敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

選挙

2010-11-17 23:58:57 | 日記 戦後編
昭和二十一年四月十日 曇 休み

 今日は選挙である。 午後一時頃投票に行って来た。
女が投票に行くので可なり人通りが賑やかであった。 十字路に闇商人まで出て居た。

 隣家N氏宅から水連を一鉢貰って来た。 庭の鍋を掃除して入れた。 戦争のため花も植木もない生活をして来たがもう平和が来たのだから幾分でも美しくしようと思って貰って来た。

 庭の蒲公英を摘んで昨夜食べ、今日は木通の芽を摘んで今日の昼に食べた。 斯様に暖かくなると何かしら食べるものがあってよい。


昭和二十一年四月十一日 曇 二、三直出勤

 小麦粉八粁配給になった。 麦、パン、小麦粉と代用品ばかり。 いよいよ米が少なくなった。
 出勤帰りに挽屑がまを作る鉄板を持って帰って来た。
途中、米軍兵と日本娘の組が沢山目についたのに驚いた。
 

挽屑がま

2010-11-17 23:28:25 | 日記 戦後編
昭和二十一年四月九日 晴 明け

 帰宅後薪を作った。 木の根があったが細かくするのに骨が折れるので軌道の止釘を二本持って来て差し込んで割った。

 燃料がなくて困るので妻が今日挽屑を買って来た。 そして鉄板で作ったかまどの口を小さくふさいで挽屑を燃やしてみたら大変具合が良くて十五分位で御飯が出来たと云う。 一叺 四円五十銭だと云うので絶えず入手出来れば燃料の苦労は一つ解消したことになる。

 給料はまだくれないし賞与四百十円は封鎖になってしまい未だ通帳が来ない。

 今日小学校の生徒に教科書の配給があった。 四つに折ったもので表紙もないし中の絵も色もない。 全く粗末なものだ。 三男(一年)が五十銭で三年生と五年生は一円ずつだと云う。