最近、私のところに「うちの親が・・・」と泣きついてくる小6の女子生徒がいます。
親御さんとも面談済みで、受験をしたいと言い出したのは生徒本人のようです。理由は、自分の学区内にある中学には絶対に行きたくないから、というものです。
それが、どうも夏休み辺りから、本人が妙なプライドをひけらかすところがある、要するに受験勉強をしているから偉いというような意識を持ち始めた(私には全く思い当たる節がないのですが)らしく、お母さんが「受験はさせない」などと言い始めたのです。
本人はかなりねばり強い性格なので、それでも勉強をやめようとはしません。受験も絶対にすると言っています。
すると、今度はお父さんの方が、「合格するような勉強をとてもではないがしていない」と、毎日本人に文句をつけるようになったのです。
確かに、本人はあまり頭の回転が早いほうではないのですが、反復してきちんと理解することは十分にできる能力があります。試験の偏差値も決して悪くありません。出した課題もサボったことはないのです。
私には、何が不満なのかよくわかりません。
話をいろいろ聞いてみると、どうやら父親の考え方にかなり強烈な「クセ」があるのだということがわかりました。
その父親は、とある大学付属の高校(偏差値が相当高い、いわゆる難関校)に行っていたのですが、学内の推薦で希望の学部に入れないとわかり、わざわざ一般入試を受け直してその学部に合格したそうです。
私立大学の中では1、2を争う難関大学の、最も人気の高い学部です。
また、家の裕福さから見ても、会社で相当いい役職についているのではないか、と思われます。
こういう経緯を聞けば、私はだいたいその父親がどんな人間かわかります。
おそらく、自分が成功したやり方を、そのまま下の立場の人間にやらせようとするタイプです。
こういう人は、何でも自分の「成功体験」から減点法で評価してしまいがちです。失敗する経験を積んでいない(あるいは、それを巧妙に避けている)ので、失敗する人間はみな努力が足りないと思ってしまうのです。
そして、なんと、家族のメンバーは、父親以外みなそのことをちゃんとわかっているのです。
娘である生徒本人も「あの人は何でもできるから・・・」などと言っていましたし、奥さんである母親も、面談のときに似たようなことを洩らしていました。
高度成長期やバブル経済の時代に「成功」した人には、上のような傾向が強いのではないでしょうか。
時代がたまたま敗者復活ルートを沢山用意してくれているときがあります。たとえば、1970年代前半なら、オイルショックが深刻なときでも、大卒で仕事がないということはありませんでした。バブル経済のときも、大学生は「売り手市場」でしたね。
こういう時期には、何をしても「成功体験」になってしまいます。間違ったやり方や相当回り道をしたやり方でも、自他ともに満足のいく結果(たいていは、就職先や結婚相手)にたどり着くことができたからです。
そういう経験しかしてこなかった人は、「敗因」の研究というものをほとんどしていません。だから、自分以外の人間が同じことを(違う能力や状況で)やってつまづいた場合、どうしてそうなるのかわからないのです。
自分の能力を信じ、失敗した人間やうまくいかない者を蔑むのは、ある意味若者特有の行動だと思います。
司法試験のような難しい試験には、10年くらい受験生をやっている人が結構沢山います。
もちろん、ただ単に不真面目なだけなのかもしれません。本当に才能が無い人もいるかもしれません。
しかし、そういう受験生だけが何度も受験しているわけではありません。仕事と両立しながら受けるといった時間的なハンデがあったり、予備校の講座等を受講するだけのお金が無かったり、何らかのハンデを負っている場合や、惜しいところで何度も涙を飲んでいる受験生も、たくさんいるのです。
ところが、受験したての若い受験生は、「何回も受けるなんて、要領が悪いに違いない」と、ほとんどみんなが思ってしまうのです。そして、「自分はそうはならない。さっさと要領よく受かってみせる」と。
私自身の経験からも分かるのですが、そういう思い上がった態度は、ただ単に「子供」なだけなのです。
「子供」というのは、失敗や苦労の経験がなく、他者への共感に乏しい人間、という意味です。また、言い換えれば、「自分だけは何でも出来る」と勘違いしている状態だと思っても良いでしょう。
子供が「子供」なのは当然です。しかし、社会生活で失敗を繰り返していく中で、だんだんと慎重になっていくものです。
そうやって、同じものを目指すとしても、人それぞれいろんな到達方法があるんだ、と思えるようになる。それが、「大人」になるということです。
私も、受験指導については「正しいやり方をすれば必ず受かる」と100%信じていた時代がありました。
しかし、やはり個人の差はあるのです。それは、頭の程度だけではなく、目指そうと思う動機付けの濃淡であったり、その人を取り巻く人間関係だったりします。一見デメリットとしか見えない要素も、その人の個性であることは違いありません。だから、服を着たり脱いだりするように、一朝一夕で変えることはできないのです。
そういう色々な条件を考慮しながら、それでも最良の目標はどこか、そのためにした方がいいことは何か、今では生徒毎に考えて接することができるようになりました。
羨みでも妬みでもなく、上に出てきたようなお父さんは「かわいそうな人」だと思います。
きっと、お父さんには、娘がどうして自分の「有り難い」アドバイスや激励に従わないのか、さっぱり理解できないにちがいありません。
自分のやり方や考え方であれば失敗などするはずはないのに、どうしてこいつは俺の言うことを素直にきけないのだろうか?
娘の要領の悪い(これもまた一つの個性だと思うのですが)勉強のしかたを見ていると、お父さんにはそんな疑問がふつふつと湧いてくるでしょう。そして、思い通りにならないことに苛立って、「受験なんてするな」と言ってしまうのでしょう。
ひどい言い方をするようですが、テレビゲームで思い通りのプレーが出来なくてかんしゃくを起こしている小学生と、考え方は同じです。
うまく行かないと言うのなら、なぜその「本人」のいる場所まで降りていってあげられないのでしょうか。
受験なんてしなくていい、と言えるなら、なぜ要領の悪い勉強法にいちいちケチを付けるのでしょうか。好きなようにやらせて、失敗するのも勉強だと腹を括ればいいだけの話ではないでしょうか。
どうせ勉強するなら、塾にお金を払うなら、きちんと「結果」を出さなければ気が済まないのでしょうね。
自分に対して異常に高い基準を課す人を、私は別に止めようとは思いません。その人が苦しむだけだし、それを克服してしまえるだけのものを与えられているなら、きっと何か大きな仕事でもやってのけるでしょう。
しかし、それを他人に当てはめようとするのは、大反対です。
自分ができたから、おまえもできないわけがないだろう・・・こういう考え方が出来る人は、要するに「幼稚」なのです。
最近よく話題になる「金さえあれば何をやってもいいだろう」と公言している、某IT企業の社長が良い例です。まあ、彼は子供がいないので、主義主張を押しつける相手、すなわち「被害者」が出ていませんが・・・。
もちろん、こういうタイプの人に、「あなたは人の気持ちがわからない幼稚な人ですね」と正面から指摘してもわかるわけがありません。怒ってしまうに決まっています。
だから、できるだけ機嫌を損ねず、おだてるところはおだてて、有利な条件を引き出すようにすればいいのです。
もちろん、そんなのは小6の生徒ひとりでは無理ですから、私が間に入りながら、のらりくらりとやっていくしかないでしょう。こちらが切れてしまったらおしまいです。
私がこう考えられるようになったのも、仕事や試験において、人格がおかしくなりそうな失敗や挫折を何度もしてきたからだと思います。こういう、ある意味袋小路のような状況の生徒対応になると、やはりそういう経験がある方が腹が据わりますね。
失敗や挫折は、した方が絶対にいいです。すればするだけ、自分の方法論を他人に応用するための微調整が利くようになるからです。
ただし、卑屈にならないことです。それだけを守れば、失敗は成功体験よりも役に立ちます。
バブル崩壊以降、どうも日本がぱっとしないのは、結局この国の上層部にいる人間(だいたい「東大法学部卒」が多い)が、マイナス局面での対応をする訓練ができていなかったからです。
逆説的ですが、成功こそ転落への第一歩なのかもしれません。誰も優勝した直後に、その日したミスを振り返ったりしませんから・・・。
親御さんとも面談済みで、受験をしたいと言い出したのは生徒本人のようです。理由は、自分の学区内にある中学には絶対に行きたくないから、というものです。
それが、どうも夏休み辺りから、本人が妙なプライドをひけらかすところがある、要するに受験勉強をしているから偉いというような意識を持ち始めた(私には全く思い当たる節がないのですが)らしく、お母さんが「受験はさせない」などと言い始めたのです。
本人はかなりねばり強い性格なので、それでも勉強をやめようとはしません。受験も絶対にすると言っています。
すると、今度はお父さんの方が、「合格するような勉強をとてもではないがしていない」と、毎日本人に文句をつけるようになったのです。
確かに、本人はあまり頭の回転が早いほうではないのですが、反復してきちんと理解することは十分にできる能力があります。試験の偏差値も決して悪くありません。出した課題もサボったことはないのです。
私には、何が不満なのかよくわかりません。
話をいろいろ聞いてみると、どうやら父親の考え方にかなり強烈な「クセ」があるのだということがわかりました。
その父親は、とある大学付属の高校(偏差値が相当高い、いわゆる難関校)に行っていたのですが、学内の推薦で希望の学部に入れないとわかり、わざわざ一般入試を受け直してその学部に合格したそうです。
私立大学の中では1、2を争う難関大学の、最も人気の高い学部です。
また、家の裕福さから見ても、会社で相当いい役職についているのではないか、と思われます。
こういう経緯を聞けば、私はだいたいその父親がどんな人間かわかります。
おそらく、自分が成功したやり方を、そのまま下の立場の人間にやらせようとするタイプです。
こういう人は、何でも自分の「成功体験」から減点法で評価してしまいがちです。失敗する経験を積んでいない(あるいは、それを巧妙に避けている)ので、失敗する人間はみな努力が足りないと思ってしまうのです。
そして、なんと、家族のメンバーは、父親以外みなそのことをちゃんとわかっているのです。
娘である生徒本人も「あの人は何でもできるから・・・」などと言っていましたし、奥さんである母親も、面談のときに似たようなことを洩らしていました。
高度成長期やバブル経済の時代に「成功」した人には、上のような傾向が強いのではないでしょうか。
時代がたまたま敗者復活ルートを沢山用意してくれているときがあります。たとえば、1970年代前半なら、オイルショックが深刻なときでも、大卒で仕事がないということはありませんでした。バブル経済のときも、大学生は「売り手市場」でしたね。
こういう時期には、何をしても「成功体験」になってしまいます。間違ったやり方や相当回り道をしたやり方でも、自他ともに満足のいく結果(たいていは、就職先や結婚相手)にたどり着くことができたからです。
そういう経験しかしてこなかった人は、「敗因」の研究というものをほとんどしていません。だから、自分以外の人間が同じことを(違う能力や状況で)やってつまづいた場合、どうしてそうなるのかわからないのです。
自分の能力を信じ、失敗した人間やうまくいかない者を蔑むのは、ある意味若者特有の行動だと思います。
司法試験のような難しい試験には、10年くらい受験生をやっている人が結構沢山います。
もちろん、ただ単に不真面目なだけなのかもしれません。本当に才能が無い人もいるかもしれません。
しかし、そういう受験生だけが何度も受験しているわけではありません。仕事と両立しながら受けるといった時間的なハンデがあったり、予備校の講座等を受講するだけのお金が無かったり、何らかのハンデを負っている場合や、惜しいところで何度も涙を飲んでいる受験生も、たくさんいるのです。
ところが、受験したての若い受験生は、「何回も受けるなんて、要領が悪いに違いない」と、ほとんどみんなが思ってしまうのです。そして、「自分はそうはならない。さっさと要領よく受かってみせる」と。
私自身の経験からも分かるのですが、そういう思い上がった態度は、ただ単に「子供」なだけなのです。
「子供」というのは、失敗や苦労の経験がなく、他者への共感に乏しい人間、という意味です。また、言い換えれば、「自分だけは何でも出来る」と勘違いしている状態だと思っても良いでしょう。
子供が「子供」なのは当然です。しかし、社会生活で失敗を繰り返していく中で、だんだんと慎重になっていくものです。
そうやって、同じものを目指すとしても、人それぞれいろんな到達方法があるんだ、と思えるようになる。それが、「大人」になるということです。
私も、受験指導については「正しいやり方をすれば必ず受かる」と100%信じていた時代がありました。
しかし、やはり個人の差はあるのです。それは、頭の程度だけではなく、目指そうと思う動機付けの濃淡であったり、その人を取り巻く人間関係だったりします。一見デメリットとしか見えない要素も、その人の個性であることは違いありません。だから、服を着たり脱いだりするように、一朝一夕で変えることはできないのです。
そういう色々な条件を考慮しながら、それでも最良の目標はどこか、そのためにした方がいいことは何か、今では生徒毎に考えて接することができるようになりました。
羨みでも妬みでもなく、上に出てきたようなお父さんは「かわいそうな人」だと思います。
きっと、お父さんには、娘がどうして自分の「有り難い」アドバイスや激励に従わないのか、さっぱり理解できないにちがいありません。
自分のやり方や考え方であれば失敗などするはずはないのに、どうしてこいつは俺の言うことを素直にきけないのだろうか?
娘の要領の悪い(これもまた一つの個性だと思うのですが)勉強のしかたを見ていると、お父さんにはそんな疑問がふつふつと湧いてくるでしょう。そして、思い通りにならないことに苛立って、「受験なんてするな」と言ってしまうのでしょう。
ひどい言い方をするようですが、テレビゲームで思い通りのプレーが出来なくてかんしゃくを起こしている小学生と、考え方は同じです。
うまく行かないと言うのなら、なぜその「本人」のいる場所まで降りていってあげられないのでしょうか。
受験なんてしなくていい、と言えるなら、なぜ要領の悪い勉強法にいちいちケチを付けるのでしょうか。好きなようにやらせて、失敗するのも勉強だと腹を括ればいいだけの話ではないでしょうか。
どうせ勉強するなら、塾にお金を払うなら、きちんと「結果」を出さなければ気が済まないのでしょうね。
自分に対して異常に高い基準を課す人を、私は別に止めようとは思いません。その人が苦しむだけだし、それを克服してしまえるだけのものを与えられているなら、きっと何か大きな仕事でもやってのけるでしょう。
しかし、それを他人に当てはめようとするのは、大反対です。
自分ができたから、おまえもできないわけがないだろう・・・こういう考え方が出来る人は、要するに「幼稚」なのです。
最近よく話題になる「金さえあれば何をやってもいいだろう」と公言している、某IT企業の社長が良い例です。まあ、彼は子供がいないので、主義主張を押しつける相手、すなわち「被害者」が出ていませんが・・・。
もちろん、こういうタイプの人に、「あなたは人の気持ちがわからない幼稚な人ですね」と正面から指摘してもわかるわけがありません。怒ってしまうに決まっています。
だから、できるだけ機嫌を損ねず、おだてるところはおだてて、有利な条件を引き出すようにすればいいのです。
もちろん、そんなのは小6の生徒ひとりでは無理ですから、私が間に入りながら、のらりくらりとやっていくしかないでしょう。こちらが切れてしまったらおしまいです。
私がこう考えられるようになったのも、仕事や試験において、人格がおかしくなりそうな失敗や挫折を何度もしてきたからだと思います。こういう、ある意味袋小路のような状況の生徒対応になると、やはりそういう経験がある方が腹が据わりますね。
失敗や挫折は、した方が絶対にいいです。すればするだけ、自分の方法論を他人に応用するための微調整が利くようになるからです。
ただし、卑屈にならないことです。それだけを守れば、失敗は成功体験よりも役に立ちます。
バブル崩壊以降、どうも日本がぱっとしないのは、結局この国の上層部にいる人間(だいたい「東大法学部卒」が多い)が、マイナス局面での対応をする訓練ができていなかったからです。
逆説的ですが、成功こそ転落への第一歩なのかもしれません。誰も優勝した直後に、その日したミスを振り返ったりしませんから・・・。
塾はさぼらず頑張って行ってますが、
まだ志望校が決まっておらず、
目標も、モチベーションもありません。
「受かる学校に行く」という感じで、
失敗を極度に嫌い、新しいことや困難なことには
絶対チャレンジしません。
こんな段階で志望校がないということは
私にとっては非常に奇異ですし、
志望校に入りたいという情熱さえあれば
成績向上につながるものかと、ネットなどを参考にして
いろいろ試してみましたが、効果がありませんでした。
「動機付け」「失敗」で検索して
このブログに来ましたが
やはり私はご指摘のとおりの、
自分の価値観ややり方を子供に押し付ける
父親に過ぎなかったと反省しております。
今の現実がそれを証明しています。
(まあ私の人生は失敗と挫折ばかりでしたが)
「私のやり方」がだめなのではなく、
「私」だからだめなのだとわかりました。
ただ、今の気分はすごくネガティブです。
もう何も言いません。疲れました。
我が子のことと思って頑張ってきましたけど、
私があの子のやる気を引き出すことはできないんですね。
これからは勉強には口を出さず、
一緒に遊ぶだけにしていようと思います。
また私の「失敗と挫折」が一つ増えました。
12才になるお子さんがいらっしゃって、そのお子さんを塾にやれるほど頑張って生活を支えていらっしゃるkkさんの人生の、どこが失敗と挫折「ばかり」なのか、私にはわかりません。
一緒に遊べるお子さんがいること自体、私から見れば羨ましいことですよ。
受験という側面では、お子さんは成功しなかったかも知れませんよ。しかし、「塾にさぼらず、頑張って通」っているお子さんは、悪い子ですかね?
志望校ですが、正直言ってお子さんが完全に自己の意思で決めて、それに向けて並々ならぬ情熱を燃やして勉強する、というパターンの方が少ないです。
親御さんが主導してしまった構わないと思うのですが。
一緒に遊ぶだけにしていよう、ということですが、そうすることで、お子さんの良き支えになってあげるのだという気持ちの転換が出来ているのなら、それはむしろ素晴らしいことです。
しかし、「どうせ俺はおまえにとってはタダの遊び相手だろう?」というような接し方をするようなら、それは考え直すべきです。結局、自分が楽しくないならお子さんにも伝わりますよ。
私がkkさんのお子さんの担当だったら、そういった親御さんの抱えていらっしゃるモヤモヤも、伝えていただきたいなと思います。
塾の担任の先生に、改めて相談してみたらいかがでしょうか。もし既に相談なさっていて、そちらのアプローチでは改善が見込めないというのなら致し方ありませんが・・・。
半年前、
愚痴の垂れ流しのコメントをさせていただいたものです。
実は、コメントにも書いた子供のことですが、
予想外にチャレンジ校に合格し、
先般入学式を迎えることができました。
コメントさせていただいたときは、
私の精神がかなり荒れている状態でしたが、
そのときに先生から、
真摯なお返事を賜りましたことに対し、
心からの御礼と感謝を申し上げます。
私もまだまだ精神的に不安定で、要改善点だらけですが、子供の先に立つのではなく、
子供が転びそうになったときに、
にっこり笑って大丈夫だと言える親を目指し、
一歩一歩前向きに歩んでまいりたいと思います。
これからの先生のさらなる発展を祈念しております。
本当にありがとうございました。
これからのお二人の人生、クロスカントリーのように
山や谷があると思います。
良き伴走者として、息子さんとともに、自分自身の
道を走り切ってくださるよう願ってやみません。