敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

入営

2008-12-13 00:11:47 | 日記 戦中編
昭和二十年七月三十日 曇り時々晴れ 休み

 昨日、隣のH氏の令息が入営すると言うので餞別(五円)を持って行ったが今日三時に出発すると言うので送りに行った。 Hさんの家の前に集まって居る中、今日四回目の警報発令、五分後の三時十分には空襲警報発令になった。
 駅まで隣組で送っていく予定だったが、町会長の意見で 空襲警報下旗を持って多数行列を作って歩くのは危険だから此処で別れようと言う事になり万歳を三唱して別れた。

伝単

2008-12-12 23:43:20 | 日記 戦中編
昭和二十年七月二十六日 曇り 明け

 帰宅後雑用をしていると十二時十五分頃警報発令。 B一機西から東へ行くのが見えた。 伝単を撒いていった。
二種類程拾って隣組長に渡したが 菊の御紋章を入れて崇神天皇の御詔勅まで引用した念の入った伝単であった。
 意味は陛下と国民は平和を望んで居るが現閣僚と軍閥は共に其の誠意がなく国民を自殺せしめようとしている と言うようなことが書いてあった。
日本人の菊花御紋章に対する特別な気持ちを利用しての事であるがよく注意するとすぐわかる。 先ず伝単の端に番号(二〇八二?)が入って居るので日本製でない事が判るし、如何に御詔勅まで引用しても言う事自体が支那式だ。事米英に対する戦争に関しては軍閥も何もない。