ここに3冊の絵本がある。
いずれも「はじめて」がテーマだ。
しみずみちを作・山本まつ子絵「はじめてのおるすばん」岩崎書店 1972
筒井頼子作・林明子絵「はじめてのおつかい」福音館書店 1877
筒井頼子作・林明子絵「とん ことり」福音館書店 1989
子どもたちと何度も読んだ絵本。
我が家だけではなく、この絵本たちが読み継がれているのは
その発行年を見ればよくわかる。
いずれも、まだこの世に生を受けて間もない子どもたちが
いろいろな「はじめて」に出会って、
ドキドキ、ハラハラしながら一生懸命その時に向かい合っている、
そんな絵本だ。
そして、そんな一生懸命さと息詰まる緊張感のあとには、
守り神である母に抱きしめられたり、
新しい友だちを得て、
文字通り新しい世界に踏み出していく、
そんな次が開かれている。
こうして幼い子どもたちは
一歩一歩、この地上での「はじめて」を越えていく。
子どもは「これははじめてのこと」なんて口に出さない。
「はじめて」という認識もなく、
ただ、いま目の前にあることと向き合う。
もちろん自分の意志で向き合うこともある。
それは「はじめてのおつかいの」みいちゃんのような場合。
「はじめてのおるすばん」のみほちゃんや
「とんことり」のかなえちゃんは
おとなの都合に起因する「はじめて体験」だったけれど
やはりそれにひたすら向き合う。
それが子どもの「はじめて体験」。
ところで、私はある時ふとこんなことに気づいた。
「これははじめてのこと」「こんなことははじめてのこと」と
よく言っているのは、子どもというより高齢者であることに。
「こんなこと今までなかった。初めてのことだ」ということを
私は身の回りの高齢者から何度も聞いた。
そして正真正銘の高齢者に足を突っ込んだ今、
そう呟いている私がいる。そして夫も・・。
そうだ、子どもの「はじめて」とは違うニュアンスで
私たち人間は高齢者になってこの「はじめて」に向き合うことになる。
「こんなところに躓くなんて!」
「こんなことも覚えていられなかったなんて!」
「こんなところが痛いなんて初めてだ!」
「子どもにああしろ、こうしろなんて言われるなんて!
こんなこと今までなかった。初めてのことだ!」
こう書き連ねていくと、なんだかマイナス気分になる・・。
が、そうであっても、実は高齢者として生きるということは
こういう「はじめて」と出会い、それとどう向き合っていくかが
問われる時なんだなって思う。
それを愚痴ではなく、子どもたちのように
ひたすら一生懸命それと向き合う・・、
そんな姿勢を持ちたいなって。
年齢を重ねるということは、
経験を積むということで、
それは「はじめて」が
少なくなっていくこととばかり思っていたけれど、
違うんだなあって。
いくら経験は積んでも、新しいことはますます増えていく。
その時に、今までの自分を試されるんだと思う。
子どもたちが新しいことを乗り越えられるのは、
きっとそれまでしっかり守っててくれる人がいたから。
私たち高齢者が新しいことに向って行く力をもつためには
何が必要だったのかなって思う今日この頃なのでした。
いずれも「はじめて」がテーマだ。
しみずみちを作・山本まつ子絵「はじめてのおるすばん」岩崎書店 1972
筒井頼子作・林明子絵「はじめてのおつかい」福音館書店 1877
筒井頼子作・林明子絵「とん ことり」福音館書店 1989
子どもたちと何度も読んだ絵本。
我が家だけではなく、この絵本たちが読み継がれているのは
その発行年を見ればよくわかる。
いずれも、まだこの世に生を受けて間もない子どもたちが
いろいろな「はじめて」に出会って、
ドキドキ、ハラハラしながら一生懸命その時に向かい合っている、
そんな絵本だ。
そして、そんな一生懸命さと息詰まる緊張感のあとには、
守り神である母に抱きしめられたり、
新しい友だちを得て、
文字通り新しい世界に踏み出していく、
そんな次が開かれている。
こうして幼い子どもたちは
一歩一歩、この地上での「はじめて」を越えていく。
子どもは「これははじめてのこと」なんて口に出さない。
「はじめて」という認識もなく、
ただ、いま目の前にあることと向き合う。
もちろん自分の意志で向き合うこともある。
それは「はじめてのおつかいの」みいちゃんのような場合。
「はじめてのおるすばん」のみほちゃんや
「とんことり」のかなえちゃんは
おとなの都合に起因する「はじめて体験」だったけれど
やはりそれにひたすら向き合う。
それが子どもの「はじめて体験」。
ところで、私はある時ふとこんなことに気づいた。
「これははじめてのこと」「こんなことははじめてのこと」と
よく言っているのは、子どもというより高齢者であることに。
「こんなこと今までなかった。初めてのことだ」ということを
私は身の回りの高齢者から何度も聞いた。
そして正真正銘の高齢者に足を突っ込んだ今、
そう呟いている私がいる。そして夫も・・。
そうだ、子どもの「はじめて」とは違うニュアンスで
私たち人間は高齢者になってこの「はじめて」に向き合うことになる。
「こんなところに躓くなんて!」
「こんなことも覚えていられなかったなんて!」
「こんなところが痛いなんて初めてだ!」
「子どもにああしろ、こうしろなんて言われるなんて!
こんなこと今までなかった。初めてのことだ!」
こう書き連ねていくと、なんだかマイナス気分になる・・。
が、そうであっても、実は高齢者として生きるということは
こういう「はじめて」と出会い、それとどう向き合っていくかが
問われる時なんだなって思う。
それを愚痴ではなく、子どもたちのように
ひたすら一生懸命それと向き合う・・、
そんな姿勢を持ちたいなって。
年齢を重ねるということは、
経験を積むということで、
それは「はじめて」が
少なくなっていくこととばかり思っていたけれど、
違うんだなあって。
いくら経験は積んでも、新しいことはますます増えていく。
その時に、今までの自分を試されるんだと思う。
子どもたちが新しいことを乗り越えられるのは、
きっとそれまでしっかり守っててくれる人がいたから。
私たち高齢者が新しいことに向って行く力をもつためには
何が必要だったのかなって思う今日この頃なのでした。
「初めての事」ばっかりだわ・・・
「こんな所で躓くなんて」
「こんなに物忘れがあるなんて」
どう向き合っていくのか、なんですねぇ。。。