青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





私も27年近く、生徒のいじめ自殺を中心に撲滅運動をしていますが、未だ学校や教育委員会による組織ぐるみの隠ぺいが、相変わらず変わらないのは何故か。それに生徒がいじめられていると遺書を残して亡くなっても、いじめと自殺の因果関係を否定する教育委員会と学校の体質。どういう訳か、いじめによって自殺した事が分かっても、おそらくどこでも学校や教育委員会による、組織ぐるみの隠ぺいは絶体間違いない。



あまりにも全国の教育委員会や学校の動きがまるで26年前に、初めていじめ自殺が発覚した東京都中野区の鹿川裕史君の葬式ごっこ事件と何ら変わらない。特に我々の団体で一緒にいじめ撲滅を目標に、一緒に我々の団体の副理事長として戦った裕史君の父鹿川雅弘さんと長きに渡って戦った。そこで鹿川さんは教育委員会や学校は、いじめの事実を知っている、その真実を絶体正直に話す事はしない。



彼らは自らの保身の為に真実を徹底的に隠す。こいつらは本当に教育者かと疑う。とにかく嘘はつく、自分達の都合のいい話に子どもの死因を作り変える。それと生徒達にかん口令をひく。こんな事平気でやるゴキブリみたいな奴らだ。例え裁判に持ち込んでも真実を語る事はない。それに学校と云う大きな力が、自殺の原因の解明をあいまいにする。



それによって遺族をアリ地獄状態に持って行く。もっとも卑劣なこういう学校と云う組織が潰すのだ。今迄どれだけ多くの子ども達が、教育関係者の嘘の報告や隠ぺいなどで真実を語らない奴らの姿を見て、きっと失望したに違いない。それに大津のいじめ自殺の事件以来、多くの学校で生徒達にいじめの有無のアンケートを取る事が多くなってきた。



しかし一番問題なのは、いじめがあったかないかの、イエスかノーかではなく、いじめがあればどういう内容なのかを書くようにしなければ、いじめの実態が分かる訳がない。とにかく子ども達は最近いじめに関しても、色々な情報が携帯やスマートフォンなどから入ってくる。もう文科省は今までのような、いい加減な事は言えない。



大体、今まで生徒がいじめを受け自殺をしても、現場の学校の教師のいじめに対しての意識の問題だとか、すべて教育委員会に任せていたツケがネットなどからの情報によって、
あまりにも無責任な文科省と任された教育委員会は学校現場の評価システムを意識し、いじめ自殺の真実を隠ぺいしマイナス評価を避ける為に、都合の良い話を作りプラス評価に持って行く。



そしてそのまま文科省に報告する。とにかく文科省にしても教育委員会や学校のでたらめさ、それに嘘やねつ造それに隠ぺい等は、一般社会の常識とはまるで違う。
とにかくこいつ等は皆学校を喰い物にしているゴキブリ集団だ。こんな集団は皆で叩き潰せ。今はネット社会。いじめによる自殺の問題が学校で発生した時には、皆さん私達と一緒に真実をあばき、徹底的に文科省・教育委員会・学校を叩きましょう。





青少年育成連合会の関西支部長の山本博美氏

鹿川副理事長がいじめの問題のスペシャリストとして評価とにかくいじめ問題や名古屋中学生5000万円恐喝事件などその他のいじめ問題で名古屋で活躍。名古屋市教委の天敵と呼ばれた、泣く子も黙る行動派ばかりではなく、人情家で自分の子どもがいじめに遭って戦った事がきっかけで、その手腕を鹿川氏がかい青少年育成連合会の関西支部長として活躍。現在に至る。

名古屋に住んでいた時の頃からいじめの問題で活動した頃からの説明。 

名古屋市在住、市民グループいじめを無くす会代表、関西支部長、青少年育成連合会副理事長山本博美さんの長女が、小学3年生だった十数年前ひどいいじめにあっていた。
止めるべき、先生が加担するような状態で、学校にも教育委員会にも訴えたが、なかなか改善されなかった。6年生の時校長が代わって対策チームを、作るなどようやく本格的に取組んでもらえるようになった。
それからが本当の戦いで長い道のりだったが、戦いの経験者として、是非皆さんに娘さん (山本恵美)の書いた文を読むことによって何か、得るものがあればと思いここにブログの記事として載せました。


第8話 S先生との出会い(6)


少しでも時間を稼ごうと、ランドセルから一冊一冊教科書を出してみたり、もうこれ以上、整頓するところなんてないというくらいのきれいなお道具箱をあさってみたり、勉強するふりしながら、周りの視線や騒がしい声に脅えていた。

時間潰しのために歩いた廊下は冬の寒さ以上に冷たく、寂しかった。それでも、時々二つ下の妹が私を気遣って私に会いに来てくれることがあった。母に言われて来てくれていたのかと思う。

「お姉ちゃん、元気?」と小学校二年生の妹が時々顔を覗かせてくれる姿にホッとして、家の中で会っている時よりも、何倍も嬉しく思った。”泣いてはいけない、こんなところで泣いてちゃダメだ”・・・何度も自分に言い聞かせ、一生懸命笑っていた。”学校が楽しいですよ”という姿をつくっていた。

時間がとても長く、そしてとても重く、苦しい毎日だった。「もう行きたくない。もう逃げたい。」何度も母の胸に飛び込み、泣いた。だけど母は私に「休みなさい」とは言わなかった。母はいつも、「大丈夫だから。お母さんが学校にちゃんと言っておくから、心配せずに行っておいで。

それでも辛くなったら帰ってくるんだよ」と、抱きしめてくれた。私の辛さを一番よくわかっていてくれた母が私に「休みなさい」と言わなかったのは、ここで学校に行かなくなったら、ここで負けてしまったら、これから未来に色んなことが待っている私が、ダメになってしまうと思ったからだと思う。

その時は何もわからなかった。ただ、辛い気持ちと同時に、毎日学校に電話をかけていてくれたり、連絡帳にたくさんの文字を書いていてくれている姿を見ていたから、「行こう」と思った。母がいてくれたから、途中で学校へ行くことをやめなかった。・・・もう辛い、もう行きたくないと、母に大泣きして訴えたのは、四年生も残り数日で終わるという三月の上旬だった。


26年前に日本で初めて、いじめによる自殺がマスコミに出た俗に言う鹿川葬式ごっこ事件。東京都中野区の中学で起きた鹿川裕史君の自殺(葬式ごっこ)が発覚。この事件によって全国からいじめや自殺の事件が多く発覚し日本中に激震が走った。しばらくして鹿川裕史君の父、鹿川雅弘さんが青少年育成連合会のいじめ撲滅に参加したいと云う事で、連合会の副理事長になってもらい、北海道九州を除き鹿川さんが会社員なので、時間が許す限り活動を展開。