昭和二十年七月二十四日 曇り 一直出勤
知人のM君が南瓜を買いに鶴瀬に行こうというので行ったが駄目。 空しく帰って来た。(四時半) 帰宅後蕃茄が赤くなったので十ヶ程取って夜食べた。
先日頼んだ時計の修繕が出来た。 二十四円取られた。
知人のM君が南瓜を買いに鶴瀬に行こうというので行ったが駄目。 空しく帰って来た。(四時半) 帰宅後蕃茄が赤くなったので十ヶ程取って夜食べた。
先日頼んだ時計の修繕が出来た。 二十四円取られた。
昭和二十年七月十七日 雨 明け
夜十一時半頃警報発令、B29一機が鹿島灘より侵入、もう一機は相模灘から侵入し関東北部、西北部をうろついて信州から新潟に入り又関東へ帰り霞ヶ浦から一旦洋上に出たと思ったら又引き返して来た。 一旦解除になったが又警報発令となり解除は二時過ぎだった。
その間の情報に依ると敵機動部隊が日立及び水戸東方に艦砲射撃を加えていると言う。 只ならぬ気配がする夜だった。
夜十一時半頃警報発令、B29一機が鹿島灘より侵入、もう一機は相模灘から侵入し関東北部、西北部をうろついて信州から新潟に入り又関東へ帰り霞ヶ浦から一旦洋上に出たと思ったら又引き返して来た。 一旦解除になったが又警報発令となり解除は二時過ぎだった。
その間の情報に依ると敵機動部隊が日立及び水戸東方に艦砲射撃を加えていると言う。 只ならぬ気配がする夜だった。
昭和二十年七月十三日 雨後晴 二、三直出勤
南の風まで加わって猛烈に降った雨わ今朝まで続いた。 昼近くには止んで午後は太陽が出てきた。 庭の玉蜀黍や蕃茄が倒れたので明日にでも直してやらねばならぬ。
妻から初めて手紙が来た。 先に疎開してた次男(十才)の事で叔母にコボサレて返事に困った。早く来てよかった。 四女(三才)も皆に可愛がられて居るし何の心配もない。 荷物など送らなくてよい。等書いてあった。
南の風まで加わって猛烈に降った雨わ今朝まで続いた。 昼近くには止んで午後は太陽が出てきた。 庭の玉蜀黍や蕃茄が倒れたので明日にでも直してやらねばならぬ。
妻から初めて手紙が来た。 先に疎開してた次男(十才)の事で叔母にコボサレて返事に困った。早く来てよかった。 四女(三才)も皆に可愛がられて居るし何の心配もない。 荷物など送らなくてよい。等書いてあった。
昭和二十年七月十二日 雨後曇り 休み
休みを取った。 午前雨で何も出来ないので煙草巻きなどした。午後雨が止んで薄日が漏れて来たので蕃茄の横芽取り、炊事などした。
十一時四十分頃 B 一機侵入 八王子、川越、浦和を経て東方へ去った。
疎開先の次女から手紙が来た。 妻も一生懸命働いているらしい。
夜、十一時頃警報発令。 B29が鹿島灘と相模湾から侵入し宇都宮に焼夷弾攻撃をした。 十二時少し過ぎて帝都にも侵入空襲警報発令された。
何処か西南方遠く爆弾の炸裂音が聞こえた。解除は一時過ぎだった。情報放送の時一部に火災発生せるも消火せりと言っていた。 物凄い雨なので敵機は勿論火の手も見えなかった。
休みを取った。 午前雨で何も出来ないので煙草巻きなどした。午後雨が止んで薄日が漏れて来たので蕃茄の横芽取り、炊事などした。
十一時四十分頃 B 一機侵入 八王子、川越、浦和を経て東方へ去った。
疎開先の次女から手紙が来た。 妻も一生懸命働いているらしい。
夜、十一時頃警報発令。 B29が鹿島灘と相模湾から侵入し宇都宮に焼夷弾攻撃をした。 十二時少し過ぎて帝都にも侵入空襲警報発令された。
何処か西南方遠く爆弾の炸裂音が聞こえた。解除は一時過ぎだった。情報放送の時一部に火災発生せるも消火せりと言っていた。 物凄い雨なので敵機は勿論火の手も見えなかった。
昭和二十年七月十一日 曇り後雨 明け
七時五十五分警報発令。 八時五十分 大久保駅に来た時解除になった
朝から曇り。 九時半帰宅後間もなく雨になった。 何も出来ないので昼寝中野菜の配給だとて起こされた。 醤油も久々に配給になった。 一人七勺、七人分計四合九勺。 外に佃煮の配給、炊事等々終日忙しかった。 夜、妻に手紙を書いた。
七時五十五分警報発令。 八時五十分 大久保駅に来た時解除になった
朝から曇り。 九時半帰宅後間もなく雨になった。 何も出来ないので昼寝中野菜の配給だとて起こされた。 醤油も久々に配給になった。 一人七勺、七人分計四合九勺。 外に佃煮の配給、炊事等々終日忙しかった。 夜、妻に手紙を書いた。