昭和二十年八月十五日 曇 休み
五時起床。火を燃し付けたばかり(五時十分頃)警報発令。三十分には空襲警報発令になった。 敵機動部隊から発進した艦載機である。 我特攻隊が機動部隊を攻撃したらしいが未だ近海にうろうろして居るらしい。八時十分頃一まず空襲警報解除になった。
朝食後下駄を一足作った。 昨日長男が来て下駄がないと云うからだ。
十二時に重大発表があると云う。 隣家 N氏宅に行き植木の下で放送を聞いた。
四国宣言受諾の陛下の詔勅であった。 初めて聞く陛下の御声。 しかも斯様な事を聞くとは予想だにしなかった。 あゝ戦は負けた。 今日まで勝利を確信し労苦を続けて来た。 それも全部水疱に帰した。しかも今後一層の労苦が続くかも知れない。 爆弾で焼夷弾で死亡した人々が気の毒に思ったが今となってはかえってうらやましい気がする。
今日は二、三直出勤の予定だったがもう昼の報道を聞いて出勤する勇気もなくなった。今更勤務を精確にして見てもどうにもなるまい。
夜、長男が帰って来た。 動員先の中島航空機が解除になりそうだと云う。
五時起床。火を燃し付けたばかり(五時十分頃)警報発令。三十分には空襲警報発令になった。 敵機動部隊から発進した艦載機である。 我特攻隊が機動部隊を攻撃したらしいが未だ近海にうろうろして居るらしい。八時十分頃一まず空襲警報解除になった。
朝食後下駄を一足作った。 昨日長男が来て下駄がないと云うからだ。
十二時に重大発表があると云う。 隣家 N氏宅に行き植木の下で放送を聞いた。
四国宣言受諾の陛下の詔勅であった。 初めて聞く陛下の御声。 しかも斯様な事を聞くとは予想だにしなかった。 あゝ戦は負けた。 今日まで勝利を確信し労苦を続けて来た。 それも全部水疱に帰した。しかも今後一層の労苦が続くかも知れない。 爆弾で焼夷弾で死亡した人々が気の毒に思ったが今となってはかえってうらやましい気がする。
今日は二、三直出勤の予定だったがもう昼の報道を聞いて出勤する勇気もなくなった。今更勤務を精確にして見てもどうにもなるまい。
夜、長男が帰って来た。 動員先の中島航空機が解除になりそうだと云う。