越谷フェンダーブログ

地球環境の為に車部品のリサイクルについて考えます。車の話や会社の裏話を公開します。

尾張屋 小川又市商店 その二

2013年01月18日 17時14分05秒 | Weblog
尾張屋 小川又市商店  その二      小川フデ 

うちにいらして下さるお客様は、東北の方がほとんどと言っていいほどですが、北は北海道、南は島のお客様もいらして、皆様、特徴がおわりでした。
秋田、山形は美人が多く、福島、宮城辺りはいかにも仕事熱心さを感じました。三宅島からの小さいおじちゃんは、風呂敷で荷物をしょって帰るのです。

台湾のカギ市から元気のいい明るいおじさんが見えました。面白い人です。主に作業着としての古洋服を仕入れ、店の奥の倉庫の部屋の真ん中で、それぞれまとめて、ていねいに郵便小包に作って、自分で何回でも出しにゆくのです。何か一人で嬉しそうに! 子供の私が見ているせいか? にこにこと歌を歌っています。 時々、台湾のおみやげを持ってきて下さるのですが、肉の燻製のような物で、子供には無理な食べ物です。そうそうお名前を思い出しました。台湾の修玉さんと言いました。そのほか安い作業用としては青島に、大きな荷物を出していました。たしか、コモナワ作りで、裏の荷作り屋さんが専門に出していたようでした。『青島ボロ』言いました。
 

 さて、和服の話に戻りますが、たとう紙に入っているような高級絹布物は、『絹(ケン)どん』と言って専門に入れる背の低い戸棚が並んでいました。婚礼衣装や、訪問着など、お客様はていねいにごらんになっていました。
 定期的に見える地方のお客様のほかには、東京市内の小売屋さん、衣装屋さんがあります。浅草観音様のあたりの横道にも何軒かお得意さんもいたようです。 衣装やさんは、お芝居や映画関係で、衣装係の専門屋さんが、方々の古着屋をさがしまわっていたようです。

 昔 女学生の頃、どうしても急いでなにか証明書にはる写真が入用になりました。 店で手が足りなかったのか、どうなのか、忘れましたが、私が一人でいかければならなかった時がありました。
“浅草の映画館の道をこう行って、花やしきの前に写真館の看板があるからね”と教えてもらって、さがしにゆきました。 すると、案外早く見つかりました。外のガラス戸棚に、いろいろな衣装を着て写してある写真がありました。小さな小さな写真屋さんで、店のお客様なのです。背の低いボーズ頭のおじさんです。知らせてあったので、すぐ写真をとり用意してくださいました。

 
 
 店を閉めて、お夕飯がすむと、番頭さん、小僧さんが店にみんなすわって、そろばんの練習です。番頭さんが今日の売上げ、仕入れを読みあげてゆきます。 パチパチ、ガシャガシャ。茶色の木材の五つ玉でした。(今は四つ玉です)

 店には、十人前後の奉公人、台所には女中さんが、一人、時には二人おりました。店の主人は旦那と呼ばれ、商売を覚えに入った店の奉公人は、年数によって番頭さん、小僧さんと言いますが、大切なお得意様の息子さんをおわずかりもしました。一般に十年の年季奉公と言いますが、それぞれの事情で異なります。この道を志して入店した人は、十年つとめて独立してゆきます。修業のためにくるお得意様の息子は、四, 五年ぐらい。いわゆる“他人の飯をくわせろ”いうためです。