敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

甘藷買い出、 薪作り、 汲み取り等

2010-01-28 00:36:18 | 日記 戦後編
昭和二十年十二月一日 晴 二、三直出勤

 晴れて良い日であった。 妻が甘藷買い出しに行った。

昭和二十年十二月二日 晴 明け

 帰宅後汲み取り、栗の木の下に穴を掘って捨てた。
 昨夜長男が又進駐軍の仕事をしに行った。
 午後長女のセーターの編みかけを編んだ。 

昭和二十年十二月三日 晴 公休
 
 畑の縁の椎の木を一本切って薪を作った。 瓦斯が出ないので燃料に困った。
 妻は買い出しに行った。

昭和二十年十二月五日 晴 明け

 長女のセーターが出来上がった
 三十日に貯金二百円引き下げたのがもうなくなった。 今日又、百円引き下げた。
困ったものだ。

昭和二十年十二月六日 晴 公休

 又薪がないので楓を一本切り倒して割ったりして一日過ごした。蜀黍を三合程と小麦一升程粉を作り練って油で揚げて夜食べたがうまかった。
 
 もう野菜も魚も配給はなくなった。今日も野菜の自由販売があると云うので妻が行ってみたが大根が大 一貫目六円 小 一貫目五円 小松菜一把三円 人参一貫目十八円だと云う。 高くて手が出ないので買わずに家の野菜で間に合わせた。
 




物価高

2010-01-28 00:09:25 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月三十日 晴後雨 明け

 帰宅後椎の木の枯れ枝を取って薪を作った。

 二十一日に給料を貰って十日間持たなかった。 今日二百円又貯金を引き下げた。
十月十二日に疎開から帰って以来五十日、その間に四百五十円の引き下げをした。
十日頃年金百二十一円余り貰えるが、それでも給料日まで持つかどうか。
 斯様な物価と食糧問題の放任の中に社会悪が急速に発生する。

 闇市場の値段が幾分下向いたようだ。 昨日新宿の通りを見ると イカ三本十円、ミカン十円 一山も二十個ほどあり、一頃の二本十円や十個十円より少し安くなったようだが依然として給料生活者には口に入らない。

 
 

鯨の皮を自由販売

2010-01-20 00:00:18 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月二十八日 晴 明け

 今朝、晴れていたが西北の風やや強く寒くて冬になったという感が強かった。

 一昨日魚の自由販売があると云うが配給はなかった。
 昨日も自由販売があると云うので妻が行って見たら 鯨の皮を売っていたので買ってきたという。 四寸巾で五寸ほどの長さのものが四円だと云う。 今日の昼、味噌汁の中に入れて食べたら美味しかった。 
 魚はもう自由販売ばかりで配給はないのかも知れない。 高いものを配給で押しつけられるよりは自由販売で安いのを見て買った方が良いかも知れない。

米の増配発表

2010-01-19 23:45:10 | 日記 戦後編
昭和二十年十一月二十七日 雨 二、三直出勤

 松笠司令部から食糧輸入の許可を得たので、その数量が判明すれば 一日 二合三勺に復する事が出来ると農相が発表した。 できると云うのではなく、しなければならないのである。 二合一勺では足りない事が判り切って居る。 其処に闇が生じインフレへの危機があるのだ
 食糧が不足なために甘藷の買い出しを五十貫もし、その費用四百円も出さねばならない。