どうも、みなさんお久しぶりです。
少し休止期間がありましたが、これは試験勉強の方が
影響しております。
私の受けている資格試験は試験が三回に分けてあります。
そして、一回目に当たる択一式試験の合否が、6/1に出たのです。
受けた直後、自己採点して、もうだめだと思っていました。
来年の勉強をすでに始めていたら、合格していました。
心配をかけてしまった私の親しい方々には、この場を借りて
謝らせていただきます。すみませんでした。m(_ _)m
次の論文式の試験が天王山なので(最後の面接はそれほど
落ちないし、もしダメでも翌年がある)、それに向けて
朝6時おきでいろいろやっております。
一人暮らしだと、勉強だけやっているわけにはいかない
もので・・・洗濯や掃除、買い物などを効率よく
済ませなくてはいけません。
今のところ、早起きは成功しています。
去年は早く起きられないことも多く、起きたとしても
朝からの予備校の講座にひきずられて、どうも
「勉強させられている」ような感じでした。
原因はいろいろあるのですが、要は私自身が
「早く起きさえすればいい」
と、腹を括ったからではないかなと思います。
早起きして勉強することを継続しようと
いうとき、いろいろ障害が出てくると思うのです。
例えば、うまく起きられない、起きたとしても
眠気が襲ってくる、体調が優れない、
無理をして病気を引き起こしたらどうしよう・・・
いろいろ考えますよね。
私は、特に先のことをいろいろ考えてしまうたちなので、
上に挙げたようなことは、過去の試みで全て
熟慮済みです(笑)。
しかし、今は思うのです。
それらは、全て「できなかったときの為の言い訳」に
すぎないのではないか、と。
やる、と決めたら、そのことだけを考えればいいのです。
早く起きようと決めたら、早く起きればいい。
それを実行したことで生じる弊害というのは、起こったときに
対処すればいいだけのことであって、
まず「やる」と決めたことを実行する。
クレマンソーというフランスの首相は、第一次大戦のとき
議会で戦争の目的についてきかれて、
「戦争の目的は、勝つことである」と、答えたそうです。
これなど、まさに「やると決めたことだけを考える」という
ことですよね。
集中力というのは、その場その場の事務処理だけでなく、
大きな戦略という点でもあてはまるのです。
こういうことは、受験勉強でも言えます。
だいたい、受験生というのも、本当に受かりたいと思って
受験勉強をしているものでしょうか。
なんとなく流れに乗っていればそのうち受かる、と思って
いる人が、大半なのではないでしょうか。
もちろん、1年中緊張していたら、人格が破綻して
しまいます。
しかし、ここが一生の分かれ目、と思うようなところで
ある程度無理をするというのは、仕方がないと思うのです。
そして、その無理を、「自分から選ぶ」ことができるかどうか、
それが一番重要なことなのだと思います。
去年の私は、眠い目をこすりながら予備校の講座
(本番で出そうな論文の答案を書く講座がある)に出ていましたが、
それは、どうもその講座に無理を「させられていた」ような
気がするのです。
だから、簡単に起きられないし、起きたとしても起き抜けが
非常に悪かったように思います。
結果は推して知るべき・・・といったところですね。
どんなに可能性が低いチャンスでも、自分でたぐり寄せる
という気持ちがなければ、かけた時間や記憶した物事が
無駄になってしまうのです。
気持ちが全てではありませんが、何かをやろう、成し遂げよう
というのは、自分の内側から引っぱり出さないといけない。
最近、つくづく思いました。
それでは、また時折更新いたします。
ちょくちょく除いてみてくださいね。それでは。
少し休止期間がありましたが、これは試験勉強の方が
影響しております。
私の受けている資格試験は試験が三回に分けてあります。
そして、一回目に当たる択一式試験の合否が、6/1に出たのです。
受けた直後、自己採点して、もうだめだと思っていました。
来年の勉強をすでに始めていたら、合格していました。
心配をかけてしまった私の親しい方々には、この場を借りて
謝らせていただきます。すみませんでした。m(_ _)m
次の論文式の試験が天王山なので(最後の面接はそれほど
落ちないし、もしダメでも翌年がある)、それに向けて
朝6時おきでいろいろやっております。
一人暮らしだと、勉強だけやっているわけにはいかない
もので・・・洗濯や掃除、買い物などを効率よく
済ませなくてはいけません。
今のところ、早起きは成功しています。
去年は早く起きられないことも多く、起きたとしても
朝からの予備校の講座にひきずられて、どうも
「勉強させられている」ような感じでした。
原因はいろいろあるのですが、要は私自身が
「早く起きさえすればいい」
と、腹を括ったからではないかなと思います。
早起きして勉強することを継続しようと
いうとき、いろいろ障害が出てくると思うのです。
例えば、うまく起きられない、起きたとしても
眠気が襲ってくる、体調が優れない、
無理をして病気を引き起こしたらどうしよう・・・
いろいろ考えますよね。
私は、特に先のことをいろいろ考えてしまうたちなので、
上に挙げたようなことは、過去の試みで全て
熟慮済みです(笑)。
しかし、今は思うのです。
それらは、全て「できなかったときの為の言い訳」に
すぎないのではないか、と。
やる、と決めたら、そのことだけを考えればいいのです。
早く起きようと決めたら、早く起きればいい。
それを実行したことで生じる弊害というのは、起こったときに
対処すればいいだけのことであって、
まず「やる」と決めたことを実行する。
クレマンソーというフランスの首相は、第一次大戦のとき
議会で戦争の目的についてきかれて、
「戦争の目的は、勝つことである」と、答えたそうです。
これなど、まさに「やると決めたことだけを考える」という
ことですよね。
集中力というのは、その場その場の事務処理だけでなく、
大きな戦略という点でもあてはまるのです。
こういうことは、受験勉強でも言えます。
だいたい、受験生というのも、本当に受かりたいと思って
受験勉強をしているものでしょうか。
なんとなく流れに乗っていればそのうち受かる、と思って
いる人が、大半なのではないでしょうか。
もちろん、1年中緊張していたら、人格が破綻して
しまいます。
しかし、ここが一生の分かれ目、と思うようなところで
ある程度無理をするというのは、仕方がないと思うのです。
そして、その無理を、「自分から選ぶ」ことができるかどうか、
それが一番重要なことなのだと思います。
去年の私は、眠い目をこすりながら予備校の講座
(本番で出そうな論文の答案を書く講座がある)に出ていましたが、
それは、どうもその講座に無理を「させられていた」ような
気がするのです。
だから、簡単に起きられないし、起きたとしても起き抜けが
非常に悪かったように思います。
結果は推して知るべき・・・といったところですね。
どんなに可能性が低いチャンスでも、自分でたぐり寄せる
という気持ちがなければ、かけた時間や記憶した物事が
無駄になってしまうのです。
気持ちが全てではありませんが、何かをやろう、成し遂げよう
というのは、自分の内側から引っぱり出さないといけない。
最近、つくづく思いました。
それでは、また時折更新いたします。
ちょくちょく除いてみてくださいね。それでは。