徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

18歳の声を聞くまでー男の子の母はじっと我慢の巻ー

2017-11-04 11:01:34 | 保育・子育て
「TPはおばあちゃんの愛されている孫だよね」(TP 小学年生男児)
階下の家にもどる階段の途中で、
見送った私に抱きついてこう言った。

私も思わずぎゅっと抱きしめ返して
「そうよ!おばあちゃんが愛している孫!」(私)

「じゃあ、おやすみー!」(TP)
そう言ってそこから階段を駆け下りていった。

TP、8歳、小学2年生男児、
の割には言葉が達者。
「愛している」なんていう、
日本語らしくない日本語も使ってみたり。

でも、まだ嬉しい時はそのまま嬉しさがあふれ出るし、
悲しい時は、ぐっと言葉を飲み込んでだまっている。
そのまんまを生きている2年生。

ところが、男の子って、
このまま大きくなるわけじゃない、
ということを思い知らされたのが、
長男を育てているとき。

私は妹との二人姉妹。
家は私が小学3年生の時から家族4人の核家族。
だから、男は父親だけ。
男兄弟がどんなものかは想像もつかなかった。

その私が女二人、男一人の子どもを授かって、
男の子の子育てをすることになった。

そしてぶつかった壁が
中学、高校という思春期の壁。
本人もぶつかっていたかもしれないけれど、
母親の私がぶつかった壁でもあった。

その詳細はのちに譲ることにして、
このとき私を救ってくれたのは二人の友人。
「大丈夫、18の声を聞いたら、
きっと戻ってくるから。
それまでは、じっと待っていればいいのよ」
こう言って話を聞いてくれたのは
私がいつも頼っている10歳年上の先輩。

そうなんだ、待っていればいいのか、
でも、待てるだろうか・・。

なんて考えていた時に、
「大丈夫よ。18まで待ちなさい。
きっと戻ってくるから。
信じて大丈夫よ。」

こう言ってくれたのは、
10歳上のマケドニア人の友人。
彼女は一男一女の母。
「いろいろあったわよ。
でも絶対に戻ってくるから、
それまで待っているのよ」

そうか、やっぱり待つのか・・。

そして私は「18歳まで、18歳まで」と
お念仏のように唱えて、
それまでの日々をなんとか越えていったように思う。

そして18歳になった息子。
あの疾風怒濤の日々は
気がつくと、いつの間にか終わっていたのだった。

もちろん、それでめでたしめでたしなどではなく、
生きている以上、いろんなことが次々に起こる。

でも、あの日々は確かに終わるのだ・・・。

そんなことを思っていた時、
若い友人からこんな便りが届いた。

「中学生の息子が、全くもう!と思うほどの
罵詈雑言をいってくるんです。
でも、そこには反応せずに、
淡々と、料理を作って待とうと思って。
今日もせっせとハンバーグを煮込んでいます」
とのこと。

そうそう、それでいいんだなって、
ハンバーグを煮込むということの中に
母親の想いも一緒に煮込んで、待つしかないし。

なんて思っていたら、
彼女からこんな知らせが入った。

「私が作ったハンバーグですが、
帰宅後『ねみー(眠い)。寝る。しゃべりたくねー』の三言で
食べてもらえませんでしたー(チーン)。
私も沸点が40度くらいなので、なんとかしなくてはー あはは。
オットは気持ちがわかるらしく
『期待するな』と言われる日々...。」

分かるなーて思いつつ、
ご主人の「期待するな」の一言、
救われるなって思った。

わが家もやっぱり夫が、
自分のその時代の親との関係を思い出すのか、
私よりも理解があったように思ったことを
思い出した。

ところで、このときの若い友人は
「R 子さんの息子さんが今年の誕生日に
『今になって、おかあの苦労が分かるよ』と
言ったということを聞いて、
その言葉に勇気をもらったという。

女親にとって、男の子って、
女の子を育てるのとは全く違う難しさ、
というか、理解不能の難しさがある。

特に疾風怒濤時代には
母親の心は折れそうになる。

それを支えるのは、
時に、息子と同姓である夫だったり、
ちょっと前を歩く同姓の友人だったりするんだな
と、改めて思った。

この時期を、母親も自分らしく過ごせるように、
エールをいっぱい送りたいと思った
若い友人からの便りでした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。