敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

貯蔵品の分配と破壊

2009-04-30 23:36:28 | 日記 戦後編
昭和二十年八月十九日 晴 二,三直出勤
 
 出勤した。 家に居ると何とも世の変わりが判らないが外に出ると可なりざわついて居る。 造兵の養成などの帰郷で電車が相当混雑して居た。 汽車も大変だと云う。


昭和二十年八月二十日 晴 明け

 長男が動員先から帰って来た。 米五升配給になったとて持って来た。 尚明日醤油、馬鈴薯、味噌、等配給になると云う。
 又、実に勿体ない事だが 机、製図板等皆三階から投げ出して居るとの事だ。
各工場の貯蔵品の分配と破壊。 洵に莫大なものだ。 敗戦国とは斯くなるものかと街を歩いて驚くばかりである。


昭和二十年八月二十一日 晴 一直出勤

 久し振りで一直に出勤して見た。
何所も彼処も貯蔵品の分配で大変だ。 しかし私等交通業は大した事はない。
斯様な際を利用して金儲けをする者も出るであろう。 

再出発を決意

2009-04-16 22:38:48 | 日記 戦後編
昭和二十年八月十八日  晴れ 休み

 午前中豆潰しをしたり下の畑の雑草取りなどした。 一面の草をむしり取ったら小山のやうだった。 少し乾いたら里芋の畦間に入れてやろう。

 虚脱になってはいけないと云う。 理屈は判る。 しかし未だ且って経験したことのない敗戦の悲報を聞いて誰が虚脱状態にならずに居られよう。 永い間の悪戦苦闘、それが総て水疱に帰したと知った時、その落胆、それは文字では書けない。
そして今日まで五日間、全く虚脱状態で過ごしてしまった。 しかしそういつまででもそうしても居られまい。 明日からでも出勤しよう。

 二十年八月十五日は敗戦の日だ。 永久に忘れてはならない。 子から孫へこの日の父の無念を伝えなければならない。 そしてそれは敗戦の日であると同時に民族の再発足の記念日である。 忍苦の道は未だ遠い。 しかし何時の世も働く者のみがこの世の優者である。此の戦争が勝ったからとて働くと云う事だけは変わりはない。 思いを新たにして働こう。 そして落ちつけて又読書でもしよう。 歴史でも読み直し思いを遠く馳せて自ら慰め自ら奮い残り少ない生を過ごそう。