敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

食糧の危機

2011-01-31 23:14:53 | 日記 戦後編
昭和二十一年四月二十五日 雨 公休

 米の配給予定が十八日だったが今以て配給がない。月の初めに田舎から貰って来た米があったのでどうやら今朝まで間に合ったがもうなくなった。 
 旅行外食券 三十枚貰ったのがあったのでそれを持って食堂に行き御飯を買って来た。 しかし五人分しかくれないのでそれを雑炊にして昼食べた。 夕もそうせねばなるまい。 次女が登校時間に間に合わないので食券一枚と五円持たせてやって 残り八人が五人分の食堂の飯を雑炊にして過ごすのだ。 之が食糧野危機と云うのであろう。思ったより早く来たのに驚いた。 明日あたり切符を買い田舎に行って来ねばなるまい。


昭和二十一年四月二十六日 曇 二、三直出勤

 朝起きると二時、小雨が降って居た。 汽車の切符を買いに行く。
茶を飲んでから三時少し前に家を出た。 三時十分志村を発車するはずと思い歩いていると八丁目に着いたとき来た。 省線巣鴨駅に云ったら改札員が遠距離切符を此の駅で発売すると云う。 急いで行って見ると発売数三枚。 もう既に三人いると云う。
予定通り始発で上野の交通公社に行った。  番号を取ると七十三番であった。
東北、常磐が百五十枚、大丈夫だと思って待って居た。 八時三十分から発売が始まり買って出口へ出たら九時十分だった。 楯岡まで五十二円だった。
 帰宅十時半、 朝食を九人分売ってくれたとて麦と短麺の入った食堂の飯を食べた。
 今晩勤務して明晩出発しよう。
 午後小麦粉が配給になった。 ようやく助かったが この次にきちんと来てくれれば良いがそうはいくまい。







  

土止め柵盗難

2011-01-24 23:00:24 | 日記 戦後編
昭和二十一年四月二十四日  曇、強風 後晴  明け

 朝起きて庭を一巡して見ると坂道の土止め柵を毀して持って行った者がある。
薪がないので取って云ったらしい。 日本人も悪くなったものだ。
昨日、里芋を植える代わりに蜀黍を蒔いて良かったと思った。 高い里芋なんか植えたら人の腹を肥やすばかりであったか知れない。 先日、苗を買いに行った農家(東武練馬)で甘藷の苗床から種芋を抜いて行かれたと云っていた。
 街も不潔になり池袋の地下道など小便くさくて通るのに実に不快だ。
松笠司令部で日本は四等国だと云ったが悲しいながら是認せねばなるまい。生産も急いで再開されねばならぬが道徳も急いで再建されねばならぬ。  
 日本の神官、僧侶は全く無力で斯う云うような事に関しては何の働きもしていない。今まで国家権力の陰に育ってきたためだ。新しく再出発し道徳再建のために野に叫ぶの気概がなければいけない。