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『ルバーイヤート』 平凡社ライブラリー 岡田恵美子訳 その2

2009年09月30日 02時02分04秒 | Weblog
岡田恵美子訳の平凡社版『ルバーイヤート』。
以下の8章から構成されています。

第一章 創造、この不可解なもの
第二章 生きる苦しみ
第三章 太初からの運命
第四章 廻る天輪
第五章 土から土へ
第六章 なるようになるさ
第七章 無
第八章 一瞬を知ろう

さらに、各章のはじめに「プロローグ」として、岡田女史が実体験したペルシアと日本との宗教や生活文化面でのエピソードが、2~3ページ付け加えられています。
この話題、イラン人の持つ死生観、宗教観が垣間見えて面白い内容です。

例えば、出稼ぎのため来日したイラン人労働者達の「日本にはモスクがないので、せめて有名な詩人の墓に詣でたい、ハイク(俳句)でもいいです」との驚くべき話は、イラン人にとって「詩」が生活や宗教と密接に関わり、切っても切り離せないことを表した出来事でしょう。
遠い異国の地の詩人の墓石ですら、祈りの場として認め心の安らぎを得るという彼らの優しさが、私にははっきりと見えました。
イラン人の懐深い宗教観は、日本民族の想像を遥かに凌駕しておりますねぇ。
取り上げられたエピソードはいずれも面白く、この「プロローグ」を読むだけでも平凡社版の『ルバーイヤート』購入の価値はあると思います。

参考までに、岩波版『ルバイヤート』の構成を見てみましょう。
章立てこそしていませんが、平凡社版同様に8つに分かれております。

解き得ぬ謎(なぞ)
生のなやみ
太初(はじめ)のさだめ
万物流転(ばんぶつるてん)
無為の車
ままよ、どうあろうと
むなしさよ
一瞬(ひととき)をいかせ

続いて、訳詩を見てみましょう。
第1歌を紹介します。

平凡社版 第1歌
チューリップの頬のよう、あでやかな糸杉のように、
どれほどこの姿が美しかろうと、
土の舞台に、どうして久遠(くおん)の絵師は、
この私を飾りたてたのか。

岩波版 第1歌
チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、
我が面影のいかばかり麗(うるわ)しかろうと、
なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
土のうてなになんか飾ったものだろう?

岩波版小川亮作訳の
糸杉のあで姿
久遠の絵師
飾ったものだろう
の3つの字句。
これをベースに、平凡社版岡田訳では、詩を構築しているように見受けられます。
先達の名訳に、後発は手こずっている感じですか。

続きまして、平凡社版の第40歌(岩波版では第48歌)をピックアップしてみましょう。
この四行詩は、拙著『四行詩集彷徨』で取り上げた邦訳30人、50冊のルバイヤート本の第3歌に該当します。
まず、エドワード・フィッツジェラルドの英訳版第3歌(III)をご覧ください。

III
And, as the Cock crew, those who stood before
The Tavern shoutedー"Open then the Door!
"You know how little while we have to stay,
"And, once departed, may return no more."

フィッツジェラルドの英訳、before、Door、moreの韻も美しい、ペルシャ語の四行詩の雰囲気を伝える名訳です。

邦訳を代表する第3歌として『四行詩集彷徨』では、久留勝氏の訳詞を取り上げました。

第3歌
鶏(とり)鳴く朝のうすあかり
酒場(タバン)の門(かど)の人だかり
 開け留まる日はわづか
立ち去り歸ることなかり

あかり、人だかり、ことなかり、とこちらもフィッツジェラルドに負けない、素晴らしい押韻が展開されております。
壽学文章氏も絶賛した名訳ですね。
数ある『ルバイヤート』の邦訳の中で韻を踏んで成功した人物は、久留勝氏を除いて存在しません。

第3歌に該当する岩波版第48歌を先に見てみましょう。

岩波版 第48歌
われは酒店に一人の翁(おきな)を見た。
先客の噂(うわさ)をたずねたら彼は言ったー
 酒をのめ、みんな行ったきりで、
 一人として帰っては来なかった。

押韻は1,2,4行の最後が、「~た」という平凡に推移しております。
とはいうものの、「見た、言った、来なかった」とリズミカルにたたみかけられると、オリジナルのルバーイの雰囲気を味わうような気持ちにさせます。
また、「酒をのめ、みんな行ったきりで 一人として帰っては来なかった」という避けられない運命について、的確に現しているように思えます。
名訳の一つといえるでしょうね。

平凡社版岡田女史訳では、第40歌です。

平凡社版 第40歌
酒場で一人の老人に会って、
立ち去った人たちの消息をたずねると、
この答えー「酒をのめ。お前と同じおおくの者が、
行ったっきり、なんの便りもありはしない」

「"And, once departed, may return no more."」や「立ち去り歸ることなかり」、「一人として帰っては来なかった」という少しシュールな語句も、女史にかかると「なんの便りもありはしない」という家庭的な出来事に読めてしまいます。
押韻もなされていませんネ。

押韻が詩のすべてではない事は、勿論であります。
が、韻を踏む努力は、言葉の選択を慎重にさせ、結果的に詩を美しくする効果はあると思います。
努力は報われるのです。

ということで、第3歌(第48歌、第40歌)、私のかってなジャッジを述べさせていただけるのならば、以下の通りでございます。

フィッツ>久●>>●川>●田

つづく
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