リューブログ

ゲッカンタカハシゴー

「ゲッカンタカハシゴー」は広告を載せないバイク雑誌だ。
バイク雑誌といってもニューモデルのスクープもないし新製品インプレッションもほとんどない。オピニオン誌とは良く言ったものだ。こんな雑誌が今のご時世に出ることが奇跡かもしれない。

タイトルは「スーパースポーツ不要論」
なんともキャッチーなタイトルだが書いてる本人はいたって真剣のようだから困ったもんだ。
曰く「モーターショーでは車は自動運転、ハイブリッドと文明として進化しているが、かたやバイクは未だに馬力や最高速を謳っている。それが気恥ずかしい」
確かにバイクにはハイブリッドは存在しないが、バイクがエコロジーではないとは言えない。元々の燃費や製造にかかわる環境負荷という意味でもエコロジーではないとは言い切れない。
車にだってハイパワーな車は一昔前に比べると明らかに車種は増えているし、環境負荷でもプリウスだって疑問だ。

スーパースポーツがストリートで必要であるかとか素人に扱いきれるかという問題には確かに同意できる面もある。安全という意味では車より一歩も二歩も譲るのに異論はない。しかしそれは原付でも変わらないし、パッシブ面での安全性はパワーや排気量には関係ない話だ。

バイクであろうが車であろうが、パワーやスピードを追求してきてこその物であるし、人にはそれを操作したいという欲求があるからこそここまで発展があったと思う。技術の発展が人の能力を超えて操作できない領域までハードとして到達していたとしても、人が操作出来うる最高の性能を人は求めるものだと思う。
全てが危険だ、危ないと言うならこの世からモータースポーツも登山も無くなるだろう。危険な領域に身を置き、それを克服して到達する頂を制するからこそ、皆から称賛され羨望を浴びるのだ。

などということを今更ながらに説法しなくても「ゲッカンタカハシゴー」の編集者はわかっているだろう。そうでなくてはバイク雑誌の編集なんて仕事でもできない。
「スーパースポーツ不要論」というキャッチーなコピーを使ってしまうところがこの雑誌、ひいてはマスコミ全体の問題ではないかな。
つまり「スーパースポーツは必要か?」や「スーパースポーツの将来」なんてコピーでも良かったはずだ。そこを「不要論」という過激なコピーで目を引こうとしている点が、もちろん売れて何ぼの世界であるからしょうがないけども、マスコミが昨今解決しきれない問題なのかもしれない。
確かに内容も「スーパースポーツ不要」という主張は一貫している。が、ファミレスでの座談会の内容を読むと、「危ない」とか「法律」といった正論だけでは、人の「速さ」を求める欲求を抑えるには至らないように思える。法律もバイクも人が作った物なのにね。

バイクという乗り物がいつまで生き残るのかは僕にもわからないが、それでもバイクでしか得られない悦びがある以上バイクはこの世から消えないと思う。
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