ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

嘘のような

2011年02月15日 21時40分35秒 | コンケン 第9特別教育センター
午後、第2のカウンターパートから呼ばれる。

いくと
ある女の子の名前を挙げ、にっこり笑って
「タイレオ」と言う。

「タイレオ?」
タイレオ とは、死んだという意味。
だけど、だけど、目の前のカウンターパートは
にっこり笑っている。


だから、「タイレオ」の意味がつかめない。入ってこない。
眉をしかめ、怪訝な顔をして 言葉が出ない私に、
「タイレオってわかる? タイレオって知ってる?
 英語で Dead よ。」
と、また、にっこりとして言う。


「分かります。タイレオ、分かります。」
と言いながら、混乱。
だって、それを伝えるにっこり笑っている顔と、
子どもが死んだ、という言葉が、そぐわない、結びつかない。


つい最近、コンケン大学の先生と活動のことで話をしたとき、
納得がいかず、真剣な顔の私に
カウンターパートが横から
「なぜそんな顔をしているの。笑いなさい、さちえ。」
と言われた。
その時、真剣な話をするときにもにっこり笑うなんてできない、と
ものすごい違和感を感じたが、
それ以上。

こんなことも、笑顔で言うのか。
言わなきゃいけないのか。


まだ7才。
なんにでもひたむきで、けなげで、その子の姿が
目に浮かび、ついこの間、一緒にちぎり絵をやったのに、
かくれんぼをして声をたてて笑っていたのに、と
涙がぐっとあがってくるが、
まわり、泣いている人なんていない。
泣くということは、この人たちは、普段からとてもいやがる。
つらい時こそ、我慢して笑いなさいとも言う。


すべてのタイ人が、人の死も笑顔で伝えるというわけではないと思う。
私が見ていないだけで、心痛な面持ちの人もいるのかもしれない。

だけど、
日本でならば、にっこり笑って
「あの子が死んだのよ。」と、教え子の死を伝える人がいるだろうかと思う。
生まれ育ったバックボーンである、国が違う、と感じてしまった。
どうしても受け入れがたいものがあるということを感じてしまった。


タイ人は、とにかく笑顔を大事にする。
微笑みが上手であり、それは、すばらしい文化と思う。
それでも、
子どもが死んだということと、それを伝えるカウンターパートの笑顔が
私には結びつけられない。
どうしても、どうしても、笑顔が受け入れられなかった。


聴覚障害クラスの、よく関わっていた子だった。
自信がなくて、背中を後押ししないと踏み出せないところがあって
でも、その分慎重で、一つ一つ誠実にこなす子だった。
絵を描くのが好きで、感性がよく、考える力があって、ダンスが上手。
朝の集会では、じっと私の歌と踊りを見て、真似していた。
見る力があった。


こんなに近しい教え子が死ぬという経験は、はじめてのこと。
教師をしていれば、たくさんの子どもたち、生徒たちと出会いを重ねていく。
だから、いつか、こういう経験をするのは必然だとは思っていた。

それが、このタイでとは。


悲しい顔をして悲しめない。
私にはまったく受け入れることのできない笑顔に寒気立つ。
肌をざわざわと波立たせるさせる違和感。
私には出来ない。

いろんなことで、力をすり減らしてしまった最近。
その力を少しずつまた蓄えていこうとしていた矢先、
人の死というものを受けとめるだけの
十分な力を、今もっていない。

今、ここに、誰も悲しみを共感できる人がいない、
一人だけ孤立しているような気さえする。
一人だけで、この悲しみを受け止めないといけないように思えてくる。
腹の底を割って、今の思いを伝えあえる人が見つからない。
それが、なお悲しい。
とても混乱する。


あたたかいぬくもりのあった人間が、
私の手を握って歩いた、
たった7才の子が死んだ。
心が痛い。




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