敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

三人組強盗

2010-07-18 00:03:11 | 日記 戦後編
昭和二十一年一月十二日 晴 二、三直出勤

 昨夜十二時頃近くのMさん宅に三人組強盗が押し入り食糧と衣類を持って行ったと云う。
昨日 M氏夫妻は田舎に行き食糧を持って来て近くの店に立ち寄ったとの事。 あるいはそれを知っていてはいったのではないかと近所の推測もある。 いずれにせよ焼け残った地帯は目を付けられやすい。 用心せねばならぬ。

昭和二十一年一月十四日 晴 休み

 朝食後 杭を抜いて薪にした。 又、玄関前の椎の木を一本切り倒して薪にした。 まだ瓦斯は出ないし薪の配給などないし洵に困った事だ。

 十三日の新聞に十一日夜中のM氏宅の強盗が出ていた。 それと一緒に四丁目のも出ていた。 ところがM氏宅に入りその足で四丁目に入ったとの事だ。 それはM氏宅から持って行った衣類二、三点を捨てて行ったので判明したのだと云う。

日記を付け 六年目

2010-07-06 23:44:11 | 日記 戦後編
昭和二十一年一月四日 晴れ 明け

 日記をつけ初めてからもう六年目になる。 紀元二千六百年の記念として付け始めた。
大きな感激を持って 小さな事でもこの年に始めようと思って日記をつけたがまさか敗戦の苦に遭をうとは誰が思ったか。 娘に付けた 昌代と云う名も 太平洋海戦の大戦果のニュースを聞いて思いついて付けたのであった。 それから四年目、惨たる敗戦国になった。
思えば感無量だ。

 勤務先のKと云う男が 餅を買ったら一斗分搗き上がりが 七百円だと云う。
買うも買ったり 売りも売ったり 驚くばかりだ。 しかも聞きもしないのに話すから驚く、 闇は内緒でなく自慢なのだ。

昭和二十一年 正月 

2010-07-06 23:28:00 | 日記 戦後編
昭和二十一年一月一日  晴れ 明け

 二十年は闇値に暮れ、二十一年は闇値に明けた。 インフレと闇値、何時まで続くか、
しかし 腐るまい。 希望を持って行こう。

 敗戦国の正月は淋しい。 街に門松も国旗も立って居なかった。
松笠司令部から国旗を立てることを許可されたが、話が行き渡らないのか、知っても立てないのか 一か所も立って居なかった。