●前回の記事で私は、「負け組犯罪」という、我欲の充足による自己実現が出来ない者(特に男性)による犯罪が増えてきていることや、そういった犯罪に現在の刑事司法が対処できていないこと、厳罰化(死刑連発)をしても「負け組犯罪」はなくならないことなどを述べました。
いつの時代にも、「こんなはずではない」と自分を追いつめている人間は存在するでしょうし、強姦や強制わいせつや突発的な殺人といった犯罪がこの世からなくなるなどとは思っていません。しかし、原因を知って対処すれば、絶対数は間違いなく減らせるのが「負け組犯罪」である、と私は考えています。
では、どのような方法が有効なのか、私の考えを述べてみます。
前回の復習ですが、「負け組犯罪」が多発する原因は、次のようなものでした。
1.高度成長の頃のメンタリティなのに、
パイが小さいのでうまくいかない
2.学校教育やコマーシャルで
「なりたい自分」
「やりたいことをやる」
という自己実現至上主義ばかりが
吹聴されている
3.女性の立場が「向上」し、男性が
女性を巡って過当競争をしている
(あぶれる男が多数出ている)
このような原因を見ると、「社会の変化だからしかたがない」と言ってしまいたくなります。しかし、そう結論づけてしまったら、小学生がカッターで同級生を殺害するのはイラク戦争のことを教えないからだと言っている日教組(証拠は●こちらの記事にあります)と同レベルになってしまいます。
原因があるからには、それをなくす、もしくは緩和することは可能です。
私は、まず教育から変えるべきだと思います。
上の原因2のように、自己実現が出来なくて絶望してしまうのは、「やりたいことをやれない人生など価値がない」と煽っている人間がいるからです。だからといって、マスコミに「自己実現を煽る広告をやめろ」というのでは北朝鮮や中国とやっていることが同じになってしまいます。
だからこそ、教育が大切なのです。
具体的に言えば、教育の現場で、「他人のために役に立つことをしろ」と訴え続けることです。
戦前の「教育勅語」が、天皇を中心とした家族共同体としての日本という姿を国民に説き、これに奉仕するように求めていました。私は教育勅語の精神は全く否定するつもりはないと思っています(●こちらの一連の記事をご覧ください)。しかし、どうやら戦争に負けたことで、教育勅語が戦前の悪い日本の象徴だと思われてしまい、そこに謳われている「勤勉」「利他」「国への忠誠」といった精神も否定されてきているようです。
その代わり、教育現場に持ち込まれたのは、「がんばれば、自分の生活を良くできる」「努力すれば、夢は叶う」という自己実現至上主義だったのです。それもそうでしょう。教育というのは、ある目的に沿って行うものです。目的というのは、簡単に言えば、生徒に「何のために勉強するのか」と訊かれて、どう答えるかということです。私も、受験勉強が嫌で嫌で仕方がなかったとき、中学校の先生に質問をしたら、「後で必ずいいことがある、得をする」という答えが返ってきたように記憶しています。
高度成長の頃なら、それでもよかったのです。夢や希望を実現できる人は少なからずいた上に、実現できなくても「普通の生活」が出来たからです。ここでいう普通の生活とは、「結婚して子供を持つ」「定年まで年収が安定して上がり続ける」「我慢すれば家やマンションが買える」ということです。
しかし、現代は地球規模での競争を強いられる時代です。相次ぐリストラで、若い労働力が戦力になるまで育てるという余裕が、日本企業にはなくなっているのが現状です。そして(これは前回言いませんでしたが)、専門的な仕事も、そのための「予備校、専門学校が乱立し、過当競争になっています。その中で趣味を仕事にできる人など、ほんの少ししかいません(そもそもその程度の需要しかない)。
つまり、もう職業を通じて「なりたい自分になる」という幻想は捨てた方がいいということです。
しかし、これが「他人の役に立つ」ということになると、話は全く変わってくるのです。
まず、「人の役に立つ」というのは、どんなに素質や環境に恵まれていなくても実行できるということが重要です。
何も、ボランティア活動なんてしなくてもいいじゃないですか。日常生活の中で、他人を助けるちょっとした利他的行為をするだけでもいいのです。
「なりたい自分になる」というのは、一見素晴らしい目的のようですが、それを通じて社会に関わろうという積極的な側面がありません。これは憲法の話でもゆくゆくは述べようと思いますが、自由や権利というのは、他人を排除するという「さびしい」側面も持っているのです。強調すればするほど、社会から離れていくのです。そういう意味では、宅間死刑囚や小林薫被告ほど「自由」な人はいないでしょう。
それに対して、利他的行為というのは、他人や社会に働きかけるという積極的な行為です。どんどんつながっていけば、どこかで世の中をまともにする作用が働くのです。例えばこのブログを見た方が将来国会議員になって、教育を良い方向に導いてくれるかもしれない(笑)わけです。
これならお金や才能を必要とせず(これは非常に重要です!)毎日の生活に張りを持って生きていくことが出来ます。少なくとも、「こんなはずではなかった」と、幼女を強姦して殺害する人間にはならずに済みます。
そんなもの、どうやって教育の現場で教えるんだよ?と、思う方。実は、簡単な方法があります。
それは、教育基本法に「教育の目的は、利他精神の涵養にある」という条文を盛り込むことです。
これをやると、基本法を実現するために関連法規が整備されます。当然、学習指導要領にも改正が及ぶことでしょう。道徳教育も根本的に変更されるはずです(今までの道徳教育は「されて嫌なことをするな」という結局は利己主義につながるような教育しかできなかった)。
改正してしばらくは「戦後教育の火を消すな」「教え子を戦場に再び送るな」などと訳の分からないことをわめく日教組の愚かな抵抗があることでしょう。しかし、10年持ちこたえれば、もう既定路線になります。そこまでの辛抱です。
幸い、そういう方向の法改正を企図している下村博文さん、西川京子さん、山谷えり子さん、高市早苗さんといった国会議員の方々もいらっしゃるようです。是非とも実現してもらいたいです。
でも、原因3は変えようがないじゃないか、と思っているかもしれませんね。
実は、これも対処は十分可能です。
誤解を恐れずに言えば、「負け組犯罪」は我欲、特に「性欲」の処理がうまく行っていないことから来るものです。
じゃあ、買春を合法化したり、風俗営業法を改正してもっと「便利に」するなどで対応できるのかというと、無理です。
なぜなら、性風俗には人間関係が存在しないからです。料金やらコースやらいろいろ決められていて、趣味にあった「プレー」をいろいろ選べるとしても、日常生活に持ち込めるわけではありません。だいいち、そんなに頻繁に利用するのは「負け組」には無理です。
そうだとすれば、「負け組」になる前に、女性とうまく付き合えるようなコミュニケーション能力をつけるほかありません。
女性と付き合えないことを嘆いている人間というのは(自分の体験も踏まえると?)二種類しかいません。「ぜいたく」か「人付き合いが下手くそ」かです。
ぜいたくなのは諦めてもらうほか無いとして、人付き合いの面は矯正教育が十分可能です。
そもそも、女性と話せないという男性は、男性とのコミュニケーションもダメな人が多いです。同質の仲間としか固まらないので、男とは話せると勘違いしているだけです。
そして、「負け組犯罪」を犯す人間というのは、小中学校時代「おとなしくて無口な子」が意外に多いのです。この時期に、話す練習をしていないので、上手に人間関係を結べない、だから孤独になってしまう、という推測が出来ます。
突飛な話かも知れませんが、そのような「負け組予備軍」とでも言うべき人々について、強制的に人間関係を作る能力を付けさせる「社会化センター」のようなものを作れないかと思うのです。
そこで、「負け組予備軍」を、「通院」と「入院」の二種類のカテゴリーに分けるのです。「通院」は、小学生でうまく周囲に溶け込めない子を親と一緒に通わせるコースです。「おとなしくて無口」、要するに自分でものを言わなくても何とかなると思ってしまっているのは、何でも先回りしてトラブルの芽を摘んでしまう親がいるからです。だから、親の子育ても「矯正」する必要があります。
「入院」というのは、社会不適合になってしまった人間向けの、人格改造プログラムです。例えば、軽い強制わいせつをやってしまった人間などは、女性にもてる(というか、まともに人と話せる)会話能力や立ち振る舞いなどを身につけるまでは解放しない、という方法があります。
こんなの無理だ!というあなた!日本には、鑑別所や少年院という立派な矯正施設があるのをお忘れですか?それらのカバー範囲をもう少し広げて、予備軍の段階で「負け組傾向」を叩くようにするという提案なのです。「社会化センター」送りという処分があったら、先日の人殺し塾講師などは間違いなく「入院」対象です(実質的に強盗致傷の余罪がある)。それによって、犯罪を防げるという効果もあります。
ちなみに、少年法第3条にも、「保護者の正当な監督に服しない」とか「いかがわしい場所に出入する」少年は、審判して少年院にぶち込めるという規定があります。これなど、もっと活用できると思えませんか?
それでもダメなら、最後の手段があります。科学的去勢がそれです。
奈良県女児誘拐殺人の小林薫被告は、強制わいせつの前歴があったのはご存じでしょうか。そういう人間は、自分の低すぎる社会的地位と、性欲のバランスが取れていないのです。強姦をやるような犯罪者も、この傾向があります。だから、男性ホルモンを抑制する薬物を投与し続けることを条件に、釈放を許すのです。(実際に、ノルウェーで実施している。詳しくは●こちら)
よく「性犯罪者に発信器になるチップを埋め込め」(●こちらのHPの「論陣」参照)などと言われますが、こういう連中は発信器など付けても、やりたくなったらやります。もともと我欲を我慢できないから犯罪者になってしまうのです。その根っこを断つというのは、社会防衛のために必要です。
よくこういうことをいうと、「個人の尊厳が損なわれる」「犯罪者も人として幸せにいきる権利がある」などと言い出す馬鹿がいます。そういう「人権派」の方々に訊きたいのですが、自分の7歳の娘が強姦されたあげく殺されても、まだそんなことを言っていられるのでしょうか!?
日本が変わってしまったことを嘆く前に、我々は、高度成長が残した負の遺産である「負け組犯罪」ときちんと向かい合わなくてはいけません。このブログが、その一助になれば幸いです。
いつの時代にも、「こんなはずではない」と自分を追いつめている人間は存在するでしょうし、強姦や強制わいせつや突発的な殺人といった犯罪がこの世からなくなるなどとは思っていません。しかし、原因を知って対処すれば、絶対数は間違いなく減らせるのが「負け組犯罪」である、と私は考えています。
では、どのような方法が有効なのか、私の考えを述べてみます。
前回の復習ですが、「負け組犯罪」が多発する原因は、次のようなものでした。
1.高度成長の頃のメンタリティなのに、
パイが小さいのでうまくいかない
2.学校教育やコマーシャルで
「なりたい自分」
「やりたいことをやる」
という自己実現至上主義ばかりが
吹聴されている
3.女性の立場が「向上」し、男性が
女性を巡って過当競争をしている
(あぶれる男が多数出ている)
このような原因を見ると、「社会の変化だからしかたがない」と言ってしまいたくなります。しかし、そう結論づけてしまったら、小学生がカッターで同級生を殺害するのはイラク戦争のことを教えないからだと言っている日教組(証拠は●こちらの記事にあります)と同レベルになってしまいます。
原因があるからには、それをなくす、もしくは緩和することは可能です。
私は、まず教育から変えるべきだと思います。
上の原因2のように、自己実現が出来なくて絶望してしまうのは、「やりたいことをやれない人生など価値がない」と煽っている人間がいるからです。だからといって、マスコミに「自己実現を煽る広告をやめろ」というのでは北朝鮮や中国とやっていることが同じになってしまいます。
だからこそ、教育が大切なのです。
具体的に言えば、教育の現場で、「他人のために役に立つことをしろ」と訴え続けることです。
戦前の「教育勅語」が、天皇を中心とした家族共同体としての日本という姿を国民に説き、これに奉仕するように求めていました。私は教育勅語の精神は全く否定するつもりはないと思っています(●こちらの一連の記事をご覧ください)。しかし、どうやら戦争に負けたことで、教育勅語が戦前の悪い日本の象徴だと思われてしまい、そこに謳われている「勤勉」「利他」「国への忠誠」といった精神も否定されてきているようです。
その代わり、教育現場に持ち込まれたのは、「がんばれば、自分の生活を良くできる」「努力すれば、夢は叶う」という自己実現至上主義だったのです。それもそうでしょう。教育というのは、ある目的に沿って行うものです。目的というのは、簡単に言えば、生徒に「何のために勉強するのか」と訊かれて、どう答えるかということです。私も、受験勉強が嫌で嫌で仕方がなかったとき、中学校の先生に質問をしたら、「後で必ずいいことがある、得をする」という答えが返ってきたように記憶しています。
高度成長の頃なら、それでもよかったのです。夢や希望を実現できる人は少なからずいた上に、実現できなくても「普通の生活」が出来たからです。ここでいう普通の生活とは、「結婚して子供を持つ」「定年まで年収が安定して上がり続ける」「我慢すれば家やマンションが買える」ということです。
しかし、現代は地球規模での競争を強いられる時代です。相次ぐリストラで、若い労働力が戦力になるまで育てるという余裕が、日本企業にはなくなっているのが現状です。そして(これは前回言いませんでしたが)、専門的な仕事も、そのための「予備校、専門学校が乱立し、過当競争になっています。その中で趣味を仕事にできる人など、ほんの少ししかいません(そもそもその程度の需要しかない)。
つまり、もう職業を通じて「なりたい自分になる」という幻想は捨てた方がいいということです。
しかし、これが「他人の役に立つ」ということになると、話は全く変わってくるのです。
まず、「人の役に立つ」というのは、どんなに素質や環境に恵まれていなくても実行できるということが重要です。
何も、ボランティア活動なんてしなくてもいいじゃないですか。日常生活の中で、他人を助けるちょっとした利他的行為をするだけでもいいのです。
「なりたい自分になる」というのは、一見素晴らしい目的のようですが、それを通じて社会に関わろうという積極的な側面がありません。これは憲法の話でもゆくゆくは述べようと思いますが、自由や権利というのは、他人を排除するという「さびしい」側面も持っているのです。強調すればするほど、社会から離れていくのです。そういう意味では、宅間死刑囚や小林薫被告ほど「自由」な人はいないでしょう。
それに対して、利他的行為というのは、他人や社会に働きかけるという積極的な行為です。どんどんつながっていけば、どこかで世の中をまともにする作用が働くのです。例えばこのブログを見た方が将来国会議員になって、教育を良い方向に導いてくれるかもしれない(笑)わけです。
これならお金や才能を必要とせず(これは非常に重要です!)毎日の生活に張りを持って生きていくことが出来ます。少なくとも、「こんなはずではなかった」と、幼女を強姦して殺害する人間にはならずに済みます。
そんなもの、どうやって教育の現場で教えるんだよ?と、思う方。実は、簡単な方法があります。
それは、教育基本法に「教育の目的は、利他精神の涵養にある」という条文を盛り込むことです。
これをやると、基本法を実現するために関連法規が整備されます。当然、学習指導要領にも改正が及ぶことでしょう。道徳教育も根本的に変更されるはずです(今までの道徳教育は「されて嫌なことをするな」という結局は利己主義につながるような教育しかできなかった)。
改正してしばらくは「戦後教育の火を消すな」「教え子を戦場に再び送るな」などと訳の分からないことをわめく日教組の愚かな抵抗があることでしょう。しかし、10年持ちこたえれば、もう既定路線になります。そこまでの辛抱です。
幸い、そういう方向の法改正を企図している下村博文さん、西川京子さん、山谷えり子さん、高市早苗さんといった国会議員の方々もいらっしゃるようです。是非とも実現してもらいたいです。
でも、原因3は変えようがないじゃないか、と思っているかもしれませんね。
実は、これも対処は十分可能です。
誤解を恐れずに言えば、「負け組犯罪」は我欲、特に「性欲」の処理がうまく行っていないことから来るものです。
じゃあ、買春を合法化したり、風俗営業法を改正してもっと「便利に」するなどで対応できるのかというと、無理です。
なぜなら、性風俗には人間関係が存在しないからです。料金やらコースやらいろいろ決められていて、趣味にあった「プレー」をいろいろ選べるとしても、日常生活に持ち込めるわけではありません。だいいち、そんなに頻繁に利用するのは「負け組」には無理です。
そうだとすれば、「負け組」になる前に、女性とうまく付き合えるようなコミュニケーション能力をつけるほかありません。
女性と付き合えないことを嘆いている人間というのは(自分の体験も踏まえると?)二種類しかいません。「ぜいたく」か「人付き合いが下手くそ」かです。
ぜいたくなのは諦めてもらうほか無いとして、人付き合いの面は矯正教育が十分可能です。
そもそも、女性と話せないという男性は、男性とのコミュニケーションもダメな人が多いです。同質の仲間としか固まらないので、男とは話せると勘違いしているだけです。
そして、「負け組犯罪」を犯す人間というのは、小中学校時代「おとなしくて無口な子」が意外に多いのです。この時期に、話す練習をしていないので、上手に人間関係を結べない、だから孤独になってしまう、という推測が出来ます。
突飛な話かも知れませんが、そのような「負け組予備軍」とでも言うべき人々について、強制的に人間関係を作る能力を付けさせる「社会化センター」のようなものを作れないかと思うのです。
そこで、「負け組予備軍」を、「通院」と「入院」の二種類のカテゴリーに分けるのです。「通院」は、小学生でうまく周囲に溶け込めない子を親と一緒に通わせるコースです。「おとなしくて無口」、要するに自分でものを言わなくても何とかなると思ってしまっているのは、何でも先回りしてトラブルの芽を摘んでしまう親がいるからです。だから、親の子育ても「矯正」する必要があります。
「入院」というのは、社会不適合になってしまった人間向けの、人格改造プログラムです。例えば、軽い強制わいせつをやってしまった人間などは、女性にもてる(というか、まともに人と話せる)会話能力や立ち振る舞いなどを身につけるまでは解放しない、という方法があります。
こんなの無理だ!というあなた!日本には、鑑別所や少年院という立派な矯正施設があるのをお忘れですか?それらのカバー範囲をもう少し広げて、予備軍の段階で「負け組傾向」を叩くようにするという提案なのです。「社会化センター」送りという処分があったら、先日の人殺し塾講師などは間違いなく「入院」対象です(実質的に強盗致傷の余罪がある)。それによって、犯罪を防げるという効果もあります。
ちなみに、少年法第3条にも、「保護者の正当な監督に服しない」とか「いかがわしい場所に出入する」少年は、審判して少年院にぶち込めるという規定があります。これなど、もっと活用できると思えませんか?
それでもダメなら、最後の手段があります。科学的去勢がそれです。
奈良県女児誘拐殺人の小林薫被告は、強制わいせつの前歴があったのはご存じでしょうか。そういう人間は、自分の低すぎる社会的地位と、性欲のバランスが取れていないのです。強姦をやるような犯罪者も、この傾向があります。だから、男性ホルモンを抑制する薬物を投与し続けることを条件に、釈放を許すのです。(実際に、ノルウェーで実施している。詳しくは●こちら)
よく「性犯罪者に発信器になるチップを埋め込め」(●こちらのHPの「論陣」参照)などと言われますが、こういう連中は発信器など付けても、やりたくなったらやります。もともと我欲を我慢できないから犯罪者になってしまうのです。その根っこを断つというのは、社会防衛のために必要です。
よくこういうことをいうと、「個人の尊厳が損なわれる」「犯罪者も人として幸せにいきる権利がある」などと言い出す馬鹿がいます。そういう「人権派」の方々に訊きたいのですが、自分の7歳の娘が強姦されたあげく殺されても、まだそんなことを言っていられるのでしょうか!?
日本が変わってしまったことを嘆く前に、我々は、高度成長が残した負の遺産である「負け組犯罪」ときちんと向かい合わなくてはいけません。このブログが、その一助になれば幸いです。
ただ、大人になってからその能力を身につけるのは難しいようですね。
無理なら、また考えねばなりませんね。
「きっこの日記」からいろいろサーフィンしていて見つけました。チャンネル桜が好きで産経新聞、正論購読、組合大嫌いの20年以上公立小学校の教師をしているものです。
ネットで探すとこんなに日本の将来をしっかり考えている様々な人たちに出会えて感激です。自分一人ではなかったと嬉しく思っています。12月分を読ませていただきました。こらからもますますご活躍ください。
科学的去勢の所、大賛成です。
私は美術大学でしたが、
ワナビーばっかりでした。
自分はこうしたいっていうことばかり。
そういう気持ちも大切だと思いますが
みんながみんなそんなこと言ってたから
こうなっちゃったんですものね。
ワナビーな奴に限って教員に
なっていますからね。
救えません・・・・。
ただ、無駄に豊かな社会と経済至上主義がなかなか、そうはさせてくれません。
それと、性風俗の乱れが一番原因ではないでしょうか。高校生の売春、ロリコンブームなど、とにかく何でもありで、それも徐々に酷くなっています。高校生の頃、週刊誌のヌードグラビアを盗み見て妄想はしていましたが、それがなかなか現実とは結びつかなかった物ですが、今の世の中金さえあれば出来ると考えてしまいます。
そして、その欲望はどんどんエスカレートするだけです。
>若い頃に葛藤に対処する方法を学んでいない
ここに対処しなくてはいけないんですよね。
昔は、共同体社会の中に否応なしに引きずり込まれて
しまい、そこで若いながらも傷つく経験をたくさん
したのです。近代化というのは、学校がそれを
肩代わりするという建前だったのですが、フランス
革命以来、掲げてしまったのが「自由と平等」という
理念ですから、価値観の注入や規範意識の涵養が
思うようにできなかったのでしょう。
そういう意味では、近代合理主義の限界が現れ
ているのだと思います。
sakurachanさん:
>産経新聞、正論購読、組合大嫌いの20年以上
>公立小学校の教師
どうも初めまして。私こそ、あなたのような
「素晴らしい」公立学校教師がいらっしゃることに
感動いたします。周りが変わった方々の集まりで
ご苦労が絶えない(?)かもしれませんが、
現場で正論を貫かれてください。
じっかさん:
>私は美術大学でしたが、
>ワナビーばっかりでした。
wanna be = want to be ということですね。
困ったものですね。自己主張が先鋭的であれば
あるほど、インテリ・文化人であるかのような
妙な風潮が出来上がってしまっています。
もとをたどれば、敗戦直後に日教組と共産党が
GHQの強力な援護の下で作り上げたものですが・・・。
アメリカで日本のさらに上を行く変な犯罪が起こっても
そういう人たちは自省しないんでしょうかね?
しかも、教師になる人に限ってwanna beとは・・・。
税金で趣味をやるのだと勘違いしている可能性も
ありますね。嫌なことです。
snufkinさん:
>性風俗の乱れが一番原因ではないでしょうか。
これは、憲法の話の記事で書きたいテーマです。
というか、砂布巾さんのところに残したコメントを
加筆訂正する予定です(笑)。
takeyanさんのサイトで、性教育に関する話題を
扱っております。みなさんもご覧ください。
http://ameblo.jp/takeyan/entry-10004810744.html
引きこもりについてはいずれまた、記事にします。
>なのに、欲望を葛藤と戦いながら、
>社会に受け入れられる方法で実現する
>スキルがないんだから、本人も大変
>でしょうね。
正確な分析だと思います。問題は、実際に
行政に携わる側に、こういった認識がないことです。
彼らの頭の中には、日本国憲法の前文で語られている
ような「平和を愛する理性的人間」しかインプット
されていないようですね。
内に対しても、外に対しても、もはやそのような
性善説的アプローチは通用しなくなっている
ように思います。