錆鉄人にとって青春の一番の思い出は高校1年生です。
井波先生という素晴らしい先生と、
大学を卒業した1976年以来、未だに4年ごとにクラス会を続けている同級生たちとの思い出です。
錆鉄人は三学期通してクラス会長(級長)だった関係で「万年幹事」を務めていますが、
先生は1995年に享年52歳で亡くなられてしまい、
クラス会は1回中止したのですが、みんなから要請されて復活させました。
先生が亡くなられた時、同僚の先生たちが追悼集を作ろうと立ち上がり、
錆鉄人も編集委員を命じられ、
みんなから想い出を募集して、編集会議に出て、出来上がった本を出来るだけたくさん売って赤字を少なくする役割を務めました。
確か1冊2800円だったと思いますが、
錆鉄人は福井県内の同級生には本を持って直接「押し売り」に出かけ
(他の人たちは定価で買ってもらっていたようでしたが・・・)
「赤字だから1万円出して!」とお願いして、ほとんどの人が1万円出してくれ、28万円程集めました。
県外の人にも同様の事を書き、買ってくれた人は1万円送ってくれたはずです。
(郵便振込で本部に送られたので詳細は不明)
その時にもらった返事や本を送った後にもらった手紙が今日ひょっこりと出てきました。
クラス会の資料や写真、想い出として送ってもらった文章などはまとめて保管しているのですが、
なぜか5~6通の手紙が違う所に紛れ込んでいたようで(錆鉄人は「片付け」が苦手なものですから)
書類の片づけをしていた天女が「こんなものがありましたよ」と言って渡してくれました。
断捨離というのが流行っていますが、錆鉄人は死ぬまで想い出を捨てたくないのでスキャンして保存しました。
という事で、パソコンが壊れてもブログから復活出来るようにアップする事にしました。
なかには死んでしまった人もいて・・・複雑な気持ちです。
胸を張って先生にあの世で出会えるような生き方をしたい、と改めて思いました。
先生のお母さんは40代で亡くなられ、先生は52歳で亡くなられ、
先生の2人の娘さんも先生の亡くなられた年齢に近くなってきたけれど、2人には幸せに長生きして欲しいものです。
井波先生という素晴らしい先生と、
大学を卒業した1976年以来、未だに4年ごとにクラス会を続けている同級生たちとの思い出です。
錆鉄人は三学期通してクラス会長(級長)だった関係で「万年幹事」を務めていますが、
先生は1995年に享年52歳で亡くなられてしまい、
クラス会は1回中止したのですが、みんなから要請されて復活させました。
先生が亡くなられた時、同僚の先生たちが追悼集を作ろうと立ち上がり、
錆鉄人も編集委員を命じられ、
みんなから想い出を募集して、編集会議に出て、出来上がった本を出来るだけたくさん売って赤字を少なくする役割を務めました。
確か1冊2800円だったと思いますが、
錆鉄人は福井県内の同級生には本を持って直接「押し売り」に出かけ
(他の人たちは定価で買ってもらっていたようでしたが・・・)
「赤字だから1万円出して!」とお願いして、ほとんどの人が1万円出してくれ、28万円程集めました。
県外の人にも同様の事を書き、買ってくれた人は1万円送ってくれたはずです。
(郵便振込で本部に送られたので詳細は不明)
その時にもらった返事や本を送った後にもらった手紙が今日ひょっこりと出てきました。
クラス会の資料や写真、想い出として送ってもらった文章などはまとめて保管しているのですが、
なぜか5~6通の手紙が違う所に紛れ込んでいたようで(錆鉄人は「片付け」が苦手なものですから)
書類の片づけをしていた天女が「こんなものがありましたよ」と言って渡してくれました。
断捨離というのが流行っていますが、錆鉄人は死ぬまで想い出を捨てたくないのでスキャンして保存しました。
という事で、パソコンが壊れてもブログから復活出来るようにアップする事にしました。
なかには死んでしまった人もいて・・・複雑な気持ちです。
胸を張って先生にあの世で出会えるような生き方をしたい、と改めて思いました。
先生のお母さんは40代で亡くなられ、先生は52歳で亡くなられ、
先生の2人の娘さんも先生の亡くなられた年齢に近くなってきたけれど、2人には幸せに長生きして欲しいものです。
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