敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

預金貯金の支払制限令が出る

2010-08-20 22:24:45 | 日記 戦後編
昭和二十一年二月十七日 晴 二、三直出勤

 朝は昨日よりずっと寒く昨日の雨で濡れた畑は氷って白く美しかった。 しかし間もなく風が止んで暖かい日になった。 日を受けながら縁側で編物を続けて半日を過ごした。

 預金貯金の支払制限令が出た。 どうなるか。 いずれにせよ今までの具合では暮らしにくくて困る。 見透しがつかない。 今後の推移を見るより外ない。

 新円の交換は 十円、二十円、百円、千円の四種類で 五円以下の少額紙幣は交換しなくてもよい。
 そのため十七日のピースの販売で五円と五十銭とで七円揃えた者にのみ売ったと云う。
小細工は何時の世にも絶えない。 

練炭

2010-08-18 23:12:40 | 日記 戦後編
昭和二十一年二月十三日 晴 休み

 隣家のA氏の奥さんに出会い、練炭を一個 一円三十銭で買って来たと云う。 
その事を帰宅後妻に話した。 一円三十銭なら百個で百三十円だ。 練炭なら一日一個で
沢山で百個あれば百日使える。 木炭 一俵 百三十円で売っているが 木炭では百日は使えない。 同じ闇値なら練炭が割りどくだ。 只、質が問題問題だ。 隣家に聞いてみると
大変良いとの事だった。 明朝もう一度買いに行くので一緒に行こうとの事なので買ってくるように云った。

停電が続く

2010-08-08 00:32:50 | 日記 戦後編
昭和二十一年二月六日 曇後晴 明け
 
 昨夜よい星空だったのに今朝起きてみると曇って居て寒かった。

 日中一時電灯がついたが間もなくまた停電、夜も点かなかった。
今晩で五晩暗い。 仕方なしに早く蒲団に入ってしまった。


昭和二十一年二月七日 曇後雪 休み

 昨夜の西北風が止んだが曇っていて寒い日だ。 そしてとうとう昼頃から雪になった。
夕方まで三寸程積もった。

 電灯が二時半ごろ一寸来た。 ラジオが一分程音楽が聞こえたと思ったらすぐ停電した。
夜、又仕方なしに早く寝る。

デモに参加

2010-08-07 23:49:13 | 日記 戦後編
昭和二十一年一月二十六日 曇後雨 一直出勤
 
 朝から曇って居たがそう寒くはなかった。夜雨が少し降った。
 
 一直に出勤したら職員の増俸運動のデモに行ってくれと云う。
九時に新宿に集まって電車を仕立てて一同神田橋まで行った。 
電車に赤旗を掲げ車中「赤旗の歌」を合唱して居た。 全く世の変化に驚く外はない。
神田橋から列を作って交通局前に行き回答を待ったが局長が更迭があったのでそれを理由に
明答しなかった。それから内務省に行き其処で解散(一時)になったので帰って来た。

 日比谷で野坂参三(共産党)の歓迎国民大会があった。
長男はそれに行ったと云う。 そんな事は必要はない 政治の事は政治屋に任せておけと云っておいた。


昭和二十一年一月三十日 曇  二、三直出勤

 曇って寒い日だった

 職員の給与改正が今日発表になった。 十二月一日 本俸の二倍、家族手当三倍、住宅手当三倍、物価手当六割。 二月は本俸の二ヶ月半の賞与。 三月以降は十一月の実収の三倍。 と云う事になった。