敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

生活費の増大

2009-11-16 22:12:13 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月二十日 晴 明け

 十六日に配給予定の煙草も十八日の予定の米も未だ配給にならない。
何となしに気持がいらいらしてならない。 政府の斯様なやり方が民心を悪い方へと持って行く結果になる。 年老いた私達が今更共産主義でもあるまいが、放任状態の此のやり方では民心の不満が何所へ走るか知れない

 生活費の九月までの一ヶ月平均が四百三十円であったものが十月には四百八十円、十一月に入って五百円となった。 十一月に入ってからの主食の不足に依る甘藷の買出しのためだ。 その結果不足金額補填のため貯金の引き出し、状勢は悪性インフレへの一路をたどっている。
 これに対して政府はどんな施策をするか。 しかし、もう政府などに期待を持つ時代は過ぎた。 施策がどうであろうと自分の生きて行く道を発見せねばならない。






煙草の配給

2009-11-16 20:51:41 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月一八日 晴 明け

 煙草の配給が六日だったから十六日頃あると思ったが未だない。十五日に産報から四十八銭分の「のぞみ」の配給があったので昨晩まであったが今日はなかった。
 長男が進駐軍から買って?来たのを四本貰った。

 帰宅後汲取をした。 九日に汲取ってもう一杯になって居た。 肥料も必要がないので薯蕷藷(とろろいも)を掘った穴に捨てた。 百姓が肥料がなくて困ると云うのに捨て場に困っている。

 肥料の下肥を持って行って甘藷を買って来たとかで産報から一貫五百匁の配給があった。

 妻が又、千葉の八街に甘藷を買いに行って留守だった。 夕方七貫目(四十九円)買って来た。