の大事な日、特別な日だから頑張って早起きして、
サイバーツ(タンブン・喜捨)をする。
約束通りの6時にナムプリック屋にいくと、お父さんは、今日も朝の掃除。
そして、お線香をあげて祈る。
毎日毎日お父さんの朝は変わらず、こうしている。
    



お父さんが家族同様にかわいがっている犬のラッキーも、
僧侶がやってくるのをじっと待つ。
    



特別な日だから、と、お母さんがカオニャオ。ナムプリック、ガイトー(鳥の唐揚げ)、
お菓子を用意。
     



僧侶に「チョーックディーピーマイカ-」(よい年をお迎えください)
と渡す。
ラッキーもじっと見守る。
      


大晦日の特別な日。
厳かに、静かな気持ちで朝からサイバーツ。
空気がしっとりとした感じ。
    



私が眠そうにしているものだから、お母さんは
「早く家に帰って寝なさい、今日は友達と一緒にごはんを食べるんでしょう。
 そして、明日は友達の家に行くのよね。疲れるから少しでも部屋で休みなさい。」
と私の予定をすべて把握していて、本当のお母さんのようにいたわってくれる。
するとそばでお父さんが
「おはよう」「ありがとう。」
と昨日私がプレゼントした日本語の本を読んで勉強している。
     
お父さんもお母さんも大好き。
親を大切にするタイ人、お父さんはいう。
「さちえに会いに日本に行くから、さちえのお母さんとも話せるように
勉強しておかないと。」
勉強熱心なお父さんに驚かされる、そして、ものすごーーく、うれしい。
   

家に帰る私に、お父さんが
「チョーックディーピーマイカップ」と
犬のラッキーとワイ(合掌)してくれる。
      





ビュウからは、「10時から遊びに連れて行くから」
と言われていたけれど、前日に
「お昼に迎えに行く」と言われ、
さて、サイバーツから家に戻ると、FACEBOOKのメッセージで
「2時に迎えに行くね」と来ている。
そのあと、「4時になる」と連絡が来て、
結局は6時半。
まあ、こんな感じだ。



タイは旧暦の正月をソンクラーンで盛大に祝うけれど、
12月の年末もそれなりにお祝いをする。
日本のように、31日はあちこち買い物をする人でごった返し、車も多い。
ビュウと市場で買い物をすると、慌ただしく人々が行き交うのが見える。
    



ビュウのご主人の実家で、親戚一同たくさんの人が集まって食事。
そこに一緒に入って食事とおしゃべり。
大学生の女の子が何やら熱心にビール瓶と向き合っていると思ったら、
ラベルのシールをイタズラして、こんなことをしていた。
左が普通のビアリオ。 右はイタズラされたビアリオ。 びっくりして目が。
ゲラゲラ笑った。
     


食事をおえて、水浴びも終えて、コンケンのデパート、センタン(セントラルプラザ)へ。
車の荷台に乗っていくのは日本ではできないことだから、それだけで楽しい。
    


センタン近辺は、大渋滞。
交通整理の警察官がこんな飾りを頭につけているんだから、タイ人ってホントかわいい。
     


センタンの周りは電飾ですごいことに。
あちこちで写真撮影。
派手なすごい飾り付けであっぱれなのだけど、足下は電線だらけで
暗闇でつまずく人が続出。
      



カウントダウン記念Tシャツをみんなで買う。
サササッと人の壁を作って着替えを隠しているのには、笑った。
     



大変な人だかりで、大きな道路が完全に封鎖され、そこには特設ステージが。
私にはよくわからないけれど、有名な歌手が来ていて
大勢の人が大興奮、熱気でむんむん。
    


ステージ前には行けずに、ほとんど見えないステージ横から
歌を聴き、たまにちらりと見える歌手の姿を待っている少年がいて
コンケンにこの歌手がくるのを楽しみにしていたんだろうなあと思う。
経済的に豊かな人もたくさんいるけれど、やはりこの東北の町は貧しい人も多い。
バンコクにそうそういけるわけではない。
そういう人たちは、今日センタンに来てこの歌手を見るのをすごく楽しみにしていたんだろうなと思う。
     


歌手が子どもをステージに乗せて、一緒に熱唱する。
自分の来ていたTシャツをわたす。 すると会場中が喜んで歓声を上げる。
子どもを誰もが一緒に愛そうとするところも、タイ人のすごさ。
     

すごい人人人で、歌手の登場により興奮して走っていったカウンターパートとは
早くからはぐれてしまった。
大音響、すごい人だかり、今連絡しても無駄だな、これは、とその場から動かずに
この一大イベントが終わるまで大人しくしていることにする。



12時が近づくとカウントダウン。
 
新年があけ、
「サワッディーピーマイ!」(あけましておめでとう!)の声と同時に
花火が上がる。
それが、大迫力。
日本より規制がきっと甘い分、人の近くに花火が上がるためかな。
     


花火が終わると一斉に人がひいていくけれど、そうなるとはぐれた人たち同士が
探しあう。
ステージからは、さっきまでカウントダウンをしていたアナウンサーから
「○○ちゃーん。友達がステージの横で待ってるよ-!」
「○○くーん。お兄さんとお母さんが呼んでるよ-!」
と、DJのノリでお呼び出しがかかり、会場のみんなが笑っている。
この何でもありのタイ人って、すごくいい。
      



真夜中の1時。
さあ、もう帰るだろうと思ったら、そこからなぜかレストランへ。
「さちえ、ステーキを食べてから帰るわよ」
と、この時間からステーキが目の前にやってくる。
こういうお祭り騒ぎの時には、タイ人は一日中食べている。
私はもう、眠くて眠くて食べられない。
明日も、早朝サイバーツをする約束をしているし、
同僚の家に行く予定もあってその準備もある。
目の玉がつぶれそうな思いで、ステーキをかみかみ、話に相づちを打ち
こっくりこっくり・・・。


家に帰ったのは2時。
これが、タイ人の(若者の?かな?)年越しか-!
とひりひりする目玉をひんむきながら、明日の準備。
2554年最後の日、猛烈に眠いけれど、今日もいい経験をした。