敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

代用そば

2011-03-07 23:43:43 | 日記 戦後編
昭和二十一年五月十九日 晴 明け

 朝から晴れているが西北風が強く吹いて涼しくいやな日だったが夕刻から風が止んで静かな日になった。

 帰途新宿で「中古品なんでも買います」と書いてある店に立ち寄ってみると、時計や腕時計を応対の暇のない程の人が次々に来る。 社会の一面を見たような気がした。

 代用そばと云うのを所々に売っている。 百匁六円である。 処が米の配給がないので可也売れる。 原料は蒟蒻粉や海草の粉などであるらしい。
十丁目の停留所から少し入った所に製造所があるので妻が其処へ行って依頼したら
一貫目三十円だと云う。 そして二時頃来いと云うので行ったらもうないから月曜日に来いと云う。  しかし食べる物がないので八丁目に行ったら四十五円で売ってくれたと云って買って来た。 そして昨夜汁に入れて食べたらしい。
昼に味噌汁を作って代用そばを入れて食べた。 海草の香りがして不味い。 子供等は食べないで小蕪と汁だけ食べて居た。

 午後、乳児用ビスケット三袋配給になった。菓子でしかも一人七個しか当たらなかった。 乾パンが配給になるからと云って 行ったら菓子だった。 米は何時来るか。

 内閣は保守派の自由進歩連立内閣が出来た。

 今日 食糧メーデーで車庫の人も沢山行った。

 下痢が昨夜治ったように思われたが帰宅後又はじまった。 
米がなくて昼に少々の代用そばなど食べて居るのに下痢しては困ったものだ。


鳩山一郎公職追放

2011-03-07 22:56:11 | 日記 戦後編
昭和二十一年五月四日 晴後曇 一直出勤

 朝から晴れて居たが北風で寒い。 夕刻から曇って来た。

 自由党の鳩山が追放令に引っかかった。 自由党単独内閣が出来るかに見えたが又駄目になったので政府はぐずぐずになった。 こんな事をしている間にも国民は日一日と餓えて行く。

 
昭和二十一年五月五日 曇時々雨 二、三直出勤

 朝起きると雨が降って居て肌寒い。
 昨日食パンの配給があった。 一斤一日分だが半斤づつ味噌汁と一緒に食べた。
 
 今日は節句だが何もない。 味噌汁とパンで過ごした。
三十日に長女が人形を出して飾ってやったが人形に何も上がらない。 人形もさる事ながら子供が可愛そうなものだ。


昭和二十一年五月八日 曇 明け

 帰宅(十時)後馬鈴薯の土寄せをした。 一芽植えをして発芽が遅れその後の発育も思わしくなかったがどうやら土寄せをするまでに成育した。

 昨日 DDT消毒が来た。 有難い事だ。