英語の問題を解いていると様々な特徴が分かってくる。たとえば、明治大学の某学部は難易度が一年ごとに異なってくることだ。あるいは、教授陣の専門的分野の文章が頻繁にとりあげられる大学もある。ずばり、法政大学と学習院大学である。同じようなテーマが何度もとりあげたりもする。
たとえば、2009年の学習院大学法学部の問題の一番をみてみよう。スラム、とくに途上国のスラムの問題にかかわる文章である。こういう文章の意味を受験生が見当つくのかなと思わないではないが、私個人としては嫌ではない。それに言語学や地球環境問題ばかりだと飽きる。
学習院の政治学科には、国際開発論の元田結花教授がいるので、たぶんその先生が出題者でだろう。英語の素人的な問題ともいえなくもないが、英語文献を読み解くという観点からみて、素直で分かりやすい問題が出されている。
ふと思うのだが、スラム問題のような問題について、新自由主義的な「勝ち負け」的見方がどの程度学生の意識にあるのかなということだ。逆に言えば、学習院大学はスラム問題についてどのような見方の学生を欲しているのだろうか。
はっきりいって、大学によって、この手の問題について大学生のスタンスが大きく異なることがあるのだ。つまり、弱者に厳しい大学生の多い大学と、弱者に同情的な大学である。英語の試験問題にも、影響しているのだろうか?
ちなみに、成蹊大学経済学部の英語試験には、はっきりとアメリカン・リベラル(アメリカ民主党的)な思想的傾向を見いだすことが出来るように思われる。保守派だとか共和党にシンパシーを覚えるという高校生がいるとしたら、成蹊はお勧めできない。
英語の問題ひとつとっても、大学の性格が現れてくるから、面白いともいえますね。
たとえば、2009年の学習院大学法学部の問題の一番をみてみよう。スラム、とくに途上国のスラムの問題にかかわる文章である。こういう文章の意味を受験生が見当つくのかなと思わないではないが、私個人としては嫌ではない。それに言語学や地球環境問題ばかりだと飽きる。
学習院の政治学科には、国際開発論の元田結花教授がいるので、たぶんその先生が出題者でだろう。英語の素人的な問題ともいえなくもないが、英語文献を読み解くという観点からみて、素直で分かりやすい問題が出されている。
ふと思うのだが、スラム問題のような問題について、新自由主義的な「勝ち負け」的見方がどの程度学生の意識にあるのかなということだ。逆に言えば、学習院大学はスラム問題についてどのような見方の学生を欲しているのだろうか。
はっきりいって、大学によって、この手の問題について大学生のスタンスが大きく異なることがあるのだ。つまり、弱者に厳しい大学生の多い大学と、弱者に同情的な大学である。英語の試験問題にも、影響しているのだろうか?
ちなみに、成蹊大学経済学部の英語試験には、はっきりとアメリカン・リベラル(アメリカ民主党的)な思想的傾向を見いだすことが出来るように思われる。保守派だとか共和党にシンパシーを覚えるという高校生がいるとしたら、成蹊はお勧めできない。
英語の問題ひとつとっても、大学の性格が現れてくるから、面白いともいえますね。