敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

食糧非常宣言

2012-02-17 23:00:14 | 日記 戦後編
昭和二十一年六月十四日  曇 二、三直出勤

 四時半起床後恭菜の虫取りをした。 先日の事であるが四時半頃枝豆を取りに行くと夜盗虫が枝先まで這い上がって盛んに葉を食べ荒らして居た。 其処で昨朝早く恭菜を見ると青虫や夜盗虫が二十匹も居た。 今朝も十匹も取った。

 胡瓜が花ばかりで少しもならないと思っていたら 今朝見ると小さいのが沢山なって居た。 さあこれからが楽しみである。

 垣根の薔薇が一面咲いた。 切り花にして机上に挿したり近所の人に分けてやったりしている。 
今朝荒物屋のAさんの処に持って行くと、進駐軍用の油缶が一つあった。 バケツにしても良いし何かの容器にしても良いので
十五円で買って来た。

 一昨日隣家の奥さんが来て進駐軍用の小麦粉一貫目百二十円で買わないかと云う。 隣のI氏宅に度々来る男だが、I氏は金の払いが悪いから売りたくない、 若し入り用なら持ってくると云う話であった。 今 小麦粉の闇値は百七八十円で最高二百円の声を聞いている。 少し不安であったがその後、妻が其の男の素性を聞いて来た話によると、 進駐軍の二世が金に困って小麦粉を持ち出し その男の伯母の家に預かってある。 そしてその男が金に困って居るので伯母の家から持ち出して売っているのだと云う。 昨日千葉に行って持ってくるか遅ければ今日持って来ると云って居たが 秋葉原の駅で取り上げられたとかで駄目だった。

 食糧非常宣言が昨日発表になった。 しかしこれで米が出るかどうか。 今の時代 掛け声ではどうにもならないのではないか。 我々に働けと云えば食糧を配給せよと云う。 今日本が滅亡の淵に沈んで居るからと云って食糧なしに働けないかもしれない。 農家にしても同じだ。 供出せよと云っても 肥料も機具も衣類も配給せずに只々都会人が餓死するからと云っても無理だ。 闇で肥料も機具も作業衣も買わせて置いて公価で供出せよと云っても供出しない。

 職場で蕪と小松菜の配給があった。