林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

漫画というメディア:近代日本の女性の苦しみをイメージさせるには

2010年09月15日 | 文房具と読書
「二十四の瞳」には、近世及び近代日本の女や男の人生の定めとか、辛さが描かれている。男の子の生きる道も、女の子の生きる道も、厳しい運命の道が敷かれているようである。例えば男は兵隊にとられ、女は嫁として家畜のように働かせられる、という具合に。

しかし、映画「二十四の瞳」では、そういった悲惨さはあまり表現されていなかったようにも思われる。少なくとも、現代の10代の子供や若者にそういったことイメージとして理解してもらうのは難しいように思うのだが、教育関係者はどのようにお考えなのだろうか。


ところで、私どもがよく使っている安河内『ハイパー英文1』というテキストには、マザー・テレサのもとでインドでボランティア体験をした人の非常に深い話が書かれている。しかし、あの短い文章で、インドの貧困については全く想像がつかないだろう。ましてやそこでボランティアすることの意味についても、中高生はほとんど理解できないはずだ。インドの絶対的貧困というのは、現代日本人にはほとんど想像を絶する程の別世界なのだ。こういった世界について、どうやって理解させた良いのか。となると、やはりある種の漫画のようなメディアは、一つの重要な手法ではないかと思う。

そう考えるようになってから、私自身、古本屋でよく漫画を購入する。漫画は世界を広げイマジネーションを強化する役割をするのでないか、と考えるからだ。事実、私どもの塾に来る生徒について言えば、漫画を好きな生徒は国語の成績が良い。

さて、夏休みの旅行では駅の構内で漫画雑誌『ビッグコミックオリジナル』(9月創刊号)というのも購入してみた。その漫画雑誌の中に、異様な迫力の絵柄があった。作者は一体誰だろうと思ってみると、知る人ぞ知る、カルト的怪奇漫画家である花輪和一であった。「みずほ草紙」(日本人の心の古里を読み解く)というタイトルである。



花輪和一のような非常に個性的な漫画家を、たとえ高校生だろうと推薦してよいものなのか、私には判断がつかない。危険すぎるという人も多いであろう。(かつてジョージ秋山の「あしゅら」という漫画が、子供に悪影響を及ぼすとして大問題になったことを思い出す。もっとも私自身子供だったので、その漫画をほとんど見る機会がなかったが)。

しかし、花輪の「みずほ草紙」についていえば、近世-近代日本に生きる女の辛さと快楽が確かに明確なイメージを持って分りやすく強烈に描かれおり、ある種の資料として許されるのではないか。近世ー近代日本の負の局面を伝えるにあたって、「二十四の瞳」などよりも、有効な教育的方法論でもあるのではないか。そんなふうに考えるのである。