敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

千葉の八街に買い出し

2010-02-10 23:40:39 | 日記 戦後編
昭和二十年十二月十二日 晴 一直出勤

 甘藷の買い出しに本局で自動車を出してくれるから売ってくれる農家を見つけてくれと云う。 
 妻を案内人にして千葉の八街まで行った。 八時に家を出て十時五十分頃千葉着。 其処で銚子行きに乗換えた。 支線はなかなか速力がのろく一時半頃八街着。 途中棒石のある公園のような場所で昼食をして 畑中の農家に行った。 三軒程聞いたが大口は皆駄目だった。 十四貫目(一貫目 八円)買って八街駅に着いたのは三時十分頃だった。
 三時半から切符を売る。 その枚数六十五枚だと云う。 私の番は九十番目位だったので
駄目だった。 しかも列車は六時半、八時半と二本あるが切符の販売は今日はしないと云う。 仕方がないので妻を垣根からもぐして無札でホームに入った。 四時二十四分の上りは超満員で乗れなかった。 交渉の結果佐倉まで貨車に載って来た。 佐倉で八街六時半発の列車に乗った。 乗れたのが不思議なくらいで 列車の中は一杯の甘藷の袋。 人はその上に乗って頭は天井に届く有様。 新聞で読んではいたが経験は今日が初めてだ。 千葉で一度に下車したのでホームは動きがとれない。 一列車やり過ごして二列車目に乗った。客は秋葉まで殆ど下車しなかった。 秋葉で乗換え帰宅は十一時五分だった。 
 途中で妻が足を踏み違えて外くるぶしが腫れたが心配だ。
汽車の中で種々の雑談が出たが皆農家をうらんで居た。 このままでよいものであろうか。







チンドン屋

2010-02-10 23:23:33 | 日記 戦後編
昭和二十年十二月九日 晴 公休

 今日 珍しくもチンドン屋が来た。 どこの商店の広告かは出て見ないので判らないが多分区役所跡に出来たマーケットの広告かも知れない。 いずれにしても珍しかった。
 そのすぐ後、何とかの直しと振れて歩く者があった。 全く元に返った感じだった。
世相が元に返っても物価は高い。 人参一貫目十八円、大根六円と云う馬鹿値段である。
しかし幾分下向いて来た事は事実だ。 自由販売だと云うので行って見ると小松菜が三把で五円だと云うので買って来た。 先日は一把三円だった。 約半値だ。