10月の半ば、大津・京都を訪れた。
今年の秋は本当に本当に雨が多かった。
でも、この二泊三日は奇跡的に
全国「晴れ」の天気に恵まれた。
実は昨年も、琳派の追っかけで
京都国立博物館を訪ね、
等伯に会いに智積院に行った。
今回は、京都市美術館で行われている
「生誕300年 若冲の京都 KYOTOの若冲」が大きな目的。
それと、細見美術館、相国寺を回るのが京都コース。
大津コースは、石山寺、三井寺、延暦寺。
これを二泊三日で実行しようというもの。
今年も紅葉前に行くことに。
本当は紅葉の時期に行きたいのだが、
人出のことを考えると、どうしても二の足を踏む。
京都には、いつも桜前か紅葉前がこのところのパターン。
今回は琵琶湖畔にあるホテルに宿を取った。
新幹線とセットになっている京都の宿は
かなり直前に申し込んだこともあり、
どこも空室がなかった。
それなら大津はどうだろう。
京都に近いし。
その勘は的中。
宿は簡単に取れた。
行ってみて分かったこと。
それは外国の旅行客の割合が少ないということ。
だから、空いていたのかもしれない。
京都の宿はこのところ、
外国からの宿泊客の方が多い。
それに「石山詣で」は以前からの夢だったしなあ。
源氏物語は原文では挫折したけれど、
軽やかで大好きな「田辺源氏」は読破した・・・。
まだ少女だった頃、
「蜻蛉日記」の右大将道綱の母に
いたく思い入れをしていた、
ということを思い出した・・・。
大津に行くなら石山寺は外せない。
彼女も「石山詣で」をしていたし・・。
さらに「石山詣で」を決定的にしたのは・・、
旅行前日、BS朝日「五木寛之の100寺巡礼 スペシャル2016」で
放映されていた「石山寺」をたまたま観たこと。
これは偶然だった。
五木寛之といえば私の青春時代のヒーローの一人。
五木寛之作品集も全部揃えた。
で、全部読んだ。
全集や作品集を揃えて全部読んだのは、
この作品集と田辺聖子の長編全集のみ。
そしてそれから、子育て、仕事と
そんな夢見る乙女時代の私の嗜好は
ほぼ封印されていた。
40年もの間・・・。
私の京都行きは歴女だった少女の自分が
遣り残したことを実行する旅。
そして、若冲や等伯や琳派を巡るのは
大人になって新たに広がった世界の
深みにもっとハマっるため。
まあ、よく歩きました。
そして、階段をいっぱい上りました。
それにしても、蜻蛉日記の右大将道綱の母の
「石山詣で」は都を午前3時ころ出発し、
それから14時間かけて石山寺に到着。
夕方の5時には着いたということだ。
その後夜中に参詣・祈願したらしい。
(詳しくは三橋順子さんのブログをご覧ください。
(参照:http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-14-11)
一日6時間をたった3日間、
歩いたりしただけで、
フーッ、なんて言ってる私たちなんかより、
平安貴族はずっとタフだったのです。
と、そんなことを思った旅でもありました。
今年の秋は本当に本当に雨が多かった。
でも、この二泊三日は奇跡的に
全国「晴れ」の天気に恵まれた。
実は昨年も、琳派の追っかけで
京都国立博物館を訪ね、
等伯に会いに智積院に行った。
今回は、京都市美術館で行われている
「生誕300年 若冲の京都 KYOTOの若冲」が大きな目的。
それと、細見美術館、相国寺を回るのが京都コース。
大津コースは、石山寺、三井寺、延暦寺。
これを二泊三日で実行しようというもの。
今年も紅葉前に行くことに。
本当は紅葉の時期に行きたいのだが、
人出のことを考えると、どうしても二の足を踏む。
京都には、いつも桜前か紅葉前がこのところのパターン。
今回は琵琶湖畔にあるホテルに宿を取った。
新幹線とセットになっている京都の宿は
かなり直前に申し込んだこともあり、
どこも空室がなかった。
それなら大津はどうだろう。
京都に近いし。
その勘は的中。
宿は簡単に取れた。
行ってみて分かったこと。
それは外国の旅行客の割合が少ないということ。
だから、空いていたのかもしれない。
京都の宿はこのところ、
外国からの宿泊客の方が多い。
それに「石山詣で」は以前からの夢だったしなあ。
源氏物語は原文では挫折したけれど、
軽やかで大好きな「田辺源氏」は読破した・・・。
まだ少女だった頃、
「蜻蛉日記」の右大将道綱の母に
いたく思い入れをしていた、
ということを思い出した・・・。
大津に行くなら石山寺は外せない。
彼女も「石山詣で」をしていたし・・。
さらに「石山詣で」を決定的にしたのは・・、
旅行前日、BS朝日「五木寛之の100寺巡礼 スペシャル2016」で
放映されていた「石山寺」をたまたま観たこと。
これは偶然だった。
五木寛之といえば私の青春時代のヒーローの一人。
五木寛之作品集も全部揃えた。
で、全部読んだ。
全集や作品集を揃えて全部読んだのは、
この作品集と田辺聖子の長編全集のみ。
そしてそれから、子育て、仕事と
そんな夢見る乙女時代の私の嗜好は
ほぼ封印されていた。
40年もの間・・・。
私の京都行きは歴女だった少女の自分が
遣り残したことを実行する旅。
そして、若冲や等伯や琳派を巡るのは
大人になって新たに広がった世界の
深みにもっとハマっるため。
まあ、よく歩きました。
そして、階段をいっぱい上りました。
それにしても、蜻蛉日記の右大将道綱の母の
「石山詣で」は都を午前3時ころ出発し、
それから14時間かけて石山寺に到着。
夕方の5時には着いたということだ。
その後夜中に参詣・祈願したらしい。
(詳しくは三橋順子さんのブログをご覧ください。
(参照:http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-14-11)
一日6時間をたった3日間、
歩いたりしただけで、
フーッ、なんて言ってる私たちなんかより、
平安貴族はずっとタフだったのです。
と、そんなことを思った旅でもありました。
大昔、京都から大津、三井寺に行った記憶があるんですが、細かい事は全て忘れてて・・・
覚えているのは「大津絵」だけ(^^;)