徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

50年後の修学旅行 in Kyoto(その2)-10代での確かめ・異文化体験・自分の好みの発見-

2015-03-22 09:49:46 | 京都旅行から
「京都で一番古いお寺だって」(夫)
「どこどこ?」(私)
「大報恩寺というところらしいよ」(夫)
「ふーん、初めてきいたなあ。
でも一番古いのに、何で知らなかったんだろうね?」(私)
と、そんな会話を交わした出発前。

私たちは品川駅から3時間半かけて京都に向かった。
行きは「こだま」でのんびりと、帰りは「のぞみ」で
疲れないようにさっと帰って来ようという計画。

私は神奈川県の出身。
中学も、高校も修学旅行は京都・奈良だった。
そして新幹線ではなく、「修学旅行列車」に乗ってでかけた。

新幹線は出来たてのホヤホヤの頃。
修学旅行に新幹線なんて、地方の中高生には贅沢すぎる頃だった。

中学、高校ともに時期は4月初め。
桜が満開の頃だった。
今でも醍醐寺のしだれ桜の美しさが忘れられない。
花吹雪の中、中学2年生の時に習った「秀吉の醍醐の花見」のことを思い出したりした。
そして、これが京都なんだなあなんて思った。

中、高の京都・奈良への修学旅行は当時学んだ歴史の知識といつも一緒。
出会ったそのものを味わうというより、
あっ、あそこで習った、ここで習った!!
ふーん、あれは本当だったんだなーなんていう、
なんだか、確かめの旅だったようにも思う。

そしてもう一つ。
それは伸び盛りの10代の旅だったということ。
それから日本も戦後の復興期から高度成長期に入っていた時期だったこと。
それが50年後の今とはずいぶん違う。

中学の修学旅行の時、
奈良の法隆寺を訪ねた。
なるほど、日本最古の木造建築か。
火事も地震もある日本で、1300年以上も、よく残ったものだ、
それにしても立派だなあなんて思いながら、
実は、観光バスの中での
「コカ・コーラのファンタ初体験」の日でもあったのだ。

私の法隆寺の記憶は、
だからいつも「ファンタ」とセットになっている。

中学の時は奈良1泊、京都2泊の都合3泊4日の旅。
たとえ3泊4日の短い旅ではあっても、
親元を離れて、少ないながらも小遣いを持ち、
それで、初めてのものを買う。
「えっ、こんなものも飲んだことなかったの?」と
友だちにちょっぴりバカにされながらも
そんなことをすることができた。

初めてのことと言えば、奈良の宿での「赤だしみそ汁」体験、
関東人の私はそれまで、赤だし味噌というものの存在を知らなかった。
宿で出された赤だしの味噌汁を見て色が濃いので、濃い目の味を想像した。
いざ、口をつけてみると「えっ、塩味がない!いったいこれは何?」
もうびっくりしたのなんのって。

こんなびっくりがいくつもあった。
修学旅行の歴史の旅の部分が
確かめの旅に近いものであったのと対照的に、
この「食べる」ことを中心とする
生きていく上での「あたりまえ」と思っていたことがひっくり返るびっくり体験。
今の言葉で言えば「異文化体験」が私にとっては大きなものだった。

でも、こんなこともあった。
京都の苔寺の苔むすお庭と、龍安寺の石庭。
この二つのお寺のお庭に行った時、私は苔寺のお庭がとても気に入った。
なんだかとてもしっくりした。
それはもしかしたら、実家の庭につながるものがあったからかもしれない。

庭といっても狭い庭。
でもそこにはお稲荷さんがあり、
ユキノシタやシダ、苔が生えていた。
曽祖父の趣味で紅梅白梅が植えられ、
黄色のヤマブキ、そして初夏には紫色のテッセンが花開いた。
ただ、祖父と父には庭いじりの趣味がなく、庭は今では荒れ庭の相を呈している・・。

そんな小さなお稲荷さんまわりのコケやシダが苔寺と重なったのかもしれない。
いずれにしても、私には龍安寺より、苔寺だったのだ。

確かめと異文化と自分の好みの発見と。
それが、私の10代の修学旅行だったと
50年後の修学旅行で発見したのでした。

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