里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

恐るべし“お題目”!

2008年12月17日 | 歴 史
福山市加茂町芦原に妙言という地域があり、そこに「南無妙法蓮華経」の経塔が立
っているが、この由来はかなり深刻だ!

言い伝えに寄れば、
「安永5年(1776年)に大旱魃が起きた時、天領の芦原村と福山藩の中野村との間
 で加茂川の分水を巡って大喧嘩が起きたが、
 この時中野村の庄屋は福山藩奉行所に訴え、芦原村の百姓頭は上下代官所に訴
 え、駆けつけた両者の役人の前で夫々の意見を主張したがおさまらず、結局権力
 の強い天領の役人の言いなりになり中野村は負けてしまった。

 おさまらない中野村の庄屋は、“道通さん(蛇神)”に願掛けをして芦原村の百
 姓頭を呪い殺してしまったが、殺された百姓頭は芦原村の庄屋の夢枕に立ち
 “この恨みを晴らして欲しい!”と懇願した。

 それを受け芦原村の庄屋は、屋敷の中に“南無妙法蓮華経”の経塔を中野村の
 庄屋の方向に向けて建てたところ、直ぐに中野村の庄屋も亡くなった」
という。 (※画像後方のお屋敷は無関係)

両者とも、神や仏の力を頼ってでも“殺してしまおう”と考えるほど憎しみが強く、
それほど旱魃が生死にかかわる深刻な状態であった事が窺われる話だ!

経塔というのは経文を彫ったもので、本来は仏祖の徳に報じる為に建てたり、地域
で信仰をする為に建てたり、祖先の供養の為に建てたりしたものだそうだが、呪い
にまで用いるとは正に世も末の感じがする。

昨今の経営者と労働者が、その昔に行われた不毛の闘いを繰り返す事の無いように
国を挙げて英知を絞り共に栄える世の中をつくって欲しいと願わずにはいられない!


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