昭和二十年四月十四日 晴 一直出勤
朝早くK君が来た。 巣鴨の妻の兄の家は路地一つで助かったとの話に安心した。 巣鴨、大塚の車庫は全焼。
朝食後歩いて出勤した。 途中大山辺もひどく焼けていた。 妹のJ君の家に立ち寄ると無事であった。 これで皆無事である。 J君の家から池袋駅まで一面焼け野原。 駅もあとかたもなかった。 省線電車が一台線路の上に焼けて骨だけ残って居た。
二時半頃車庫を出て帰途に就いた。 足に豆を三つほど出かして痛くて困った。
途中で東京急行バスが営業していたので乗って来た。 新宿、池袋間が二十銭である、それでも鈴なり状態であった。
帰宅するとY氏宅の時限爆弾?を警戒した縄張りがない。 妻の話では 組長の息子が掘って見たら 焼夷弾の不発弾だったと言う。 しかも三十八本一緒になっているのが其の侭めり込んだのだという。 ああ恐ろしい事だ。若し空中で発火して散ったらこの隣組全部が一度に火事になったであろう。
夜、電灯がつかないので早く寝た。 暫らくはローソクの生活をせねばなるまい。
夜中一時頃又敵機が来た。 ラジオがないので何が何だか少しも分らない。
誰かが、南方洋上に数目標あり、など怒鳴る男が居た。 幸いにすぐ解除になった。 ラジオがないのでサイレンを頼りにしなければならない。 困るのはデマである。
朝早くK君が来た。 巣鴨の妻の兄の家は路地一つで助かったとの話に安心した。 巣鴨、大塚の車庫は全焼。
朝食後歩いて出勤した。 途中大山辺もひどく焼けていた。 妹のJ君の家に立ち寄ると無事であった。 これで皆無事である。 J君の家から池袋駅まで一面焼け野原。 駅もあとかたもなかった。 省線電車が一台線路の上に焼けて骨だけ残って居た。
二時半頃車庫を出て帰途に就いた。 足に豆を三つほど出かして痛くて困った。
途中で東京急行バスが営業していたので乗って来た。 新宿、池袋間が二十銭である、それでも鈴なり状態であった。
帰宅するとY氏宅の時限爆弾?を警戒した縄張りがない。 妻の話では 組長の息子が掘って見たら 焼夷弾の不発弾だったと言う。 しかも三十八本一緒になっているのが其の侭めり込んだのだという。 ああ恐ろしい事だ。若し空中で発火して散ったらこの隣組全部が一度に火事になったであろう。
夜、電灯がつかないので早く寝た。 暫らくはローソクの生活をせねばなるまい。
夜中一時頃又敵機が来た。 ラジオがないので何が何だか少しも分らない。
誰かが、南方洋上に数目標あり、など怒鳴る男が居た。 幸いにすぐ解除になった。 ラジオがないのでサイレンを頼りにしなければならない。 困るのはデマである。