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国家予算と赤字国債

2010年03月12日 00時51分32秒 | Weblog
「20xx年日本の財政は破綻しました」で始まる3月7日ある新聞の日本破綻の妄想記事を見て思った事。
記事の中では、国の信用不安から円安ドル高で国債が投売りされ、株価も史上最安値をつけたとしている。
確かに我国の2010年の1年間の税収は、わずか32兆円。
それに対して、歳出は92兆円。
税収不足分補填のため44兆円の赤字国債を発行した。
財務省は今後税収不足で以後3年間は50兆以上の歳出不足が生じ、引き続き赤字国債発行される見通しとしている。
そして、2010年末までに債務残高は949兆円になり、GDP比率では1.97倍国民一人当たりの借金は約750万円という。
しかし、日本経済が破綻するという新聞社の妄想は、実現しないだろう。
記事によると、日本財政破綻のターニングポイントは、日本の国債を買っている諸外国の投売りにより暴落すると書かれている。
が、実際に外国が購入している日本の国債はほとんどない。
であるから、投売りしたくても出来ない。
そのため、暴落するわけもない。
全くいい加減な前提で書かれた、国民を不安に陥れるだけの妄想記事だ。
日本の国債の9割以上は、日本国内の金融機関が持っている。
そして、1400兆円ある国民の資産から類推し、発行できる国債は後569兆円あるという。
つまり、10年の内に財政を立て直せば済む話である。

以前、同じような記事を読んだ事を思い出した。
未来の話ではなく、過去の事だ。
第一書房が発行していた雑誌「セルパン」の1933年(昭和8年)11月号の記事である。
東京朝日新聞社編集局主幹、経済学者で早稲田大学教授の牧野輝智による「非常時予算と国民生活」だ。
これによると、1931年(昭和6年)の満州事変以降の大日本帝国の国家予算は、歳出が歳入を上回り赤字国債によって経済を支えていたという。
1931年(昭和6年)の一般会計による歳出は15億3000万円。
ところが、歳入は13億円程度しかない。
2億3000万円の不足を赤字国債発行で穴埋めした。
翌1932年(昭和7年)は、20億円の歳出、歳入は12億。
差し引き8億円の赤字国債を発行した。
1933年(昭和8年)は、歳出23億円で10億円の赤字国債。
1932年(昭和7年)3月末の国債発行残高は74億円、翌年には80億円、1934年(昭和9年)には90億円となったという。
赤字国債は、満州事変対策費等軍備予算と不況対策費が大部分を占める。
年を追う事に泥沼化する支那との戦いはしだいに軍時予算の拡大を生じ、予算から突出するようになる。
牧野輝智は、軍事費に対して否定的なコメントは掲載していない。
満州事変以降、マスコミの誰一人として軍事関係抑制を叫んだ人はいなかった。
軍国主義に肩までどっぷりと浸かってしまっていたからね。

ここで、赤字国債の状況が、今と異なる点がある。
日本国債の引き受けにアメリカやイギリスといった諸外国が、名乗りを上げている点だ。
国際市場で入札された国債を元に、武器を購入して戦争を続行する事は珍しいことではない。
日露戦争時の軍需費の殆んどをアメリカ、イギリス、ドイツのユダヤ人が日本の国際を購入して戦費のバックアップをしたのは有名な話で、満州事変以降も日本の国債は外国によって買われていた。
年を追う事に増刷される日本の赤字国債は、しだいに信用を失い利息が増加するのは致し方ないところ。
このまま行けば、投売りとなるジャンク債に陥る。
つまり、国家の破綻へ結びつく。

そこで、登場するのが高橋是清だ。
彼は、昭和4年(1929年)の世界恐慌で混乱した日本経済をデフレから世界最速で脱却させた。
その手腕を買われ昭和9年(1934年)大蔵大臣に就任したのだ。
彼は、世界恐慌時は財政出動として軍事費を一時的に増額して急場をしのいだが、今回は逆に赤字国債発行を抑制するため、経済収支を正常に戻そうと国家予算を逼迫させる軍事予算縮小を図る。

この高橋是清の財政手腕が生かされれば、大日本帝国は枢軸国にいながら戦後の民主国家へと変貌する事に成功したフランコ総統のスペインのように帝国主義からソフトランディングさせ民主国家へと変える力を持ったかもしれないが、歴史はそうは望まなかった。
軍縮を推進した高橋是清は、軍部の恨みを買って1936年(昭和11)の二・二六事件で暗殺され、財政改革は途切れてしまう。
まことに残念なことである。

二・二六事件自体は鎮圧され、反乱将兵の精神的支柱だった新潟県佐渡出身の北一輝を含め加担した将兵18名が死刑となって終了した。
これ以降政党政治は実質的に終わりを告げ、結果的には飽くなき軍部の国家予算獲得を誰も止められなくなったしまったことを意味する。
予算獲得が官僚の命題であるから、彼らにとってみれば二・二六事件は、まさに天からの贈り物であったに違いない。
北一輝の『日本改造法案大綱』は、戦術的には失敗であったが、戦略的には成功を収めたといえる。
そして、飽くなき予算追求の結果、終戦間近の国家予算の軍事費に占める割合は目出度く80%を占めたという。
軍隊あって国家なし、を成し遂げた大日本帝国陸軍ならびに海軍の官僚が勝利した日である。

今の軍事費(防衛費)はわずか5兆円で、国家予算の5%を占めるに過ぎない事を考えれば、財政再建のためやむなく赤字国債を発行することは致し方のないところ。
であるから、冗費を削り適材適所に予算を配分する事が重要であろう。

あっ。
北一輝と西田税の『日本改造法案大綱』本。
家蔵している。
いずれ、紹介する。
乞うご期待。
西田税は、「にしだみつぎ」といい、北一輝ともに二・二六事件で死刑となった。
渋谷区宇田川町にある刑場跡地には、慰霊塔がある。
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