敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

マッカーサー司令部から命令

2009-12-24 22:22:36 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月二十六日 晴 明け

 今日は晴れて暖かで良い日だったので帰宅後、汲み取りをした。 汲み取ってもあまり肥料が必要ないので椎の木や欅の生け垣の根元に捨てた。
 
 米の配給があった。(八瓩) 久し振りで御飯を食べた。 米の飯を珍らむ事になった。悲しい事だが此れが敗戦国の現実だ。

 戦時利得税と財産税に就いて松笠司令部から命令が来た。 日本の政府としてはこの必要は知って居ても実行出来ない事だ。 悲しい事だが一応は松笠司令部の「お陰」は認めねばなるまい。
 只インフレの危機は之によって解消したが此れからデフレの非常な苦痛が来るであろう。 昭和三年から仝十年頃までの不景気よりもっと大きなものが来るかも知れない。

父の一周忌

2009-12-24 22:04:49 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月二十五日 曇後晴 二、三直出勤
 
 今日は父の一年忌である。何かをと思ったが何もできなかった。 昨日里芋を掘ったし、人参が田舎から来たので煮しめでもと思ったが、 朝から甘藷の配給を下板橋駅まで取りに来いと云うので妻と次女が行ってしまった。 結局朝も甘藷、昼も甘藷で過ごしてしまった。 只大根が配給のと田舎から来たのがあったので味噌汁に大根を少々余分に入れたと云うだけが平日と違うだけであった。 客もH君の細君が焼香に来てくれただけであった。

野菜の自由販売

2009-12-09 22:04:41 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月二十四日 晴後雨 明け

 野菜の自由販売があるというので行って見ると、大根五円、小松菜三円、牛蒡十五円と云う値段なので其の侭帰って来た。
 
 配給が来たので二円持たせて三女に取りにやると大根 大二本 小一本で四円七十五銭だと云う。

 妻が又、買い出しに千葉の八街二行った。 今日は土曜日だから遅くなるかも知れない。

十日以上も甘藷ばかり

2009-12-09 21:45:22 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月二十三日 晴 二、三直出勤

 豆の配給があった。一人一瓩 計九瓩であった。 小麥九瓩と大豆九瓩来たきりで米はまだ一粒も来ない。 もう十日以上も甘藷ばかりで米は一粒も食べてない。
 病気の時は米の音を聞かせろなどと落語で聞いていたが 目下の東京は落語を地で行って居る状態である。