自分をみつめる その2
~東京での溝口あゆかさんのスピリチュアル心理学セミナーより~
あるネガティブな感情を抱えていることに耐えられないとき
エゴは私たちに『フタをして ないふりをすればいいよ』とささやきます
ですから私たちが大抵 無意識にまずすることは
それらの感情を抑圧し 感じないようにすることです
例えば忙しくしたり テレビをつけたり 友達に電話をかけたり・・
意識上では 月日が解決したかのように感じたり
いつの間にか無くなったように感じているかもしれません
しかし実際やっていることは 床のゴミをカーペットの下に隠し
床がきれいになったかのように見せていることと同じです
その一方で 私たちの深いところで押し込められた感情がなくなっていないことを
どこかでうっすらと感じてもいます
そしてそれを無視することでまたさらに抑圧します
しかしカーペットの下にゴミを長年隠し続けていると
いつかは表面にでこぼこと現れてくるように 理由はわからないけれど
なんだかぱっとしない 不幸感がある 満足出来ない イライラするなどといった
感情が意識の表層に上がってきます
特に何かあったわけじゃないけど落ち込むとか
しかし ここでも私たちは
『よしこの感情と向き合ってどうにかしよう』とはあまりしません
大抵 日々のしなければいけないことがいつも優先され
感情は抑圧されたままです
そして感情を抑圧しているという意識がない私たちは
どうして気持ちがぱっと晴れないのだろう 不幸感 欠如感・・があるのだろう?
と疑問に思い始めます
そして大抵 無意識に次にすることが
周りの状況(または 特定の誰か 社会 神 運命 なんでも
自分以外のもの)が良くないから自分は幸せじゃないのだ!
問題は自分じゃなくて 相手(または環境)
にあるのだ!
と思うことです
つまり自分の中の問題 ネガティブな感情を他者や外界に『投影』することで
自分の中の不幸の原因を外に摩り替えてしまうことです
これはほぼすべての人(悟ったマスター以外)が年中やっていることです
何かを得れば 何かが変われば あるいはあの人が変われば 私は幸せになれる等
これが抑圧と投影の関係
すべての怒り それがちょっとした苛立ちから強烈な怒りまで
その原因がなんであれ 怒りはいつも自分の抑圧された感情が投影されたものだということです
私たちが誰かを批判したり 判断したり 怒りをもったりするのは
私たちは自分自身の中に否定しているもの(=抑圧しているもの)を
そのひとの中に見ているからです
つまりネガティブな感情から抜け出すエゴの戦略は
①抑圧する
②他者に投影する
です しかし エゴの戦略が気がついていないことは
実はこれによってますます私たちの中の苦しみが強まることです
ネガティブな感情が大きければ大きいほど
抑圧の必要性も強まり 誰かを攻撃する必要性も高まります
自分の中の問題(ネガティブな感情)が相手にあると思えば
次に私たちがすることは その人(社会 なんでも)を批判 攻撃することでしょう
..............................................................................................................................................................................................................................
何かが変われば 何かを得れば あるいはあのひとが変われば
自分は幸せになれるはずなのに・・
なるほど ほとんどのひとが生活の中でごくごく普通にしていることなのかも
それがすり替えの行為だなんて気がつくこともなく
カーペットをめくるとは 辛いことだしとても勇気のいる行為でしょう
それをわかった上であえていいます
カーペットをめくってみてください
本当にそこにあるものは
ゴミとかほこりというよりも
傷つき震え泣いている子犬のような存在
忘れないで なかったことにしないで
認めて 受け入れて欲しかったかつての感情
大掃除は大変でしょう 時間もかかるのかもしれない けれど
溢れ出てくる色んな感情から目をそらさないで
やさしく抱きとめて 認めてあげてください
きっとそこからすべてははじまる
~東京での溝口あゆかさんのスピリチュアル心理学セミナーより~
あるネガティブな感情を抱えていることに耐えられないとき
エゴは私たちに『フタをして ないふりをすればいいよ』とささやきます
ですから私たちが大抵 無意識にまずすることは
それらの感情を抑圧し 感じないようにすることです
例えば忙しくしたり テレビをつけたり 友達に電話をかけたり・・
意識上では 月日が解決したかのように感じたり
いつの間にか無くなったように感じているかもしれません
しかし実際やっていることは 床のゴミをカーペットの下に隠し
床がきれいになったかのように見せていることと同じです
その一方で 私たちの深いところで押し込められた感情がなくなっていないことを
どこかでうっすらと感じてもいます
そしてそれを無視することでまたさらに抑圧します
しかしカーペットの下にゴミを長年隠し続けていると
いつかは表面にでこぼこと現れてくるように 理由はわからないけれど
なんだかぱっとしない 不幸感がある 満足出来ない イライラするなどといった
感情が意識の表層に上がってきます
特に何かあったわけじゃないけど落ち込むとか
しかし ここでも私たちは
『よしこの感情と向き合ってどうにかしよう』とはあまりしません
大抵 日々のしなければいけないことがいつも優先され
感情は抑圧されたままです
そして感情を抑圧しているという意識がない私たちは
どうして気持ちがぱっと晴れないのだろう 不幸感 欠如感・・があるのだろう?
と疑問に思い始めます
そして大抵 無意識に次にすることが
周りの状況(または 特定の誰か 社会 神 運命 なんでも
自分以外のもの)が良くないから自分は幸せじゃないのだ!
問題は自分じゃなくて 相手(または環境)
にあるのだ!
と思うことです
つまり自分の中の問題 ネガティブな感情を他者や外界に『投影』することで
自分の中の不幸の原因を外に摩り替えてしまうことです
これはほぼすべての人(悟ったマスター以外)が年中やっていることです
何かを得れば 何かが変われば あるいはあの人が変われば 私は幸せになれる等
これが抑圧と投影の関係
すべての怒り それがちょっとした苛立ちから強烈な怒りまで
その原因がなんであれ 怒りはいつも自分の抑圧された感情が投影されたものだということです
私たちが誰かを批判したり 判断したり 怒りをもったりするのは
私たちは自分自身の中に否定しているもの(=抑圧しているもの)を
そのひとの中に見ているからです
つまりネガティブな感情から抜け出すエゴの戦略は
①抑圧する
②他者に投影する
です しかし エゴの戦略が気がついていないことは
実はこれによってますます私たちの中の苦しみが強まることです
ネガティブな感情が大きければ大きいほど
抑圧の必要性も強まり 誰かを攻撃する必要性も高まります
自分の中の問題(ネガティブな感情)が相手にあると思えば
次に私たちがすることは その人(社会 なんでも)を批判 攻撃することでしょう
..............................................................................................................................................................................................................................
何かが変われば 何かを得れば あるいはあのひとが変われば
自分は幸せになれるはずなのに・・
なるほど ほとんどのひとが生活の中でごくごく普通にしていることなのかも
それがすり替えの行為だなんて気がつくこともなく
カーペットをめくるとは 辛いことだしとても勇気のいる行為でしょう
それをわかった上であえていいます
カーペットをめくってみてください
本当にそこにあるものは
ゴミとかほこりというよりも
傷つき震え泣いている子犬のような存在
忘れないで なかったことにしないで
認めて 受け入れて欲しかったかつての感情
大掃除は大変でしょう 時間もかかるのかもしれない けれど
溢れ出てくる色んな感情から目をそらさないで
やさしく抱きとめて 認めてあげてください
きっとそこからすべてははじまる